20260503子供のように低くなる(マタイ18:1-6)📺
20260503韓国語礼拝
聖書:マタイ18:1-6
題目:子供のように低くなる
賛美:560、569
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。」
マタイによる福音書 18:1-6 口語訳
1。イントロ
①教会の中で、こんな場面を見ることがあります。
❶ある青年が勇気を出して信仰告白をしました。すると…
⑴先輩の聖徒「ずいぶん信仰が成長したね。」「前よりはマシになったね。」
⑵一見褒めているようで、上から目線で評価している態度です。
❷ある青年が何かを言われて怒りました。すると…
⑴「あなたの受け取り方が悪い。」「信仰がないわね。」
⑵自分を正当化し、さらに相手を傷つけます。
❸ある青年が毎週に礼拝に出られないことを悩んでいました。すると…
⑴「もっとしっかりしなさい」「祈りなさい」「聖書を読みなさい」
⑵弱っている人を責め立てる人もいます。
②信仰的成長を勧めること自体は悪いことではありません。
❶しかし問題は、その態度です。
⑴相手を助けるのではなく、自分が高い位置に立ち、相手を低く見てしまう。
⑵すると、傷ついた青年たちはこう思います。「教会には行きたくない。」
❷ではどちらがより悪いでしょうか?
⑴問題はどちらにもあります。
⑵しかしイエスがより厳しく警告したのは、
子どものような低い心を失い、小さい者をつまずかせる側です。
❸なぜなら、神の国とは「高くなる場所」ではなく、低くされる場所だからです。
⑴神の国で重要なのは、積み上げた信仰歴でも、知識でも、奉仕歴でもありません。
⑵子どものように自分を低くし、神に頼る心なのです。
2。本文解説
①「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」(18:1)
❶原文では比較級の【メイゾーン】が用いられ、「誰がより偉いのか」という問い。
❷弟子たちは「イエスの十字架」よりも「神の国での地位」に関心がある。
❸この世と同様に、神の国でも積み上げたものに価値があると考えた。
②「イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた」(18:2)
❶原文では【パイディオン】が用いられ、小学生低学年までのイメージ。
❷イエスが立たせたのは、自立していない、依存的で小さな子供。
❸弟子たちの「一番偉い」という言葉を借りるが、神の国に入る条件を説明するため。
③「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない」(18:3)
❶原文では【ストレフォ】が受動態が用いられ、「向きを変えられて」という意味。
❷神の国に入る条件は、神様によって方向転換が起こって、子供のようになること。
❸自力で大人になり高みを目指すのではなく、神様によって子供となり低くなること。
④「この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである」(18:4)
❶自立し、分かっているつもりで、自分で何とかしようとする大人の心では不可能。
❷神様に頼り、素直に受け取り、自分の限界を認める子供の心が不可欠。
❸無知になること、幼稚になることでもなく、重要なのは自己放棄と謙遜。
⑤「誰でもこの様な1人の幼子を、私の名のゆえに受けいれる者は、私を受けいれる」(18:5)
❶子供のような低い者を、イエスのために大切にする人は、イエスを受け入れている。
❷逆に、他の理由で人を大切にする人や、低い者を軽んじる人は、イエスと無関係。
❸全ての聖徒は、子供のようになるので、小さく弱くなるのは当たり前。
⑥ 「私を信ずる…小さい者…をつまずかせる者は…海の深みに沈められる方が…益」(18:6)
❶実際にそうしろという命令ではなく、それほど深刻だという強調文。
❷神の国に入る低い者の中には、小さい者(弱い者)と比較的しっかりした者がいる。
❸子供同士で比較して自分が強いと考える者や、弱い者を傷つける者は罪人である。
3。適用
①子供のように自分を低くしましょう。
❶神の国の民になることとは、これまで積み重ねたものを手放すこと。
❷弟子たちは、自分の実績、立場、誇りを持っていた。高みを目指していた。
❸しかしイエスは、一度それを捨て、最も低いところを目指せ、と言っている。
❹プライド、自己評価、過去の肩書きを捨てて、一から神に依存することが重要。
❺どれだけ手に入れられるかではなく、どれだけ手放せるかが大切。
②子供をつまづかせる罪を避けましょう。
❶私たちは向きを高い所から低い所へ変えたが、無意識に高い所へ上ろうとしている。
❷そして比較し、信仰を評価し、できないことを責め、聖徒同士で傷つけ合っている。
❸しかしそれは、何かができないことよりも、より罪が重い。
❹何かができることは感謝すべきことで、誇ることではない。
❺重要なのは「一人でできること」ではなく、「一人じゃ何もできないこと」を知ること。
③教会は自分を子供のように低くする場所です。
❶なぜ奉仕をするのか?
⑴今回のバザーでは「もっと売れるやり方」「これまでのやり方」を手放した。
⑵ 持っている考えを手放して、自分を低くした時、神様に頼るしかなかった。
⑶売り上げはいつもの半分くらいだが、人々との出会いで神様の導きを強く感じた。
⑷奉仕は自分を低くするためであって、自分を高めるためではない。
⑸奉仕させるのは、労働力確保のためではなく、低くする場所を提供している。
❷なぜ献金をするのか?
⑴教会の費用のために、何かの予算のために献金をするのではない。
⑵献金の金額で聖徒を評価したり、捧げた金額を誇るようになる危険性がある。
⑶献金は、私のために死んだイエスに対する神様への応答であるべき。
⑷結果的に、牧師の生活費や教会の維持費や活動費に使われるだけ。
⑸大切な給料から、精一杯献金を捧げるのは、自分を低くする行いである。
❸子供のように低くなって、仕えるものになりましょう。
「そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。」
マルコによる福音書 9:35 口語訳
⑴イエスの言うように、神の国では仕える者が偉い。
⑵人々に仕えられて、偉いと勘違いしないようにしよう。
⑶イエスの十字架の犠牲は、仕える者としての最大限の姿勢である。
4.まとめ
① 神の国で一番偉い人は誰ですか?
自分を高めた人ではなく、子どものように自分を低くした人です。
② 本当に危険な罪とは何ですか?
小さい者、弱い者、信仰の幼い者を傷つけ、つまずかせることです。
③ 教会とはどんな場所ですか?
自分を誇る場所ではなく、自分を低くし、神に依存することを学ぶ場所です。
→大阪中央教会の全ての聖徒たちが、高く積み上げる者ではなく、子どものように低くされる者になるよう祝福します。

