20260808ヤイローそれでも私の家に来て下さい(マタイ9:18)
20260808土曜祈祷会
聖書:マタイ9:18
題目:ヤイローそれでも私の家に来て下さい
賛美:91
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。」
マタイによる福音書 9:18 口語訳
1。ヤイロの願い
ヤイロは会堂司でした。社会的地位があり、多くの人から尊敬される立場にありました。しかし、病気になった娘の前では何もできませんでした。親だからこそできることには限界があります。そこでヤイロは、会堂司という立場を捨てるつもりで、イエスのもとへ行きました。彼の願いは一つでした。「私の家に来てください。」娘を助けてもらうため、イエスを家へ招いたのです。
私たちも人生の中で、「主よ、私の家に来てください」と祈ることがあります。家庭の問題、病気、人間関係、仕事の問題など、それぞれの願いを持ってイエスのもとへ行きます。ヤイロも、まずは娘の回復を願ってイエスを求めました。
2。神様は私たちの信仰を育てるために待たせる
イエスはすぐにヤイロの家へ向かわれました。ところが、その途中で長血の女が現れます。ヤイロから見れば、完全に予定外の出来事でした。「今ではない」「後にしてください」そう思ったことでしょう。その間に、娘が亡くなったという知らせが届きます。
ここでヤイロの信仰は大きく試されます。ある人なら長血の女を責めたかもしれません。ある人ならイエスに失望したかもしれません。ある人なら諦めて一人で家へ帰ったかもしれません。
しかしヤイロは違いました。イエスはヤイロに、 「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」 (ルカ8:50)と言われました。ヤイロはその言葉を信じ、娘が死んだという知らせを受けてもイエスから離れませんでした。そして最後までイエスを自分の家へお連れしました。
最初のヤイロの願いは、「娘を治してください」というものでした。しかし娘の死によって、人間にできることは何もなくなりました。その時ヤイロは、自分の計画や人間の方法を手放し、イエスだけに望みを置くようになりました。ついには、人には不可能なことであっても、イエスなら娘を生かしてくださると信じるまでになったのです。神様は私たちを苦しめるためではなく、信仰を育てるために待たせることがあります。
3。神様は私たちの祈り以上のものを用意しておられる
ヤイロは娘が回復することを願いました。しかし娘が死んだ時、ヤイロの計画は終わりました。ところが、その場所から神様の計画が始まったのです。イエスは娘を癒しただけではありません。娘を生き返らせてくださいました。ヤイロが願った以上のことが起こったのです。
聖書には、 「わたしの思いはあなたがたの思いと異なり、わたしの道はあなたがたの道と異なる。」(イザヤ55:8-9)とあります。私たちは、「病気が治ればいい」「問題が解決すればいい」と祈ります。しかし神様は、それ以上の恵みを準備しておられます。私たちは目の前の問題しか見ることができません。しかし神様は人生全体をご覧になっています。私たちも思いどおりにならない時があります。祈りどおりにならない時があります。しかし神様は失敗しておられません。
私たちが自分の計画を手放したところから、神様は最善の御業を始められるのです。だから私たちもヤイロのように祈りましょう。「主よ、私の家に来てください。」
この祈りは、今日の教会にも必要な祈りです。
● 私の家庭に来てください。
● 私の職場に来てください。
● 私の教会に来てください。
● 私の人生に来てください。
問題がなくなること以上に、イエスがおられることこそが最大の祝福なのです。
4。結論
突然、予定外の出来事が起こり、ヤイロの計画は崩れました。娘が亡くなってしまったのです。しかしヤイロはイエスから離れませんでした。最後までイエスを自分の家へお連れしました。そしてイエスは、その願いに応え、娘の回復ではなく、復活という、ヤイロが願った以上の恵みを与えてくださいました。ヤイロは自分の計画が崩れたおかげで、イエスが単に回復を与えるお方だということだけではなく、復活をも与えるお方だということ知ることができました。
私たちも、祈りどおりにならないからといって失望する必要はありません。神様は、私たちが願うものではなく、私たちに本当に必要な最善を与えてくださるお方だからです。だから今日も、自分の願いや計画を主に委ね、ヤイロのように祈りましょう。
「主よ、私の家に来てください。」
その時、神様は私たちの願いを超えた最善の御業を見せてくださいます。


