20261007ホセアの結婚(ホセア1:2)📺
20261007水曜礼拝
聖書:ホセア1:2
題目:ホセアの結婚
賛美:309、310
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。
ホセア書 1:2 口語訳
1。ヤラベアム2世(前786−746)
北イスラエル王国は、ヤラベアム2世の時代に最盛期を迎えます。その41年間にもわたるヤラベアム2世の統治は、王国の中で最長であり、さぞ素晴らしかったのではないかと考えてしまいそうですが、そうではありません。そしてイスラエルが強かったから繁栄したのではなく、イスラエルを圧迫していたアラムとアッシリアの弱体化によるものでした。西に進出するアッシリアがアラム遠征を始めたおかげで、アラムは弱体化したのです。そしてさらに、北に位置するウラルトゥ王国との戦いによってアッシリア自体が疲弊し、さらには内部で王位継承争い、地方都市の反乱、バビロニアの反乱、疫病などで外部に目を向ける余裕がなくなっていたのです。そのため南のユダ王国も繁栄に預かっていました。これが北イスラエル王国の繁栄の目に見える要因です。
一方で、霊的な要因が列王記下14:24−27に書かれています。
「彼(ヤラベアム)は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。 彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである。 主はイスラエルの悩みの非常に激しいのを見られた。そこにはつながれた者も、自由な者もいなくなり、またイスラエルを助ける者もいなかった。 しかし主はイスラエルの名を天が下から消し去ろうとは言われなかった。そして彼らをヨアシの子ヤラベアムの手によって救われた。」
列王記下 14:23-27 口語訳
なんと預言者ヨナによって北イスラエルの繁栄が預言されていました。それは神様がイスラエルの悩みの非常に激しいのを見たからだとあります。繁栄の要因が、神様の前に正しく生きていたからでも、知恵と力に溢れていたからでもありません。神様の哀れみによるものでした。実際には、イスラエルはこれだけの繁栄が与えられていながら、大きな罪を犯していることをアモスは伝えています。
「わざわいなるかな、みずから象牙の寝台に伏し、 長いすの上に身を伸ばし、 群れのうちから小羊を取り、 牛舎のうちから子牛を取って食べ、 琴の音に合わせて歌い騒ぎ、 ダビデのように楽器を造り出し、 鉢をもって酒を飲み、 いとも尊い油を身にぬり、 ヨセフの破滅を悲しまない者たちよ。」
アモス書 6:4-6 口語訳
イスラエルの指導者たちは、国民を大事にしませんでした。アモスの言う「ヨセフの破滅」とは、北イスラエルの主要な民族であるエフライム部族がヨセフの子孫だからです。「悲しまない者たちよ」というのは、指導者たちが国民の苦しみに心を痛めていないことを批判しているのです。つまり、北イスラエルの繁栄は、彼らの信仰の状態にかかわらず、一方的な神の哀れみだという事がわかります。
2。ホセアの結婚
ヤラベアム2世の統治が終わりを迎える頃、神様はホセアを預言者として召命しました。ヤラベアム2世の死後、北イスラエルは滅亡する紀元前722年までの間、大混乱の時代を迎えますが、その時代を生きたのがホセアになります。同時期の預言者としてアモスがいますが、彼が北イスラエルの社会的な問題を指摘しながら神様の義を伝える役割が与えられました。一方で、ホセアは神様の愛を伝える役割を与えられました。
その伝える方法は、デブライムの娘ゴメルと結婚でした。神様は「淫行の妻と淫行によって生まれた子らを受け入れよ」と言っています(1:2)。この時、ホセアがゴメルがどんな人間かを知っていたのか、知らなかったのかは意見が分かれますが、ホセアは神様の言う通りにゴメルを妻として迎えます。そしてエズレルという名の男の子を授かります。名前の意味は種を撒く、または種を散らすと言う意味で、イスラエルが散らされることを伝えています。次にロ・ルハマという名の女の子を授かります。意味は「哀れみを受けない者」です。神様が、ユダとは違ってイスラエルは許さないということを伝えています。そして3人目にロ・アンミという名の男の子を授かります。意味は「私の民でない」です。あなたがた(イスラエル)は神の民ではなく、私(神様)はイスラエルの神ではないということを伝えています。そして、2人目3人目の子供はホセアの子かどうかはわかりません。
一般的に見ればホセアは、大変苦労する結婚生活を強いられました。しかし、その結婚に神様のメッセージが入っているのです。北イスラエルは繁栄の中にいましたが、「繁栄=神に愛されている、自分は上手くやっている」というわけではないという事を伝えています。神様は喜んでいるじゃなくて、不貞を働く妻のようなイスラエルに怒っている現状を伝えています。そしてそれと同時に、そんなひどい不貞をして裏切ったイスラエルが帰ってくるのを待ち望む神様の愛を、伝えているのです。
「しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。」
ホセア書 1:10 口語訳
神様はイスラエルとの関係を、ホセアとゴメルとの関係を通して、イスラエルの人々に伝え、イスラエルの人々が気づいて戻ってくるを期待して、ホセアを用いたのです。
3。適用
①神様と神の民との関係は、夫婦のような契約で結ばれた、愛し合う関係である。
神様は、父と母という概念の前に、夫と妻という概念を、結婚という制度を通してアダムとエバに与えました。夫は妻だけを愛し、妻は夫だけを愛するように、神様は神の民を愛し、民は神様だけを愛するのです。それ以外は不貞です。これを感情によるのではなく、結婚という契約によって作りました。契約と聞くと冷たく感じるかも知れませんが、誠実さを表しています。感情に振り回されてコロコロ変える愛ではなく、感情を超えた先で愛し続けるための契約です。イエスも自身を花婿だと表現しています。
「するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。」
マタイによる福音書 9:15 口語訳
ところが、この部分が日本人の宗教観と大きく合わない部分でもあります。日本では、伊勢の天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)などさまざまな神々が登場しますが、ある神を信じるために別の神を否定しなければならないという考えはありません。それぞれの場所と役割を持ちながら神々が共存しているのです。古事記の国譲り神話では、天照大神たちが大国主神に国を譲るように求めます。そして最終的に大国主神は国を譲る代わりに、私のために立派な宮殿を立ててくださいとお願いします。その結果、天照大神は国の支配を担い、大国主神は祭祀の役割を担うようになりました。つまり、いろんな神様がいていいのです。だから、あの神様を大切にして、この神様も大切にしていいのです。そのような世界観の中で「和」というものが大切にされてきました。
しかし、聖書の神様は「私のほかに、他の神々があってはならない」と言います。「私も大切にしてください」と言われる神様ではないのです。なぜなら神様と神の民の関係は単なる「信仰」だけの関係ではなく、契約に基づく「愛」によって結ばれた関係だからです。日本的な「和」は違いを認め共存することで得られるものですが、聖書的な「和」は神様との正しい関係の中で得られるものなのです。性質が違うのです。
例えば、夫が妻も愛して他の女性も愛していたら大問題です。夫が「妻だけ」を愛するのが、結婚なのです。「妻も」愛するのは結婚と言えません。その結婚には「和」がなくなります。キリスト教の人々は心が狭いと言われますが、そうではないのです。結婚した夫婦のように同じように「聖書の神様だけ」を愛するのが聖書のいう信仰の形なのです。
しかし、実際イスラエルの民も、多神教国家の影響を受けて、信仰の形が歪められてしまいました。その結果、彼らの信仰は「イスラエルの神様も愛する」というようになってしまったのです。実際彼らはバアルの神も礼拝していました。それを神様は「不貞」だとホセアの結婚を用いて教えているのです。
②神様は不貞を犯した私たちを、それでも愛している。
ホセアを通して、神様が伝えたいことは、単に怒っているということだけではありません。民の不貞に怒ってはいるが、神様はこの壊れた関係の回復を諦めていない、と言うことです。
もし、自分の夫が、妻が不倫をしていた事がわかったら皆さんはどうしますか?ほとんど人は許せない、離婚だとなります。なぜなら契約までして結んだ愛を裏切ったわけですから、離婚が当たり前で当然です。神様も当然起こりました。「ロ・ルハマ」「ロ・アンミ」とホセアの子供に名付けました。「憐れまない」「私の民でない」というのは私たちの不貞の結果であり、神様の怒りは最もです。「不倫程度で怒らないで許してあげなよ」とは言うことはできません。それは結婚というものを誤解しています。結婚は自由な恋愛関係ではなく契約です。単に好きな人を選ぶ恋愛とは違い、相手に対して忠実であり続けるという意思があります。だから不倫は大きな裏切りとなるのです。
しかしイエスは、次のように言っています。
「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」
ルカによる福音書 15:7 口語訳
神様は1人でも悔い改めるなら、それを神様はとても喜ぶと言っています。もちろん99人の救いを軽く見ているわけではありません。しかし、1人でも悔い改めて救われることを強く望んでいるのがわかります。神様は、不貞の民に対してとても怒っていました。その怒りが北イスラエルにも南のユダにも降り注ぎました。しかし、それは罰を与えて終わりではなく、悔い改めて戻ってくるためでした。昔も今も、神様は、罪人を待っているのです。帰ってきた罪人を責めるためではなく、抱きしめるために待っているのです。これが神様の愛です。
4。まとめ
北イスラエルの繁栄は、民の正しさによるものではなく、神様の哀れみによるものでした。それに気付かず罪を犯し続けるイスラエルに、神様はホセアという預言者を送り、ゴメルと結婚させます。それはホセアはゴメルとの結婚を通して、不貞を犯したイスラエルの罪を示すと同時に、裏切った民が悔い改めて帰ってくることを待つ神様の愛を示すためです。
私たちは北イスラエルの民のように、神様以外のものに心を向け、神様との契約を裏切っていませんか?もし心当たりがあるなら、悔い改めて神様に戻りましょう。神様は悔い改めて帰ってくる一人の罪人を喜んで抱きしめるために待っています。私たちは神様に立ち返り、そしてホセアのように自分の人生を用いて人々に神様の愛を伝える者になるよう、皆様を祝福します。


