20260826四つの獣と人の子(ダニエル7:13-14)📺
20260826水曜礼拝
聖書:ダニエル7:13-14
題目:4つの獣と人の子
賛美:542、545
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、 見よ、人の子のような者が、 天の雲に乗ってきて、 日の老いたる者のもとに来ると、 その前に導かれた。 彼に主権と光栄と国とを賜い、 諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。 その主権は永遠の主権であって、 なくなることがなく、 その国は滅びることがない。」
ダニエル書 7:13-14 口語訳
1。イントロ―悪魔が最も嫌う人
皆さん、悪魔が最も嫌う人とは、どのような人でしょうか。お金をたくさん持っている人でしょうか。社会的に大きな力を持っている人でしょうか。頭が良く、能力のある人でしょうか。このような人が信仰を持てば教会を大きくすることができるから、悪魔は嫌がるでしょうか。そうではありません。
悪魔が恐れるのは、最後まで神様に忠実な人です。なぜなら、その人は脅されても神を捨てず、苦しめられても信仰を捨てず、死を前にしてもキリストを否定しないからです。考えてみてください。信仰を持って生きている時、サタンは私たちを誘惑することができます。恐れを与え、疑いを持たせることができます。しかし、キリストを信じて最後まで信仰を守り、死に至った聖徒に対して、サタンはもうその人の救いを奪うことができません。
だから聖書は、死に至るまで忠実であることを教えています。イエスも言いました。「からだを殺しても、たましいを殺すことのできない者どもを恐れてはいけません」(マタイ10:28)。そしてイエスはこうも言っています。「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去ることはありません」(ヨハネ10:28)。
今日のダニエル7章は、まさにこのことを私たちに教えています。ダニエルが見た世界は、非常に恐ろしい世界でした。海から恐ろしい獣が次々と現れます。強大な王国が現れます。小さな角が聖徒たちに戦いを挑みます。神に逆らう者が高ぶります。ダニエル自身も、その幻を見て非常に悩み、顔色が変わりました。しかし、ダニエル7章が最後に私たちに見せるものは、獣ではありません。王座です。そして、その王座に座っておられるのは神様です。そして最後に永遠の王国を受け取るのは、「人の子のような方」―私たちの主イエス・キリストです。
ですから今日、私たちが考えたいことは、「恐ろしい世界の中で、私たちはどのように信仰を守って生きるのか」ということです。
2。本文解説
① ベルシャザルの元年に見た幻
ダニエル7章1節には、「バビロンの王ベルシャザルの元年に、ダニエルは夢と、頭の中に浮かんだ幻とを見た」とあります。ベルシャザルの元年は、バビロンが滅亡する紀元前539年より、およそ14年前と考えられます。ダニエルはおよそ70歳頃だと考えられます。若い時にバビロンへ来たダニエルが、長い年月を生きて、再び世界の王国についての幻を見るのです。
興味深いのは、2章ではネブカデネザルが巨大な像を見ましたが、7章ではダニエル自身が四つの獣を見たことです。どちらも基本的には同じ世界帝国の流れを示しています。しかし、見え方が違います。人間から見ると、帝国は輝かしい巨大な像です。しかし神様の視点から見ると、人間の王国は獣のように見えるのです。なぜでしょうか。人間の王国は、力を求め、高ぶり、神に逆らい、他者を支配し、時には聖徒を迫害するからです。
② 海から上がって来る四つの獣
ダニエルは海から四つの獣が上がって来るのを見ました。聖書において海は、しばしば人間には制御できない混沌や荒々しい世界を思わせる象徴として用いられます。つまりダニエルが見たのは、「この世界を人間が支配しているように見えるけれども、その背後では恐ろしい力が動いている」という世界です。
第一の獣:獅子のような獣
第一の獣は獅子のようで、鷲の翼を持っていました。これはバビロンを指しており、特にネブカデネザルを象徴しています。「翼は抜き取られ、地から起こされて、人のように2本の足で立たせられ、人の心が与えられた」とあります。これは、高ぶっていた王が神の前にへりくだるようになったダニエル書4章の出来事を表していると考えられます。どれほど強い王でも、自分自身が神になることはできません。人間の力には限界があることがわかります。
第二の獣:熊のような獣
第二の獣は熊のようで、口には三本の肋骨をくわえていました。これはバビロンに続くメド・ペルシアを指しています。熊は獅子ほど速くはありませんが、非常に強力な動物です。三本の肋骨は、メド・ペルシアが次々と諸国を征服していく姿を象徴すると理解できます。ここでも重要なのは、「起き上がって、肉を喰らえ」との声があった事です。声の主は不明ですが、はっきりしていることがあります。力強いメド・ペルシアも、自分勝手に支配しているのではなく、命令される立場だったという事です。
第三の獣:豹のような獣
第三の獣は豹のようで、背中には四つの翼があり、四つの頭を持っていました。これはギリシャを指しています。豹は非常に速い動物です。四つの翼は、その帝国の急速な拡大を象徴しています。4つの頭は、アレクサンドロス大王によって急速に拡大したギリシャ帝国が、彼の死後、4つに分割支配されるようになった事を示していると理解できます。しかし、ここでも中心は歴史の細かな数字ではありません。神様は、どの帝国が現れ、どの帝国が滅びるのかを知っておられる、ということが重要です。
第四の獣:最も恐ろしい獣
そして第四の獣です。これは、それまでの獣とは比較にならないほど恐ろしいものでした。鉄の歯を持ち、十本の角を持っていました。ダニエルはこの獣について、「恐ろしい、ものすごい、非常に強い」と表現しています。これは歴史的にはローマ帝国を指していると理解されています。十本の角は、その巨大な政治的・軍事的力を象徴しています。しかし、問題はその中から出て来た「小さな角」です。この角には、人間のような目と高ぶったことを語る口があります。そして神に逆い、聖徒たちに戦いを挑みます。つまり、ここには単なる政治権力ではなく、神様に対抗する反キリスト的な力が描かれているのです。この世界には、神様を認めず、人間を神様の位置に置こうとする力があります。そして、その力は最終的に聖徒を攻撃します。
③しかし、ダニエルが見た最後の光景は「獣」ではなかった
ここがダニエル7章の最も重要なところです。ダニエルが恐ろしい獣を見ている時、突然、場面が変わります。「日の老いたる者」が座られます。王座が設けられます。裁判が始まります。つまり地上では、「誰が一番強いのか?」という戦いが行われています。しかし天では、「神様がすべてを裁いておられる」のです。地上では獣が勝っているように見えます。しかし天では、神様が王座に座っておられます。地上では小さな角が聖徒を迫害します。しかし天では、裁きがすでに始まっています。だから、私たちは目の前の状況だけを見てはいけません。地上だけを見ると恐ろしくなります。しかし天を見上げるなら、神様がすべてを支配しておられることが分かります。
④ 人の子のような方――イエス・キリスト
そしてダニエル7章13節に、決定的な人物が登場します。「見よ、人の子のような方が、天の雲に乗って来られた。」この「人の子のような方」に、「主権と栄光と国が与えられ」ます。そして、「その主権は永遠の主権であって、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」とあります。これは新約聖書でイエスがご自分を「人の子」と呼ばれたことと非常に深くつながっています。
イエスは、地上で苦しみを受けられました。十字架にかけられました。人々から拒絶されました。しかし、十字架が最後ではありませんでした。復活され、天に上げられ、父なる神の右に座し、王となられました。だからダニエル7章のメッセージは、「獣が最後に勝つ」ではありません。「人の子が最後に王となる」ということです。
3。適用:恐ろしく見える世界で、私たちはどう生きるのか
① 敵がどれほど恐ろしく見えても、最後には神様が勝つと信じましょう。
ダニエルは恐れました。28節には、幻を見たダニエルが非常に悩み、顔色が変わったことが記されています。それは当然です。私たちが同じ幻を見たとしても、恐ろしく感じるでしょう。しかし、ダニエル7章を最後まで読むなら、私たちは恐れの中で終わる必要はありません。なぜなら、最後に王座に座っているのは獣ではないからです。神様が王座に座っておられます。
そして最後に王権を受けるのは、人の子なるキリストです。イエスは言われました。「あなたがたは、世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」(ヨハネ16:33)。ここが私たちの希望です。世の中が恐ろしくても、私たちは恐れに支配されなくていいんです。人が私たちを攻撃しても、神様を疑わないで下さい。迫害があっても、キリストから離れないで下さい。最後には必ず神様が勝つのですから。
② 最後までキリストから離れないことが私たちの勝利です。
サタンの目的は、人間を神様から引き離すことです。そのために攻撃します。「神なんて本当にいるのか?」「祈っても何も変わらないではないか。」「なぜ自分だけこんな目に遭うのか。」そのように私たちの心に疑いを入れるのは、神様との関係を壊すためです。しかし、私たちは覚えなければなりません。サタンはすでにキリストに敗北しています。だから私たちが勝利する方法は、サタンより強くなることではありません。キリストから離れないことです。イエスは、「わたしの羊たちはわたしの声を聞き、わたしは彼らを知っています。そして、彼らはわたしについて来ます」と言われました。
最後まで主の声を聞き、主について行く。それが聖徒の勝利です。たとえ攻撃によって私たちが死に至ることがあったとしても、キリストにある救いをサタンが奪うことはできません。悪魔は死をもって脅してきますが、逆に死をもって私たちの信仰を終わらせることはできないのです。信仰のせいで死ぬことを恐れてはいけません。信仰を持って死を迎えることは勝利なのです。
③ 御言葉を握りしめ、祈り、イエスを伝えて生きよう。
では、私たちはどうやって最後まで信仰を守るのでしょうか。肉の力ではありません。人間の知恵でもありません。お金でもありません。政治的な力でもありません。私たちの武器は、神様から与えられたものです。そして、その中心にあるのが御言葉と祈りです。御言葉によって、何が真理で何が偽りなのかを見分けます。イエスも荒野の40日の試練で、御言葉をもって悪魔に対抗しました。そして、祈りによって、神様に助けを求めます。イエスもゲッセマネの園で祈り、自分の心を神様に合わせ、自分の道を進んでいきました。だから、祈りは弱い人がする最後の手段ではありません。祈りは、神の民が使う霊的な武器です。私たちが祈る時、サタンの計画ではなく、神の御心がこの地上で進んでいきます。
もう一つ大切なのは、福音を伝えることです。サタンは人を神様から遠ざけようとします。ならば、私たちはその反対をするのです。神様から離れている人に、キリストを伝える。希望を失った人に、福音を伝える。罪の中にいる人に、救い主を伝える。イエス様は復活された後、弟子たちにこう命じられました。「それゆえ、行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)。福音を伝えることは、単なる教会活動ではありません。神の国を広げる働きです。サタンが人を神から遠ざけようとするなら、私たちは福音によって人をキリストへ導くのです。伝道はただの聖徒の義務ではなく、悪魔の計画を邪魔する武器なのです。だから私たちは恐れて黙っているのではなく、御言葉を読み、祈り、福音を伝えるのです。
4。まとめ
世界が恐ろしく見える時、私たちが思い出すべきことがあります。地上の獣ではなく、天の王座に座っておられる神様を見上げてください。なぜなら今は獣たちが勝利しているように見えても、最終的に勝利を収めるのは神様だからです。
私たちの勝利は、生き延びる事ではなく、キリストから離れないことです。死に至るまで神様に従順ならば、悪魔に負けることはありません。
そして御言葉を握り、祈り、イエスを伝えてください。悪魔に負けないための秘訣です。その時がくれば、人の子であるイエス・キリストが永遠の王として勝利し、私達はその御国を受け継ぐ者になります。神様を見上げて、最後まで離れず生きていきましょう。

