20261003マッテヤ―仕えるために選ばれた人(使徒1:21-26)
20261003土曜祈祷会
聖書:使徒1:21-26
題目:マッテヤ―仕えるために選ばれた人
賛美:461
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、 すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」。 そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、 祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、 ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。 それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。」
使徒行伝 1:21-26 口語訳
1。マッテヤとは?
マッテヤという名前は、「神の贈り物」という意味を持つ名前です。彼について、聖書は多くを語っていません。しかし、彼はイエスの働きの初めから昇天まで、弟子たちと共に歩んだ人でした。十二使徒に最初から選ばれてはいませんでしたが、それでも主に従い続けました。そしてイエスの昇天後、神の時が来て、十二使徒の一人として選ばれました。大切なのは、マッテヤが「選ばれて特別な人になった」ということではありません。彼は主に仕えるために選ばれた人です。
2。本文解説
① マッテヤは、長く忠実に主に従っていた
21〜22節では、新しい使徒の条件が示されています。「ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人」。つまり、マッテヤはイエスの働きの初めから最後まで、主に従っていた人物です。最初から十二使徒に選ばれていたわけではありません。それでも、選ばれていないことを理由に離れませんでした。選ばれていない時から忠実だった。これがマッテヤの大きな特徴です。
② マッテヤは、人間ではなく神によって選ばれた
23節では、ヨセフとマッテヤの二人が候補として立てられます。そして24節で、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで……お示し下さい」と祈りました。弟子たちは、「どちらが優秀か」ではなく、「主がどちらを選ばれるのか」を求めました。そして、くじを引いた結果、マッテヤが選ばれました。マッテヤが選ばれたのは、彼が他の弟子より価値があったからではありません。神が彼を選び、仕える場所を与えられたのです。
3。適用――私たちは、すでに主に選ばれている
私たちは、「もっと選ばれたい」と思うことがあります。もっと認められたい。もっと重要な人になりたい。もっと大きな働きをしたい。しかし、今日ここに教会に来ている私たちは、すでに主に招かれ、主に従う者とされています。ですから、私たちは「もっと特別な人になるために選ばれたい」と願う必要はありません。教会に来て、主を礼拝し、主に従おうとしていること自体が、神の恵みの中に置かれているということです。
では、もう一度選ばれる必要があるとすれば、それは何のためでしょうか。特別な人になるためではなく、仕えるためです。マッテヤも、十二使徒に選ばれて「他の弟子より偉くなった」のではありません。彼は、主の復活の証人として仕えるために選ばれました。私たちも同じです。「神様、私をもっと目立たせてください」ではなく、「神様、私をもっと仕える者にしてください」と祈るべきです。教会の中で、自分が認められることを求めるのではなく、誰かを助けることを求めることが大切です。自分が前に出ることを求めるのではなく、誰かが主に近づくことを喜ぶことが大切です。だから「なぜ自分が選ばれないのか」と不満を持つのではなく、「今、自分に与えられている場所で何ができるか」を考えることが大切です。
マッテヤは、選ばれる前から忠実でした。だから私たちも、特別な役割を与えられることを待つのではなく、今日与えられている場所で忠実に仕えたいと思います。そして、もし神様が新しい働きを与えてくださるなら、「私は特別だから選ばれた」のではなく、「主が私を仕えるために選んでくださった」と受け止めたいと思います。私たちが願うべきなのは、「選ばれること」ではなく、「選ばれた者として忠実に仕えること」です。
4。まとめ
マッテヤは、特別な人になるために選ばれたのではありません。主の復活の証人として、仕えるために選ばれました。私たちは、すでに主に招かれ、主に従う者として選ばれています。だから「もっと特別になりたい」と願うのではなく、「もっと仕えたい」と願うことが、主に喜ばれます。私たちは、人に認められることより、主に忠実であることを求め、「主よ、私を特別な者よりも、忠実に仕える者にしてください」とお祈りしましょう。


