20260810日本を知り、共にいる宣教(使徒17:22-23)

20260810月曜祈祷会

聖書:使徒17:22-23

題目:日本を知り、共にいる宣教

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。 「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。 実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。」

‭‭使徒行伝‬ ‭17‬:‭22‬-‭23‬ 口語訳‬

1。イントロダクション

 愛する清州平和教会の宣教チームの皆さん、ようこそ大阪に来てくださいました。皆さんが日本に来ることは、単なる旅行ではありません。また、自分の経験を増やすための活動でもありません。宣教とは、神様がすでに働いておられる場所に、私たちが参加させていただくことです。

 私たちは時々、宣教をするときに「自分が何をしたか」を中心に考えてしまいます。「何人にチラシを配った」「何人に声をかけた」「どんなプログラムをした」もちろん、それも大切です。しかし、本当に見るべきものは、「私が何をしたか」ではなく、「神様がこの場所で何をなさっているか」です。

 パウロはアテネに行った時、すぐに大声で福音を語ったのではありません。まず町を歩き、人々を観察しました。そして、その文化の中にある神への渇きを見つけました。「知られざる神へ」という祭壇を見て、そこから福音を語ったのです。

 日本も同じです。日本には多くの文化があります。礼儀があります。秩序があります。相手を思いやる心があります。しかし同時に、霊的には福音を必要としている国です。日本は経済的には豊かな国ですが、福音を知らない人が多い国です。だから日本宣教では、「上から教える」という姿勢ではなく、「共に歩む」という姿勢が必要です。

2。本文解説

パウロはまず「観察する人」になった

 使徒17章16節を見ると、「パウロはアテネで町が偶像で満ちているのを見て、心に憤りを感じた」とあります。ここで重要なのは、パウロはただ怒っただけではないということです。彼はアテネの町を歩き、人々の生活を見ました。そして彼らが何を信じ、何を大切にしているのかを観察しました。その結果、パウロはアテネの人々に対して、「あなたがたは、あらゆる点において宗教心に富んでおられる」と言いました。これは彼らの偶像礼拝を認めたという意味ではありません。福音を伝えるためには、まず相手を知る必要があるということです。パウロは相手を批判する前に、相手を理解しようとしました。宣教は、相手を知らずに自分の考えを伝えることではありません。まず見ること、聞くこと、理解することから始まります。

 日本宣教においても同じです。日本に来て、「なぜ日本人は教会に来ないのか」「なぜ韓国のように信仰が熱くないのか」と考えるなら、日本人の心に届く宣教は難しくなります。まず日本人が何を大切にしているのか、何を恐れているのか、何を求めているのかを見る必要があります。なぜなら、その視点には「自分たちの文化が基準になっている」危険があるからです。宣教とは、自分の文化や方法を相手に持って行くことではありません。まず相手を理解し、その人々の中で神様がどのように働いておられるのかを見ることです。日本人は、韓国人とは違う表現方法で人生の意味を探しています。信仰を公に表すことには慎重ですが、心の深いところでは「何か自分を超えた存在」「人生の意味」「本当の安心」を求めています。日本人が大切にする「和」、人に迷惑をかけない心、責任感、誠実さ、家族や先祖を大切にする思いの中にも、人間が本来持っている神への求めを見ることができます。

パウロは文化を理解する人になった

 パウロはアテネの文化を理解しました。アテネはギリシャ哲学の中心地であり、多くの神々が祭られている町でした。パウロは、その文化を無視して福音を語ったのではありません。彼はアテネの人々が理解できる言葉を用いました。彼らが知っている詩人の言葉を引用し、「私たちは神の中に生き、動き、存在している」と語りました。しかし、パウロは文化に合わせるために福音を変えることはしませんでした。彼は創造主なる神を語り、最後にはイエス・キリストの復活と悔い改めを伝えました。つまり宣教とは、文化を否定することでも、文化に合わせて福音を変えることでもありません。文化を理解しながら、変わらない福音を伝えることです。

 日本宣教でも同じです。韓国には韓国の良さがあります。情熱があります。祈りがあります。行動力があります。しかし、日本には日本の文化があります。日本では急激な変化よりも、信頼関係を大切にします。強いリーダーシップで押し進めるよりも、共に歩む姿勢が求められます。だから日本宣教では、「早く結果を出すこと」よりも、「時間をかけて信頼を築くこと」が重要です。

パウロは文化の中にある「接触点」を見つけた

 パウロはアテネの文化の中に、福音を伝える入口を見つけました。23節を見ると、「『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた」とあります。アテネの人々は多くの神々を信じていました。しかし、彼らは「知られない神」のための祭壇まで作りました。

 これは、彼らの中に神を求める心があったことを表しています。しかし、本当の神を知らなかったのです。パウロはそこを利用しました。「あなたたちは間違っている」「全部捨てなさい」と言うのではなく、「あなたがたが知らずに拝んでいる方を、私は知らせましょう」と言いました。パウロは、相手の文化の中にある神への渇きを見つけ、そこから福音を語ったのです。

 日本も同じです。日本は「無宗教の国」と言われます。日本人自身も自分たちは無宗教だと言います。しかし、実際には目に見えないものへの関心があります。初詣、お守り、おみくじ、七五三、地鎮祭、お盆、墓参りなど、人生の節目には宗教的な行動があります。また、「罰が当たる」「先祖を大切にする」「自然には特別な力がある」という考えもあります。日本人は何も信じていないのではありません。むしろ、人間を超えた何かを求めています。しかし、その本当の神をまだ知らないのです。だから日本宣教に必要なのは、「日本人には宗教心がない」と決めつけることではありません。パウロのように日本文化を観察し、日本人の心の中にある求めを理解し、その中から福音の接触点を見つけることです。宣教とは文化を壊すことではありません。神様がすでに働いておられる場所を見つけ、そこからキリストを伝えることです。

3。清州平和教会宣教チームへの3つのお願い

日本を知る宣教になってください

 日本は他の国と同じ方法では届きません。韓国で成功した方法が、そのまま日本で成功するとは限りません。日本人は関係を大切にします。信頼するまで時間が必要です。だから、「なぜすぐ反応しないのか」「なぜ教会に来ないのか」と考えるのではなく、「この人はどんな人生を歩んできたのか」「この人は何を大切にしているのか」を知ってください。

 以下に例の一部を記載しますので、参考にしてください。

【日本と韓国のお金文化の違い】

韓国:スピード重視の文化

  • 便利・効率・新しいものを早く取り入れる事を重視した。
  • ITインフラが急速に発達した。

日本:目に見える証拠重視の文化

  • 日本は昔から現金=確実で安心なものという考えが強くありました。
  • 治安が良く、現金を持ち歩いても盗まれるリスクが比較的低かった。
  • お金のやり取りでは、目に見える形で渡すことが誠実・確実という感覚があります。

韓国は「変化を早く受け入れる文化」→ 便利さ・効率・スピードを重視する

日本は「信頼できるものを大切にする文化」→ 安心・確実性を重視する

という違いがあります。

「何をしたか」ではなく「神様が何をされたか」を見てください

 短期宣教では、結果を求めやすくなります。「何人に声をかけた」「何個配った」「どれだけ活動した」しかし宣教は成果を自分の手柄にするものではありません。大切なのは、「この場所で神様は何をしておられるのか」を見ることです。皆さんが日本に来た目的は、日本を変えるためではありません。神様がすでに愛しておられる日本の人々と共に歩くためです。宣教は自己満足ではありません。「私はこれだけした」ではなく、「神様が私を通して何をされたか」を見ることです。

【日本のキリスト教の歴史】

・1549年、フランシスコ=ザビエルによって、キリスト教が伝えられた。

 多い時期で30万人(人口が1,200万人前後だと人口の約2.5%)

・1614年、キリスト教禁止令以降、隠れキリシタンが信仰を守っていった。

・1873年以降、禁教令が解除され、宣教師たちによって、新たに教会が建てられた。

 その後、日本人信仰者たちが日本社会の近代化に影響を与えた。

【現代日本の教会】

・人口の1%未満(宗教年鑑2020)

 プロテスタント60万+カトリック40万=100万

 エホバの証人、統一教会、モルモン教=100万

 東京と神奈川で60万(プロテスタント+カトリック)

 教会の数は1位大阪2550、2位東京2342、3位兵庫2053

・次世代クリスチャンの現象(東京基督教大学)

 日曜学校出席者:96人/教会(1951)→5人/教会(2020)

 洗礼者:10.7人/教会(1950)→0.5人/教会(2020)

・クリスチャンの高齢化(東京基督教大学)

 60代以上の聖徒:63%(2014)

 牧師の平均年齢:67.8歳(2015)

・隠れクリスチャン(Pew Research Center 2020)

 280万人(プロテスタント+カトリック)2.3%

日本人と共にいる宣教をしてください

 最高の宣教とは、何か大きなことを成し遂げることではなく、人々と共に歩むことです。パウロはアテネで宣教しました。しかし、アテネに長く滞在することはできませんでした。また、人間的な目で見るなら、大きなリバイバルが起こったわけでもありません。信じた人は少数でした。

 しかし、パウロの宣教から学ぶべき大切なことがあります。それは、場所や文化が変わっても、人々を愛し、その人々の中に入って共に歩もうとした姿勢です。パウロはこう言いました。「弱い人には弱い者となった。弱い人を得るためである。すべての人に対して、すべてのものとなった。それは、何とかして幾人かを救うためである」(Ⅰコリント9:22)。これは福音を変えるという意味ではありません。相手を理解し、相手の立場に立ち、愛をもって近づくということです。

 イエス様も同じでした。イエス様は遠くから人間を救おうとされたのではありません。私たちと同じ人間の姿を取り、この地上に来てくださいました。そして人々と共に食事をし、涙を流し、痛みに寄り添われました。宣教とは、ただ何かをすることではありません。共にいることから始まります。

 日本は逃げ場のない島国であること、地震や台風などの災害が多く助け合いが必要なこと、「恥」に敏感な文化があることから、日本人は、迷惑をかけず支え合う事を非常に大切にします。もちろん短期宣教には限界があり、数日間で一生を共にする関係を作ることはできません。しかし、日本人は距離ではなく、心のつながりも大切にします。日本を離れた後も祈ること。覚えていること。連絡を取り続けること。また会いに来ること。そのような「離れていても共にいる」という関係を、日本人も大切にします。

 宣教チームの皆さん、日本に来て「何をしたか」だけを考えないでください。「この人たちと共に歩んだか」「この人たちを愛したか」「神様がこの関係の中で何をしてくださったか」を大切にしてください。宣教師は主人公ではありません。主人公はイエス・キリストです。私たちは日本人の人生に一時的に現れる人ではなく、神様の愛を伝えるために共に歩む者として召されています。

4。まとめ

 皆さん、日本に来てくださることを心から感謝します。しかし覚えてください。皆さんが日本に来たのは、日本人に何かを教えるためだけではありません。神様が日本でなさっている働きを見るためです。宣教とは、神の宣教に参加することです。

 今日覚えていただきたい3つのことがあります。第一に、日本を知ること。第二に、自分が何をしたかではなく、神様が何をされたかを見ること。第三に、日本人と共に歩むこと。宣教の主人公は私たちではありません。父なる神様が計画され、御子イエス様が命を与え、聖霊様が導かれる働きです。

 清州平和教会の皆さんが大阪に来られるこの時間を通して、「日本を変えた人」ではなく、「日本で神様が働かれることに参加した人」として帰ることを願います。

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