20260930終わりまで行って休みなさい(ダニエル12:13)📺
20260930水曜礼拝
聖書:ダニエル12:13
題目:終わりまで行って休みなさい
賛美:336、341
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。」
ダニエル書 12:13 口語訳
1。イントロ
ウズベキスタンの首都タシケントに、ナボイ劇場という総面積15,000平方メートル、客席1400という大きな劇場があります。旧ソ連でモスクワ、サンクトペテルブルグのオペラハウスと並ぶ3大オペラ劇場の1つです。第二次世界大戦後、ソ連によってタシケントに抑留された日本人457人も、この劇場の建設に従事しました。当時、まだ基礎工事しかできていなかったこのオペラハウスを、革命30周年にあたる1947年10月までに完成させる必要がありました。
敗戦国の捕虜たちは、この強制労働に対してやる気が起きないため、見ていないところでは怠けていました。しかし、日本の捕虜たちはそんな中で、誰も見ていなくても黙々と働き続け、終了時間になっても「キリのいい所までさせて下さい」と申し出たそうです。最初、人々は日本人を手先が器用だ、仕上げが綺麗だという部分を評価していましたが、次第に、見えないところでも手を抜かないという部分に評価が変わっていきました。強制労働のはずなのになぜここまで力を入れて仕事をしたのでしょうか?それは何十年も残るオペラハウスなのに、後世で日本人が作ったものはいい加減なものだと言われるような、日本人として恥ずかしい物を残したくない、という思いがあったそうです。そして1947年、劇場が完成しました。
それから約20年後の1966年、タシケントで大きな地震が起こりました。市内の建物の3分の2が倒壊し、30万人が家を失いました。しかし、そのような中でナボイ劇場は倒壊せず、多くの人々の避難所となりました。現在でも、この劇場は当時の日本人の仕事と関係する場所として、現地で語り継がれています。その影響もあって、ウズベキスタンは1991年独立しますが、日本をモデルにした国づくりを始めたと言われています。
注目したいのは、未来が見えない中で、日本人捕虜たちはその日に与えられた仕事に全力で取り組んだことです。私たちは「これからどうなるのだろうか」「いつまで続くのだろうか」「なんで自分がこんなことをしなければいけないのだろうか」と、このようなことばかり考えて、目の前のことに集中できなくなることがあります。しかし、神様はダニエルに言われます。「あなたの道を行きなさい」そして「終わりまで行って休みなさい」そうすれば「あなたの分を受けるでしょう」と言われます。今日は、未来のすべてを知ることよりも、神様を信頼して、今日与えられた道を歩むことの大切さを学びたいと思います。
2。本文解説(1–13節)
① 苦難の中でも、神はご自分の民を守られる(1節)
11章では、ペルシャ、ギリシャ、北の王、南の王など、地上の王たちが登場しました。しかしそれで終わりません。大きな苦難が来ます。国が始まって以来の、かつてなかったほどの苦難の時が来ると、亜麻布の衣を着た人物は教えています。それと同時に、神の民を守るミカエルが立ち上がりること、「あの書」に名前が書かれた者は皆救われることも教えています。この「書」は、「いのちの書」と呼ばれる書物のことです。つまり、神様は本に名前を記すほど、自分の民をしっかり覚えているということです。大きな苦難は確実に私たちにやってきます。しかし、神様は誰がご自分のものであるかを知っておられるのです。
② 「多くの者」が目を覚ます――復活(2節)
ここでは死者の復活が語られています。しかし二つのグループに分かれます。永遠の命に至るグループと、恥辱を受けるグループです。つまり、人間の人生は死で終わるのではありません。最後には復活があり、神様の前で最終的な結末が明らかになります。ちなみに、「多くの者が目を覚ます」という表現があります。「多く」と聞くと「一部の人」という意味に感じますが、聖書では「多くの者」が非常に広い範囲、時には全体を指すように使われることがあります。ですから、ここを単純に「一部の人だけが復活する」と読むのではなく、終わりの日に死者が起こされ、神の前で最終的な運命が明らかになるという復活の教えとして理解することができます。新約聖書でも、イエスはヨハネ5:28–29で、「墓の中にいる者がみな」出て来ると教えられました。
③ 賢い者は星のように輝く(3節)
ここでは賢い者が出てきます。ここでいう「賢い者」とは、単に知識が多い人ではありません。ダニエル書における知恵とは、神を恐れ、神に忠実に生きることです。そして、自分だけが神様を信じるのではなく、「多くの人を義に導く者」とあります。つまり、他の人を神様へ導く人です。その人は、星のように輝くと教えています。地上の王たちの栄光は一時的です。しかし、神に忠実に生き、人々を神へ導いた人の働きは永遠に残るのです。
④ 今はすべてを理解する必要はない(4節)
このように話した後、亜麻布の衣を着た人物はダニエルに、終わりの時までこの言葉を秘密にするように教えました。その後、多くの者が調べ、知識を増すと言っています。これは誰にも分からないように隠しておきなさい、という意味ではなく、たとえ今は理解できなくても、神様の言葉を保存し、書き換えないようにしなさいという意味です。そして時がくれば、人々は調べ始め、意味が理解できるようになる、ということです。神様が神の国の民に求めているのは、全てを知り理解して受け入れることではなく、理解できなくても信頼して受け入れることです。
⑤「いつまでですか」というダニエルの質問(5–9節)
その後、ダニエルが見ていると、さらに2人の天の存在が出てきます。しかし、誰なのか、なんのために登場したのかは不明です。ダニエルは「この異常な出来事は、いつになって終るでしょうか」と亜麻布の衣を着た人物に尋ねます。これは私たちにもよくある質問です。しかし答えは、「ひと時とふた時と半時」、つまり3年半という期間でした。ダニエルは、理解できず、結末についてもう一度尋ねました。しかし答えは、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます」というものでした。つまり、ダニエルがすべてを理解することは求められていないということです。
⑥1,290日、1,335日(10–12節)
そして、多くのものが苦難を通して、神様の前で整えられていく一方で、悪を行う者は悟らないと教えています。善を行う者と悪を行う者の差がどんどん開いていくのです。そして荒らす憎むべき者が立ってから「1290日」が定められており、「1335日」に至る者は幸いだと教えています。これは歴史的には、アンティオコス4世エピファネスによる神殿の冒瀆や礼拝の中断、その後の回復と関連して理解されることがあります。ただし、本文だけから、この日数を具体的な日付に完全に当てはめることはできません。
1,290日は3年半に30日を加えた期間で、1,335日は1,290日よりさらに45日長い期間です。しかし、なぜ30日、さらに45日なのかについて、本文は詳しく説明していません。ですから、ここで大切なのは、数字を計算して終末の日を当てることではありません。重要なのは、「1335日に達する者は、さいわいである」と語っていることです。つまり、「いつまでですか」と尋ねても、そのすべてを理解できるわけではない。しかし、神の言葉を信じて待ち、最後まで耐え忍ぶ者は幸いであるということです。神はダニエルにすべての答えを与えたのではなく、「分からないことがあっても、終りまで信じて歩みなさい」と教えられたのです。
⑦ 「あなたは終りまで行きなさい」(13節)
そしてダニエル書最後の節です。「終りまであなたの道を行きなさい。休みに入りなさい。終りの日にあなたの分を受けるでしょう。」これはダニエル書全体の結論とも言えます。ダニエルは歴史を見ました。バビロンの王たち、ペルシャの王たち、ギリシャの王たち、そして様々な権力者たち。しかし最後に神様がダニエルに言われたのは、「すべてを理解しなさい」ではありません。「終わりまであなたの道を行きなさい」なのです(9、13節)。
3。適用
①「あなたの道を終りまで行きなさい」
イエス様は、「いつ神の国が来るのですか」と尋ねた弟子たちに、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるので、あなたがたの知る限りではない」と言われました。そして、「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」と言われました(使徒1:7–8)。つまり、「いつ終わるのか」は神様に任せ、「今、自分は何をするのか」に集中しなさいということです。
ダニエルも、終わりの時についてすべてを理解したわけではありません。12章8節で、「わたしは聞いたけれども悟ることができなかった」と言っています。それでも神様はダニエルに、「あなたは終りまであなたの道を行きなさい」と言われました。ダニエルは、未来を全部理解してから歩いたのではありません。分からないことがあっても、神様を信じて、自分に与えられた道を最後まで歩んだのです。
ナボイ劇場を建設した日本人捕虜たちについても、同じような姿を見ることができます。彼らは自分たちがいつ日本に帰れるのか、これからどうなるのか分かりませんでした。しかし、他の国の捕虜のようにサボるのではなく、目の前に与えられた仕事に取り組みました。仕事が終わる時間になっても、途中だからと作業を投げ出すのではなく、区切りのよいところまで仕上げてから終えるという姿勢が伝えられています。未来が分からなくても、今日与えられた仕事を忠実に行ったのです。
私たちも同じです。人生には、「いつまでこの状態が続くのか」「いつ祈りが答えられるのか」「これからどうなるのか」と分からないことがたくさんあります。しかし、神様は私たちに未来のすべてを説明してから歩ませるのではありません。「あなたの道を行きなさい」と言われます。私たちは、未来が見えないからといって不安になる必要はありません。神様が見えれば十分なのです。たとえ、未来を見通す上手な人のやり方をうまくコピーして上手に生きたとしても、それが神様から与えられた自分の道でないなら、果たしてそれは意味があるものなのでしょうか。ですから、今日祈るべきなら祈り、今日愛すべき人を愛し、今日すべき仕事をする。分からない明日は神様に委ね、神様から与えられた自分の道を一生懸命行くことが大切なのです。
②「すると、休みに入り、あなたの分を受けるでしょう」
そしてイエス様は、御自身に従う者について、「わたしの羊はわたしの声を聞き、わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従ってくる」と言われました(ヨハネ10:27)。イエス様は、私たちにただ最後まで頑張れと言っているのではありません。「わたしに従いなさい」と言われ、羊が羊飼いから休息を得るように、その歩みの先には神様が備えてくださったものがあります。
ダニエル12章13節でも、「あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」と言われています。ダニエルの地上での歩みには終わりがありました。しかし、それで神様との関係が終わるのではありません。「休みに入り」、そして「定められた日の終りに立って」、神様から「あなたの分」を受けるのです。つまり、今の忠実な歩みは決して無駄にはならず、神様が最後に覚えていてくださるという希望です。
ナボイ劇場の日本人捕虜たちも、自分たちの仕事が後の世代にどのように評価されるのかを知っていたわけではありません。ただ、その日に与えられた仕事を忠実に行いました。そのせいで、他の国の捕虜より苦労をたくさんしたのかもしれません。しかし、その働きは劇場という建物に残り、長い年月を経ても人々の記憶に残っています。確かに、忠実な仕事ぶりは全ての人の記憶に残るわけではありませんが、神様は決して忘れません。私達の人間には見えない忠実さまでも神様は見ておられます。
だから私たちは、「こんなに頑張っているのに何になるのか」と思わなくてよいのです。祈りも、奉仕も、家族を愛することも、誰にも知られない小さな忠実さも、神様は知っておられます。私たちのすることは、必ずしも今すぐ結果になるわけではありません。しかし、私たちの道には終わりがあり、その先には休みがあり、神様から与えられる「あなたの分」があります。だから、今は歩みましょう。最後まで歩みましょう。そして、最後は神様に委ねましょう。今は歩む時で、終わりには休む時がある。そして最後には、神様から与えられるものを受ける時が来ることを信じて下さい。
4。まとめ
私たちは、未来の全てを知ることができませんし、全てを知る必要もありません。ただ、神様を信頼して、今日与えられた「自分の道」を見つめ、最後まで歩めばよいのです。今は歩む時です。今日1日1日を忠実に生きて下さい。
そうすれば、その歩みの先には「休み」があり、神様が備えてくださった「あなたの分」があります。たとえ他人から見て無駄に見えるような人生だとしても、神様はあなたの忠実な歩みを見ています。だから、最後まで主に従って、自分の道を歩いていきましょう。

