20260923歴史を作る者(ダニエル11:1-4)📺
20260923水曜礼拝
聖書:ダニエル11:1-4
題目:歴史を作る者
賛美:348、350
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「わたしはまたメデアびとダリヨスの元年に立って彼を強め、彼を力づけたことがあります。 わたしは今あなたに真理を示そう。見よ、ペルシャになお三人の王が起るでしょう。その第四の者は、他のすべての者にまさって富み、その富によって強くなったとき、彼はすべてのものを動員して、ギリシヤの国を攻めます。 またひとりの勇ましい王が起り、大いなる権力をもって世を治め、その意のままに事をなすでしょう。 彼が強くなった時、その国は破られ、天の四方に分かたれます。それは彼の子孫に帰せず、また彼が治めたほどの権力もなく、彼の国は抜き取られて、これら以外の者どもに帰するでしょう。」
ダニエル書 11:1-4 口語訳
1。歴史を動かしているのは誰か?
「歴史」という言葉を聞くと何を思い浮かべますか?王様や政治家、内乱や戦争を思い浮かべるのではないでしょうか。歴史の教科書を見ると、誰が王になったのか、誰が戦争に勝ったのか、どの国が勢力を広げたのかが書かれています。すると、歴史を作っているのは力ある人間のように見えます。
しかし、信仰の目で歴史を見ると、違ったものが見えてきます。「歴史」を意味する英語の「History」という言葉の語源が「His Story」という言葉で、「His」とは神様を表しているという話を聞きます。これは語源的には正しくありません。本来はギリシャ語で「調べて知ること」を意味するヒストリアです。しかし、信仰の視点からは、Historyを「His Story」、つまり「神様の物語」と考えることができます。人間が歴史を作っているように見えても、その歴史の背後には神様がおられます。王様が生まれることも、国が栄えて滅びることも、私の人生も、神様の御手の外で起こっているのではありません。だから「History」というのは単なる「人間の歴史」でも「My Story」でもないのです。今日はダニエル11章を通して、神様が私たちに何を伝えたいのか、分かち合いたいと思います。
2。本文解説――人間が歴史を動かしているように見える
ダニエル11章は、ダニエルの時代から見れば、約2世紀後に起こる出来事を具体的に語っている預言です。そのため、この章は歴史家が出来事を見た後に書いたとしか思えないほど正確だ、と言われるほどです。大きく分けると、2~4節はペルシャとギリシャの時代、5~20節は南の王プトレマイオス朝エジプトと北の王セレウコス朝シリアの争い、21~35節はアンティオコス4世エピファネス、そして36~45節では終わりの時代に関わる王について語られています。
1節の「わたし」はダニエルのもとにやってきた御使いで、「彼」とはミカエルのことだと考えられます。そして「あなた」はダニエルです。つまり、その御使いがミカエルに話した「真理」をダニエルにも見せようとしているのです。
① 2~4節――ペルシャからギリシャへ
2節には、ペルシャの王たちが登場します。そして第4の王として、非常に富を蓄え、ギリシャに対して大きな軍事力を起こす王が現れます。これは一般にクセルクセス1世(アハシュエロス)と理解されています。エステルの時代の王様です。
そして3節になると、「一人の勇ましい王が起り、大いなる権力をもって支配し、その意のままに事を行う」とあります。これはアレクサンダー大王を指すと理解されています。彼は非常に短い期間で広大な地域を征服し、ペルシャ帝国を倒しました。しかし4節を見ると、その強大な王国も永遠には続きません。「しかし彼が強くなった時、その国は打ち砕かれ、天の四方に分かれる」とあります。その通りに、アレクサンダー大王はわずか32歳で病死し、その部下達が国を分けることになります。人間から見ると、確かにアレクサンダーは歴史を変えた人物です。しかし、神様の目から見ると、彼もまた神様が支配される歴史の中に置かれた一人の王だという事がわかります。
② 5~20節――南の王と北の王
5節以降になると、エジプトを中心とする南の王プトレマイオス朝と、シリア・メソポタミア方面を支配する北の王セレウコス朝との激しい勢力争いが描かれます。両王朝の間で戦争、同盟、結婚、裏切り、暗殺などが繰り返されます。ここを読んでいると、「結局、誰が歴史を作っているのだろうか」と思わされます。王が立ち上がり、戦い、同盟を結び、裏切られ殺されます。そしてまた別の王が立ちます。人間の目には、まさに王たちが歴史を作っているように見えます。しかし、ダニエル11章全体を通して見ると、神様はその歴史をすべてご存じだという事がわかります。
③ 21~35節――卑しむべき者、アンティオコス・エピファネス
21節には、「卑しむべき者が彼に代って起る」とありますが、これはアンティオコス4世エピファネスを指すと理解されています。彼は正当な王位継承者ではありませんでした。それにもかかわらず、不意に現れ、巧みな言葉を用いながら権力を握っていきました。ここでの「不意に」は「平穏に」とも訳せます。つまり、表面上は平和を装いながら近づいてくるのです。実際、彼は最初からいきなり迫害を始めたのではありません。ギリシャ化を望む人々や、権力争いをしてお金で大祭司の地位を手に入れようとする人々の心を利用して、ユダヤ人社会の奥まで入ってくるようになりました。
そして最終的には、ユダヤ人の信仰と生活を徹底的にギリシャ化しようとしました。エルサレム神殿を冒涜し、ユダヤ人にゼウス崇拝を強制し、律法を守ることを禁じ、安息日を守る事を禁止し、豚肉を食べさせました。割礼を受けさせた母親と子どもが処刑されるなど、非常に厳しい迫害が行われました。そのためエピファネスは、バビロンのネブカデネザル王とは違い、はるかに直接的にユダヤ人のアイデンティティを破壊する恐ろしい存在となりました。
④ 36~45節――自分を神とする者
36節では、「この王は、その心のままに事を行い、自分を高くし、すべての神よりも大いなる者とし、神々の神に向かって驚くべきことを語る」とあります。ここには、単なる偶像崇拝よりさらに深い人間の罪が表れています。それは、「自分が神になる」ということです。人間は神様に造られた者なのに、神様の位置に自分を置こうとします。
ここにエピファネスを代表とする反キリストの特徴を見る事ができます。最初から迫害をもって迫るのではありません。神様よりも他のものに価値観を置くその心を巧みに利用するために、穏やかに近づいてくるのです。そして、エデンの園で、蛇がエバをそそのかした時のように、自分が持っていた「神になれる」という誤った考えを、人々に植え付け、自分の手は汚さず、自ら進んで罪を犯させるのです。そして、その罪を告発して責めるのです。
そして、自分が神になろうとする反キリストに、対抗する勢力が、北から、南から、東からやって衝突しますが、やがて手を結びます。そして神様に対して対抗するようになります。しかし最後には、その王たちも終わりを迎えます。つまり、11章全体を通して見ると、王が現れては消え、帝国が栄えては滅び、強い者が現れては倒れていき、その歴史の上に、変わらず立っている神様だという事を11章は教えています。
3。歴史の主人は神様
では、なぜ神様はダニエルに、こんなにも複雑な未来の歴史を見せられたのでしょうか。単に「未来を当てるため」ではありません。ダニエルと神の民に、「これから何が起こっても、歴史は神様の御手の中にある」と教えるためです。
① 混沌の中でも神様がおられる
創世記1章を見ると、最初の世界は、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり」
という状態でした。形がなく、何も整っておらず、闇が覆っています。しかし、そこで終わっていません。「神の霊が水のおもてをおおっていた」のです。混沌の中にも神様がおられました。そして神様が「光あれ」と言われると、そこから創造の御業が始まりました。
ダニエル11章も同じです。ペルシャの王、ギリシャの王、プトレマイオス朝の王、セレウコス朝の王、そしてアンティオコス・エピファネスが出てきました。そして終わりの時代の王についても出てきました。混沌とした歴史が描かれています。しかし、忘れてはいけないのは、これだけ詳しく未来を語ることのできる神様がおられるという事実です。
そしてこれは、私たちの人生にも当てはまります。自分の目には何が起こっているのか分からない、先が見えない、自分の人生もどうなるか分からないと考える時があります。しかし、「何も見えない」ことと「神様がおられない」ことは同じではありません。混沌の中にも神様はおられます。そしてただ見ているだけではありません。創世記1章でもダニエル11章でも見られるように、混沌を終わらせる神様の御業が現れるということを信じてください。
② 地上に目を奪われず、天を仰ごう
「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所には、心もあるからである。」
マタイによる福音書 6:19-21 口語訳
イエスは、私たちの心が地上ではなく、天に置くことを教えています。確かに私たちは地上に生きています。ですから、地上の出来事を見ることは必要です。だから「地上を見るな」とは言いません。しかし、地上だけを見てはいけません。人を見る。社会を見る。お金を見る。権力を見る。ニュースを見る。そうしているうちに、いつの間にか、それらが自分の世界のすべてになってしまいます。これがとても危険なのです。
ダニエルは、地上の王たちの動きだけを見たのではありません。その歴史の上におられる神様を見ました。だから私たちも、地上で新しい王が立っても、天を仰ぎましょう。地上で王が倒れても、天を仰ぎましょう。世の中が変わっても、天を仰ぎましょう。自分の人生が思い通りにならなくても、天を仰ぎましょう。なぜなら、歴史の主人は人間ではなく、神様だからです。そして、私たちの人生は「My story」ではなく「His story」の中にある人生である事を忘れないでください。
実際私たちは、この世では敗北したように見えるイエスキリストの十字架を、神様の勝利と見ています。私たちの視線はすでに、この世にだけ縛られているわけではありません。天を仰ぎ見て、神様の御業を仰ぎ見ています。だから心配しないで下さい。同じように、私たちの日々の生活の中でも、天を仰ぎ見てください。私たちに必要なのは、この世を生き抜くための技術ではなく、神様の働きを心に留める信仰なのです。


