20260916祈りは聞かれている(ダニエル10:12-14)📺
20260916水曜礼拝
聖書:ダニエル10:12-14
題目:祈りは聞かれている
賛美:363、368
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「すると彼はわたしに言った、「ダニエルよ、恐れるに及ばない。あなたが悟ろうと心をこめ、あなたの神の前に身を悩ましたその初めの日から、あなたの言葉は、すでに聞かれたので、わたしは、あなたの言葉のゆえにきたのです。 ペルシャの国の君が、二十一日の間わたしの前に立ちふさがったが、天使の長のひとりであるミカエルがきて、わたしを助けたので、わたしは、彼をペルシャの国の君と共に、そこに残しておき、 末の日に、あなたの民に臨まんとする事を、あなたに悟らせるためにきたのです。この幻は、なおきたるべき日にかかわるものです」。」
ダニエル書 10:12-14 口語訳
1。見えない事情がある
あるおじいさんが病院に入院していました。長いこと入院していましたが、とうとう明日退院することになりました。息子が迎えに来るそうです。このおじいさんは、ウキウキしながら身の回りのものを片付け、会う人会う人に「明日退院するんです。息子が迎えに来てくれるんです」と話していました。しかし、退院の当日、お昼の12時を過ぎても、息子がやってきません。何の連絡もなく、代わりの人が来るわけでもありません。おじいさんは「今日、息子が来てくれるはずなんだがなぁ」と、人目を避けて1人で寂しくつぶやいていました。すると夕方の6時を過ぎた頃になって、ようやく息子がやってきました。おじいさんは、息子に対して不満を言いましたが、息子は次のように反論しました。「お父さん、僕にも事情があるんだよ」と。
誰しも、相手には見えない事情というものがあります。おじいさんの立場で見るなら、遅くなるなら、前もっておじいさんに連絡を入れるべきではなかったのか、と考えるかもしれません。しかし、実は息子には、「妻が事故で入院をした」「重要な仕事で手がな離せなかった」などの理由があるのかもしれません。もし、おじいさんの退院を優先したせいで、妻が亡くなったり、会社をやめるようなことになっていたとしたら、どうでしょうか。それはおじいさんの望む所ではないでしょう。見えるところだけで相手の事情を全て把握したつもりになることは危険なのです。
私たちの信仰生活でも同じ事が言えます。祈っても叶えられない時、皆さんならどうしますか?神様のせいにして不平不満をぶちまけますか?「信仰が足りないせいだ」と自分を責めますか?そして祈ることをやめてしまいますか?私たちがキリスト者として生きるには、どんな態度を持つべきでしょうか。見える部分だけで判断し、神様の力や愛を疑うことは、神様との関係を壊すことにもつながります。今日、ダニエル10章を通して、私たちがわかることは、神様には神様の事情があるということ、しかし祈りは聞かれているということ、だから祈り続けましょう、ということです。
2。本文解説
① 背景―1~3節
ダニエル10章の出来事は、ペルシャのクロス王の第3年に起こりました。9章でダニエルが祈ったイスラエルの回復は、クロス王の第1年にすでに一つの形で成就していました。ユダヤ人たちは喜んでエルサレムに帰り、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを中心に神殿再建に力を注いでいる時です。しかし、ダニエル自身はエルサレムに帰らず、ペルシャに残っていました。ダニエル1:21には、「ダニエルはクロス王の元年まで仕えた」とあります。若い時に神様に召され、バビロンの王たちに仕え、その後ペルシャのクロス王の時代まで歩んだダニエルは、エルサレムに帰還したユダヤ人たちとは別の場所で、なお神様の前に立ち続けていました。
そしてクロス王の第3年、ダニエルはイスラエルの将来について心を痛め、三週間の間、悲しみながら神様の前にへりくだっていました。2節には「悲しんでいた」とだけ書かれていますが、前後の文脈から、イスラエルの回復とこれからの神の民の歩みについて、神様の御心を悟ろうとして祈っていたと考えることができます。ダニエルは、食べることを控えただけではありません。「身に油を塗らなかった」とあるように、日常の楽しみや身を整えることさえ脇に置き、21日間祈り続けました。つまり、この21日間は、答えが見えない中でも祈ることをやめなかった、忍耐の祈りの時間でした。
② 祈りは最初の日から聞かれていた―4~12節
三週の終りの日、ダニエルはチグリス川のほとりで幻を見ました。そこには、亜麻布の衣を着て、腰にはウパズの金の帯を締め、身体は緑柱石のようで、顔は電光のように輝き、目は燃えるたいまつのような者が現れました。腕と足は磨いた青銅のように輝き、声は大群衆の声のようでした。その姿を見たダニエルは力が抜けてしまいました。そして、その声を聞いた時には顔を地に伏せ、深く眠ったようになりました。これは、単に恐ろしい人を見たということではありません。人間の力をはるかに超えた天の存在を前にして、ダニエルは恐れ、力を失ったのです。そのダニエルに一つの手が触れ、「大いに愛せられる人ダニエルよ、あなたに告げる言葉に心を留め、立ち上がりなさい」と語りかけます。ダニエルは震えながら立ち上がります。そして12節で、この場面の中心となる言葉が語られます。「ダニエルよ、恐れるにおよばない。あなたが心をこめて悟ろうとし、あなたの神の前にへりくだったその初めの日から、あなたの言葉は聞かれている。わたしはあなたの言葉のゆえに来た。」ダニエルは21日間祈っていました。しかし、21日目になって初めて神様が祈りを聞かれたのではありません。「その初めの日から」聞かれていたのです。つまり、ダニエルには何も起こっていないように見えた21日間にも、神様はすでに祈りを聞いておられました。ここで教えられるのは、祈りが聞かれていることと、祈りの答えがすぐに目に見えることは同じではないということです。
③ 私たちには見えないところで、神様は働いておられる―13~14節
ところが13節を見ると、ダニエルの祈りの21日間に、目には見えない出来事が起こっていたことが分かります。「ペルシャの国の君が二十一日間、わたしの来るのを妨げた」と語られ、さらに「ミカエルのひとりが来て、わたしを助けた」とあります。ここでいう「ペルシャの国の君」は、クロス王そのものではなく、ペルシャという地上の国と関係する霊的な存在を指すと理解されます。ただし、その正体について聖書は詳しく説明していません。また、ここでミカエルの名前が出てきますが、ダニエル10章では、このように名前を挙げられた天的な存在はミカエルだけです。大切なのは、ダニエルが祈っている間、地上では見えないところで霊的な戦いが起こっていたということです。ですから、祈りの答えが遅れているように見えても、「神様が何もしておられない」とは限りません。私たちには分からない事情の中でも、神様は働いておられるのです。そして14節で、「後の日に、あなたの民に起る事を、あなたに悟らせるために来た」と語られます。つまり、この幻はダニエル個人だけの問題ではなく、神の民イスラエルの将来についての啓示だったのです。
3。適用
① 神様には、神様の事情がある
私たちは、目の前に起こっていることだけを見て判断しがちです。しかし、ダニエル10章を見ると、私たちには見えないところで神様が働いておられることが分かります。ダニエルが21日間祈っている間、地上では何も起こっていないように見えました。だからダニエルは落ち込みました。しかし実際には、「ペルシャの国の君」が天からの使者を妨げ、天からの使者をミカエルが助けるという、目には見えない霊的な出来事が起こっていました。私たちは「神様が沈黙している」と感じる時があります。しかし、神様は確かに働いておられるのです。今日の本文は、このお話は悪魔の力が神様の計画を妨害するほど強力だという事が言いたいわけではありません。ましてや、私たちの身の回りで起こるすべての出来事を「悪霊の仕業だ」と短絡的に考えようとしてるのでもありません。重要なのは、私たちが目で見ている世界だけがすべてではないことです。私たちには分からないことがあっても、神様には神様の御計画があり、神様の時があるのです。
聖書を見ると、私たちには理解しにくい出来事がいくつも出てきます。モーセがカナンの地に入ることができなかったこと、アロンの息子たちが主の前に異なる火をささげて、火によって焼き尽くされたこと、ダビデが神殿を建てたいと願ったにもかかわらず、神様はダビデに建てさせなかったことなどです。人間の視点だけから考えると、「なぜ神様はそうされたのだろう」と、なかなか理解できないことがあります。しかし、聖書を理解するときに大切なのは、私たちの視点だけで答えを出そうとしないことです。分からないことがある時に、「神様はなぜこんなことをするのだろう」と否定的に考えるのではなく、「私には分からなくても、神様には私には見えていないご計画がある」と信じることです。 そうすれば後で神様は教えてくださいます。今は教えてくださらなくても、それは意地悪ではないのです。私たちが見ることのできる範囲を超えて、全てを見ておられる神様をどうか信じてください。
② しかし、祈りは聞かれている
ここで、私たちが決して忘れてはいけない言葉があります。ダニエル10:12です。「ダニエルよ、恐れるにおよばない。あなたが心をこめて悟ろうとし、あなたの神の前にへりくだったその初めの日から、あなたの言葉は聞かれている。わたしはあなたの言葉のゆえに来た。」ダニエルは21日間待ちました。祈り続けて21日後にようやく神様に届いたのではありません。神様が祈りを聞かれたのは21日目ではなく、「その初めの日から」聞かれていたのです。私たちは祈ってもすぐに状況が変わらないと、「神様は聞いてくださっていないのではないか」と考えてしまいます。しかし、祈りが聞かれていることと、祈りの答えがすぐに目に見えることは同じではありません。神様には私たちには見えない事情があり、私たちには分からない方法と時があります。しかし、その中でも神様は私たちの祈りを聞いておられます。だから、目に見える結果だけを見て、神様が聞いておられないと判断してはいけません。
ここで、使徒10章に出てくるコルネリオを思い出してください。コルネリオは異邦人でした。まだキリストを信じていたわけでもなく、ユダヤ人でもありません。当時のユダヤ人からすれば、「異邦人である自分の祈りが、本当に神様に聞いていただけるのだろうか」と思っても不思議ではありません。しかし、神様はコルネリオの祈りを聞いておられました。天使は彼に、「あなたの祈りや施しは、神のみまえに届いている」と告げました。ここで大切なのは、コルネリオが祈り続けた結果、ようやく神様の御前に届いたということではありません。コルネリオが祈っている時には、すでにその祈りは神様の御前に届いていたのです。コルネリオ自身は、それを知りませんでした。しかし、神様の側ではすでに聞いておられました。ダニエルも同じです。21日間祈って、21日目になって初めて祈りが聞かれたのではありません。「その初めの日から、あなたの言葉は聞かれている」と言われました。私たちには答えが見えなくても、祈りはすでに神様の御前に届いているのです。
③ だから、失望せず、祈り続けよう
では、祈りはすでに聞かれているのなら、なぜ私たちは祈り続けるのでしょうか。イエスはルカ18章1節で、「いつも祈るべきで、失望してはならない」と教えられました。そして、その理由を教えるために、一つのたとえを話されました。ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない不正な裁判官がいました。そこに一人のやもめが来て、「わたしの相手をさばいて、わたしを守ってください」と何度も願いました。しかし裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしませんでした。それでもやもめはあきらめず、何度も裁判官のところへ行き続けました。すると裁判官は、「このやもめは、わたしを困らせるから、彼女のために裁判をしてやろう」と言いました。イエスは、このたとえを通して、神様がこの不正な裁判官と同じだと言っているのではありません。むしろ、神を恐れず人を尊敬もしない裁判官でさえ、やもめの願いを聞いたのなら、まして私たちを愛してくださる神様が、私たちの祈りを聞いてくださらないはずがない、ということを教えておられるのです。
ですから、祈り続けるとは、何度も祈れば神様がようやく聞いてくださるということではありません。神様は、私たちが祈り始めた時からすでに聞いておられます。それでも祈り続けるのは、私たちが神様を信頼し続けるためです。 答えがまだ見えなくても、「神様は聞いておられる」と信じて、自分自身を神様の御前に置き続けるのです。昔出会った人で、「自分が祈り続けたから、願いが叶った。私のおかげだ」と自分の祈りの強さを誇る人がいました。しかし、祈り続けるとは、神様を説得し続けることではありません。祈り続けるから叶うのではなく、祈り続けることで神様を信頼し続けられるのです。祈り続けられるのは誇る事ではなく、むしろ感謝すべき恵みです。私たちは、祈り続けることによって、失望せずに自分自身を神様の御前に置き続ける事ができるのですから。
4。まとめ
ダニエル10章は、私たちの目には見えないところでも神が働いておられることを教えています。私たちには私たちの事情がありますが、神様には神様の事情があるのです。一方で、祈りの答えがすぐに見えなくても、神様は私たちのどんな小さな祈りも聞いておられます。繰り返し祈るから叶えられるのではありません。神様の計画の中で祈りは叶えられます。だから、祈りがかなえられたことを自分の信仰の強さとして誇るのではなく、祈りを聞いてくださる神を信頼して祈り続けましょう。祈り続ける事で私たちは神様にさらに信頼をおく事ができます。祈り続ける力強い大阪中央教会の聖徒になるよう皆様を祝福します。

