20260715たとえそうでなくても(ダニエル3:17-18)📺
20260715水曜礼拝
聖書:ダニエル3:17-18
題目:たとえそうでなくても
賛美:430、439
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
17もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。
18たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。
ダニエル3:17-18 口語訳
1。目指すべき信仰の形とは?
①母と子の関係
❶親の言うことを聞く、親孝行な子どもがいたら誇らしい。
❷しかし、親の言うことも聞かず、問題ばかり起こす子どもはどうか?
❸どんな問題児でも、母は子のためにご飯を作るし、子の話を信じる。
❹どんなになっても自分の子供は自分の子供だから。
②神様との関係
❶何のために神様を信じるか?病気が治るから?祝福されるから?願いが叶うから?
❷もしそうなら、治らず、祝福されず、願いが叶わなければ、信仰が終わるのか?
❸どんな結果になっても、神様を自分の神様として認め、従うこと。
❹これが私たちの目指す神様との関係の形。
2。本文解説
①1節「ネブカデネザル王は一つの金の像を造った」
❶高さは27m、幅は2.7m。9階建てのビルと同等の高さ。
❷その像が、王自身か、マルドゥク神か、王権を象徴したものかは不明。
❸ダニエル2章では、王は夢で出てきた像の金の頭がバビロンであることを聞いた。
❹そして、夢の解き明かしで王は、ダニエルの神様を、神の神として賛美した。
❺しかし、今は賛美したことを忘れ、「金の頭」だけを覚えている状態。
❻むしろ、全てを金で作ることで、バビロンは終わらないという意思表示に見える。
❼全ての役人達を一箇所に集めて礼拝させる。宗教を利用した統一方法。
②6節「誰でもひれ伏して拝まない者は、直ちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」
❶逆らうものには容赦しないと、自らの絶対的権力を示している。
❷バビロンでは山がなく石が取れないため、焼きレンガを造る巨大な炉があった。
❸そして、炉を用いて反逆者を焼く刑罰も行われていた。
❹エレミヤ29:22節では偽預言者アハブとゼデキヤが焼き殺されている。
③12節「ここにあなたが任命して、バビロン州の事務を司らせられている
ユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデネゴがおります。」
❶ダニエルの友人3人が拝んでいないと言う連絡が入った。
❷出世しているユダヤ人に対するカルデヤ人の嫉妬によるもの(8節)。
❸王は激しく怒ったが、直接確認するために、3人を連れて来るように言った。
❹直ちに炉に投げ入れないのを見ると、3人に対する高い評価があったと考えられる。
④14節「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ。あなたがたがわが神々に仕えず、
私の建てた金の像を拝まないとは、本当なのか。」
❶そして、異例なことに、もう一度拝むチャンスを与えている(15節)
❷あなた達を救えるのは、神ではなく、王である自分自身だと権威を誇示している。
「いったいどの神が私の手からあなたがたを救う事ができようか」
❸それに対して3人は「私たちの仕えている神は、その火の燃える炉から、私たちを
救い出す事ができます。あなたの手から私たちを救い出されます」(17節)
❹3人は弁明しなかった。そして王の譲歩した提案を拒否した。
⑤18節「たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。
私たちはあなたの神々に仕えず、あなたの立てた金の像を拝みません」
❶当然「神様には救う力がなかったとしても」という意味ではない。
神様に救う力があることを疑っていない。
❷「神様が今回は救わないことをお選びになったとしても」という意味である。
❸いつ、どのように救うかを決めるのは神様。神様の主権を認めた発言。
❹その結果、七倍熱くなった炉に投げ込まれた。投げ入れた人が亡くなるほどの熱さ。
❺しかし3人には神様が共にいて、全く焼かれずに炉から出てくる事ができた。
❻それを見て王は、自分の命令を無視した3人の神を、「このように救いを施すことの
できる神は他にない」と称えた(29節)。
⑥神様だけを礼拝し、信仰を守った3人
❶シャデラクたちは人は新しい名前、住処、文化、教育を受け入れた。
❷しかし、神様以外を礼拝することは受け入れなかった。
❸礼拝は神様を唯一の自分の神様として受け入れることだから。
❹神様を神様として認めることを、自分の生死よりも大切な問題として考えた。
3.適用
①「たとえそうでなくても」という信仰を目指しましょう。
❶シャデラクたちの信仰
⑴自分たちの望みどおりに、今、この時に救われるかどうかが問題ではなかった。
⑵確かに、神様には必ず救う力があることを信じていた。
⑶一方で、今回救わない事を神様が選んだとしても、その決定に従う覚悟があった。
⑷つまり、信仰の中心が「自分の願い」ではなく、「神様ご自身」にあった。
❷イエスキリストの信仰
「「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。」
ルカによる福音書 22:42 口語訳
⑴自分の願いが叶うかどうかが祈りの中心ではなかった。
⑵確かに、神様には叶える力があることを信じていた。
⑶一方で、願いが叶わなくても、神様の決定に従う覚悟があった。
⑷イエスもまた、信仰の中心が「自分の願い」ではなく、「神様ご自身」にあった。
❸私たちの信仰
⑴「病気が治るように」「仕事が守られるように」「家族の救いのために」祈る。
⑵それらは決して間違いではない。
⑶しかし、神様が私たちの願いとは違う道を選んだとしても、
「それでも私は神様を礼拝し続けます」と言える信仰を目指しましょう。
⑷なぜなら、神様は願いを叶えるためだけの存在ではなく、
私たちが礼拝して従うに相応しい唯一の存在だから。
②神様だけを礼拝する信仰を守りましょう。
❶譲れない礼拝対象
「するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。」
マタイによる福音書 4:10 口語訳
⑴イエスもサタンを礼拝することを拒否した。
⑵礼拝対象は私たちが譲ってはいけない部分。
❷迫害の歴史
⑴日本統治時代の韓国:神社参拝で、天照大神への礼拝と、天皇への忠誠を求めた。
⑵日本の江戸時代:踏み絵で、キリストの否定と、幕府への忠誠を求めた。
⑶シリア時代のユダヤ:ゼウスの祭壇に生贄を捧げることで、ゼウスへの礼拝と、
豚肉を食べることで、シリアへの忠誠を求めた。
❸迫害には共通した特徴
⑴まず「逆らえば命はない」と脅す。
⑵次に「形だけでいい」「心まで変えなくてもいい」と誘惑する。
・神社参拝も「宗教ではなく国家儀礼だから」
・踏み絵も「形だけ踏めばいい」
・豚肉も「食べたふりだけでいい」
⑶しかし一度でも従えば、「前にしたでしょう?」と要求は繰り返される。
例)お店で受けたサービスを当たり前のように再度要求する人々
❹迫害の目的
⑴命を奪うことではなく、礼拝対象を変えさせること。
⑵「行動よりも、心が大切だから」という言葉は、時には危険な誘惑な言葉。
⑶「心は妻だけを愛しています。でも形だけ他の女性と一夜を過ごします。」
という言葉は話にならない。
⑷「形だけだから」という言葉に惑わされないよう注意が必要。
⑸もちろん神様は私たちの弱さを知っており、悔い改める者を赦してくださる。
⑹だからと言って、だからこそ、その恵みを利用して神様を欺こうとする歩みは
避けなければいけない。その心には神様ではなく、自分中心の心がある。
4。まとめ
皆さんは、何のために神様を信じていますか。願いがかなうからでしょうか。病気が治るからでしょうか。祝福されるからでしょうか。もちろん神様は祈りに答え、私たちを助けてくださるお方です。しかし、それ以上に神様は、私たちが礼拝し、お従いするにふさわしい唯一のお方であることを忘れないでください。
シャデラク、メシャク、アベデネゴは、「神様は救うことができるお方。しかし、たとえそうでなくても、私たちは神様だけを礼拝します」と告白しました。救う力を持っているだけでなく、いつ、どのように救うかを決める主権も神様ご自身が持っています。だから私たちも、結果によって神様への信仰を変えるのではなく、神様ご自身を愛し、礼拝し続ける者となりましょう。
そして今日、シャデラクたちと同じように、「たとえそうでなくても、私は主に従います。」この信仰をもって、一週間の歩みを確かなものにしていきましょう。

