20260718ヘロデ・アンティパス―聞いても変えない者(マルコ6:14-20)
20260718土曜祈祷会
聖書:マルコ6:14-20
題目:ヘロデ・アンティパス―聞いても変えない者
賛美:259
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。 それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。 そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。」
マルコによる福音書 6:14-20 口語訳
1。ヘロデ・アンティパス
今回は、ヘロデ大王の息子であるヘロデ・アンティパスを見ていきます。ヘロデ大王が死ぬ前、彼は遺言で王国を三人の息子:アルケラオ、アンティパス、フィリッポに分けました。しかし、最終的にそれを承認したのはローマ皇帝アウグストゥスでした。アルケラオはユダヤ・サマリヤを治めましたが、暴政のため後に追放されました。アンティパスはガリラヤとペレヤの領主となり、イエスが宣教活動した地域を治めました。フィリポは北東地域を統治し、比較的平和な統治者として知られています。
今日の主人公であるヘロデ・アンティパスは、洗礼者ヨハネを殺害した人物であり、後には裁判の際にイエスとも対面します。イエスは彼を「あのきつね」(ルカ13:32)と呼美ました。これは狡猾で、自分の利益や立場を守ることに長けた人物であったことを表しています。しかし一方で、彼には神の言葉を聞こうとする心も残っていました。その矛盾した姿が、今日の聖書箇所に描かれています。
2。本文解説(マルコ6:14–20)
① 良心は神の言葉を忘れない(14–16節)
イエスの評判が広がると、ヘロデは「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ」と言いました。ヨハネは本当によみがえったのではありません。しかしヘロデの心には、ヨハネを殺した罪が深く刻まれていました。人は人をごまかすことはできても、自分の良心をごまかすことはできません。罪は隠しても消えるのではなく、悔い改めることによってのみ赦されます。
② 真理を知っていても従わなかった(17–18節)
ヘロデは兄弟の妻ヘロデヤを奪って妻としました。洗礼者ヨハネは王であっても恐れることなく、「あなたが兄弟の妻をめとることは、律法で許されていない。」とはっきり罪を指摘しました。ヨハネは王に迎合せず、神の言葉をそのまま語りました。神のしもべは、人に喜ばれることよりも神に忠実であることが求められます。
③ 喜んで聞いても、従わなければ意味がない(19–20節)
ヘロデヤはヨハネを憎み、殺そうとしていました。しかしヘロデはヨハネを「義人であり聖人である」ことを知っていました。さらに聖書は、「喜んで聞いていた」と記しています。ヘロデはヨハネの説教が嫌いではありませんでした。むしろ興味を持ち、心を動かされていました。しかし彼は、ヘロデヤとの関係を断ち切ることはしませんでした。聞くことは好きでしたが、変わることは望みませんでした。その結果、最後には自分の面子を守るためにヨハネを殺してしまいます。
3。適用:聞くことを喜ぶより、変わることを喜ぼう
私たちもヘロデのようになる危険があります。礼拝に出席し、説教を聞いて、「今日は良い話だった」と思うことはできます。しかし、神の言葉を聞くだけで終わり、生活が何も変わらなければ、その御言葉は実を結びません。神様が願っておられるのは、「よく聞いた」ということではなく、「御言葉によって変えられた」ということです。
「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。」
ルカによる福音書 6:46 口語訳
私たちは御言葉によって罪を示されたなら、素直に悔い改める者でありたいと思います。「主よ、私の罪を示してください。示されたなら、従う力も与えてください。」そのように祈る人を、神様は必ず新しくしてくださいます。自分の力ではできなくても、神様にはできます。だから心を固く閉ざすのではなく、開いて祈るのです。そうすれば神様は助けてくださいます。
4。まとめ
ヘロデはヨハネの説教を喜んで聞きましたが、悔い改めることはありませんでした。その結果、神の言葉を退ける人生となってしまいました。私たちは聞くだけの信仰ではなく、御言葉によって変えられる信仰を求めましょう。あなたは今日、神の言葉を「聞いて終わる人」ですか。それとも、神の言葉によって「変えられる人」でしょうか。


