20260919アンナス―神の言葉はどこに?(ルカ3:2)
20260919土曜祈祷会
聖書:ルカ3:2
題目:アンナス―神の言葉はどこに?
賛美:205
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。」
ルカによる福音書 3:2 口語訳
1。アンナスについて
ルカ3:2には、「アンナスとカヤパとが大祭司であった時、神の言が荒野にいるザカリヤの子ヨハネに臨んだ」とあります。ルカは、ヨハネの働きが始まった時代を説明するために、当時の宗教的指導者たちの名前を挙げています。その中に「アンナスとカヤパ」が出てきます。アンナスは紀元6年頃から15年頃まで大祭司を務めました。その後、大祭司の職を退きましたが、神殿における影響力は大きく残っていました。カヤパはアンナスの娘婿であり、アンナス一族は大祭司職を中心に大きな影響力を持っていました。そのことはヨハネ18章からも分かります。イエスが捕らえられたとき、「まずアンナスのところへ連れて行った」とあります(ヨハネ18:13)。その後、カヤパのところへ送られます。つまり、公的な大祭司がカヤパであった時代にも、アンナスは大きな影響力を持っていたことが分かります。
2。本文解説――神の言葉は荒野のヨハネに臨んだ
ここでルカ3:2をもう一度見ます。「アンナスとカヤパとが大祭司であった時、神の言が荒野にいるザカリヤの子ヨハネに臨んだ」。ここには非常に大きな対比があります。一方にはアンナスとカヤパ。大祭司という宗教的権威があります。もう一方には荒野にいるヨハネ。人間的な権力も、神殿の地位もありません。ところが、「神の言が……ヨハネに臨んだ」のです。本来なら、神の言葉は神殿にいる大祭司のところに来るのが当然のように思います。影響力などを考えても、アンナスを用いた方が良いように思えます。しかし、神殿を私物化しているアンナス一族の元に神様の言葉は来ませんでした。反対に、荒野にいるヨハネが神様の言葉を受け取り、その言葉を人々に伝えました。
多くのものを持っているアンナス、それとは反対に持っているものがほとんどないヨハネ、世間がこの2人を見るとき、明らかにアンナスの方が神様に愛され祝福されており、信仰のある人間に見えます。しかし、神様の言葉はアンナスではなくヨハネに臨みました。一体どちらが本当に神様に愛されているでしょうか?皆さんはアンナスのようになりたいですか?それともヨハネのようになりたいですか?
3。適用――本当に祝福されているのは誰か?
それでは、教会の中で本当に祝福されている人はどんな人でしょうか?言葉一つで人々を仕えさせる人でしょうか。ある人々は、教会での地位や成果を誇り、教育者をあごで使うことに満足していました。しかし、その人は本当に祝福されていると言えるでしょうか?本当に祝福されている人とは、アンナスではなくヨハネのように神様の言葉を喜び、その言葉に従って、人に仕えることを喜べる人です。
なぜなら、イエスはマタイ20:26–28で、「あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの間で大きくなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならなければならない」と教えられました。そしてイエスご自身が、「仕えられるためではなく、仕えるため」に来られたと教えています。
本当の祝福とは、私達だけが喜べるようなものではなく、神様と共に喜べるものです。この世の成功を祝福の基準にしないようにしましょう。どれだけ人から認められているか、どれだけ多くのものを持っているかではなく、神様と共に喜べる関係が何よりも大きな祝福です。だから、「私は神様の言葉に従っているか」「人に仕えることを喜んでいるか」と問いましょう。神様との関係の中にこそ、本当の祝福があります。
4。まとめ
最後にもう一度聞きます。皆さんは、絶大な権力を持ったアンナスのようになりたいですか、それとも神様の言葉が臨むヨハネのようになりたいですか?アンナスは大祭司として大きな権威と影響力を持っていました。しかし、神の言葉が臨んだのは、権力を持つアンナスではなく、荒野にいたヨハネでした。神様がご覧になる祝福は、人の持っている地位や財産、影響力とは違います。大切なのは、神の言葉を受け取って喜ぶことであり、その言葉に従って生きることです。


