20260719誰に権威を置くか?(使徒4:18-21)📺

20260719日本語礼拝

聖書:使徒4:18-21

題目:誰に権威を置くか?

賛美:86、469、620(1,2)

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。 ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。 わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。 そこで、彼らはふたりを更におどしたうえ、ゆるしてやった。みんなの者が、この出来事のために、神をあがめていたので、その人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。」

‭‭使徒行伝‬ ‭4‬:‭18‬-‭21‬ 口語訳‬

1。アンナス一族

 今日は裁判の場面です。裁判を行ったのはサンヘドリンです。サンヘドリンは七十一人で構成されるユダヤ最高議会であり、宗教裁判を行う権限を持っていました。その中心にいたのが大祭司アンナス一族です。

 ヘロデ大王の死後、イスラエルは三つに分割されました。アルケラオがユダヤ・サマリヤ、アンティパスがガリラヤ・ペレヤ、ピリポが北東地域を統治しました。しかしアルケラオはすぐに失脚し、ユダヤ地方はローマ人総督の直轄となります。

 つまりエルサレムでは、政治はローマ、宗教はサンヘドリン。このような体制になりました。ローマは宗教問題にはできるだけ介入したくありません。暴動さえ起こらなければよかったのです。そのためローマは大祭司を任命し、ユダヤ人を支配しました。その代表がアンナスです。アンナスは退任後も、自分の五人の息子と娘婿カヤパを次々に大祭司にし、およそ半世紀にわたって神殿を支配しました。イエスが裁判を受けたときも、最初に連れて行かれたのはアンナスの家でした。またアンナス一族は神殿の商売を支配し、多くの巡礼者から利益を得て非常に裕福になっていました。

 彼らは宗教指導者でしたが、その関心は神よりも権力にありました。さらに彼らはサドカイ派でした。サドカイ派は復活も天使も信じません。合理的で現実的な考え方を持ち、政治と宗教の権力を握る支配階級でした。

 そのアンナス一族の前に、ガリラヤの漁師二人が立たされます。人間的に見れば勝負になりません。しかし神様はここで、本当の権威がどこにあるのかを明らかにされます。

2。本文解説

背景

 三章で、生まれつき足の不自由な男性が癒されました。四十年以上歩いたことのない人です。彼は神殿の「美しい門」で施しを求めていました。ペテロは言いました。「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」すると男は立ち上がり、歩き、飛び跳ねながら神を賛美しました。

 人々は驚きました。しかしペテロは自分を誇りませんでした。「私たちの力でも信仰深さでもありません。」「イエス・キリストがこの人を癒されたのです。」本当の神のしもべは、自分を見せません。いつもキリストを指し示します。信仰とは奇跡を見ることによって生まれるものではありません。神の言葉を聞くことによって与えられるものです。

 その結果、多くの人が信じました。五千人です。これはサンヘドリンにとって重大事件でした。敵として処刑したイエスの弟子たちが、エルサレムで五千人もの信者を生み出したのです。そこで彼らはペテロとヨハネを捕らえました。

 しかし理由に困りました。癒された人はそこに立っています。誰も奇跡を否定できません。そこで彼らは「何の権威によって行ったのか。」と尋ねました。ペテロは聖霊に満たされ、「あなたがたが十字架につけ、神が死人の中からよみがえらせたイエス・キリストの名による」とはっきり証言しました。

18〜21節

 そこで彼らは結論を出します。イエスの名だけは語るな。ここが重要です。彼らは復活について議論しませんでした。なぜでしょうか。サンヘドリンには復活を信じるパリサイ人もいたからです。内部対立を避けたかったのです。そこで共通の敵である「イエスの名」を禁止しました。

 しかしペテロは答えます。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい」、そして「私たちは見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない」と言いました。

 これは反抗ではありません。神への従順です。人間の権威には限界があります。神の命令と人の命令が衝突するとき、神に従う。それが弟子の姿です。サンヘドリンは彼らをさらに脅しました。しかし罰することはできませんでした。癒された人がそこに立っていたからです。神の業は誰も否定できませんでした。

ペテロとヨハネはなぜ変わったのか?

 ここで四年前を思い出してください。イエスが裁判を受けた夜です。同じアンナス一族。同じ裁判。同じ危険。そのときペテロはどうでしたか。女門番一人を恐れ、「イエスを知らない。」と三度否認しました。

 ところが今は違います。七十一人の最高議会の前で堂々と証言しています。何が変わったのでしょうか。能力でしょうか。経験でしょうか。違います。聖霊です。ペンテコステの日、聖霊に満たされたペテロは別人になりました。自分を守る人から、神の栄光を求める人へ変えられたのです。

3。適用

 ここで重要なのは、神に権威を置いて生きるか、人に権威を置いて生きるか、です。今日の裁判には対照的な二つのグループがいます。一方はアンナス一族。権力者です。もう一方は漁師二人。学問も地位もありません。人間的には勝負になりません。しかし最後に恐れていたのは誰でしょうか。権力者の方でした。人々の目を恐れました。ペテロたちは神を恐れました。

 イエスは言われました。「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」(マタイ10:28)。私たちも同じです。職場や学校、家庭で人の評価を恐れることがあります。本当は神様に従いたい。しかし嫌われたくない。損をしたくない。だから黙ってしまう。

 しかし考えてみてください。本当に私たちの命を支配しているのは誰でしょうか。人でしょうか。違います。神様です。人は私たちの永遠の命を奪えません。私たちの人生を最後まで導かれるのは神様です。だから神を恐れる人は、人を恐れなくなります。これは無謀になることではありません。神に信頼することです。

 ソクラテスも「私はあなたがたより神に従う」と語ったと言われています。しかしペテロは哲学ではありません。復活されたイエスを見た証人として語っています。だから確信があります。そしてその確信は聖霊から来ています。

 私たちも同じです。聖霊に導かれる人は、自分の利益ではなく神の栄光を第一にします。そのような人は自然に正直になります。真実を語ります。誠実に生きます。そして神様は、そのような人を通して周りの人々に良い影響を与えてくださいます。

4。まとめ

 今日の御言葉は、「誰を恐れて生きるのか」という問いを私たちに投げかけています。アンナス一族は神殿を支配していました。しかし神を恐れてはいませんでした。人を恐れ、何も持たないペテロとヨハネを脅すことしかできませんでした。

 一方で、ペテロとヨハネは何も持たない漁師でした。しかし神を恐れ、神に従いました。だから神様は彼らを大胆な証人へと変えられました。イエスを否認したペテロが、今は最高議会の前でイエスを証ししています。これが聖霊の力です。私たちも自分の力では変われません。しかし聖霊は私たちを変えてくださいます。

 人を恐れる者から、神を恐れる者へ。自分の栄光のために生きる者から、神の栄光のために生きる者へ。そしてその歩みは、周りの人々を神へと導く祝福となります。

 今週も、人ではなく神に権威を置き、聖霊に導かれて生きる者になるよう皆様を祝福します。

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