20250925偽りで満ちるこの世(使徒24:1-9)

20250925早天祈祷会

聖書:使徒24:1-9
題目:偽りで満ちるこの世
賛美:251、263

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会


1.本文解説

① 大祭司アナニヤと弁護士テルトロの登場

パウロがエルサレムを出発してから五日後、大祭司アナニヤは数人の長老と弁護士テルトロを伴って、総督のもとへ下ってきました。

ユダヤの最高指導者である大祭司自らが動いたことから、パウロに対する強い憎しみがうかがえます。しかし、エペソから来ていたユダヤ人たちや、暗殺を計画した四十人の者たちはこの場にはいませんでした。

さらに、彼らは弁護士を雇っていました。テルトロはラテン名を持つことから、パウロと同じくディアスポラのユダヤ人であった可能性があります。

彼が雇われた理由は明確です。パウロに対する実質的な罪の証拠がなかったため、弁論によって有罪に持ち込もうとしたのです。また、宗教的対立をローマにとって重要な政治問題へとすり替えようとしていました。


② テルトロの偽りに満ちた挨拶

テルトロはまず、総督ペリクスへの挨拶から始めました。

彼は「あなたのおかげで私たちは平和を享受しています」と述べましたが、これは明らかなお世辞でした。確かに表面的な平和は存在していましたが、それは恐怖によって押さえつけられたものでした。

さらに、「あなたの配慮によって国が改善されている」と語りましたが、実際のペリクスは残忍で腐敗した統治者であり、賄賂も横行していました。彼は暴動や反乱を力で抑え込み、多くのユダヤ人を処刑していたのです。

それにもかかわらず、「私たちは心から感謝しています」と語ったのは、完全に偽りでした。彼らの内側には不満が蓄積していました。

ここで「平和」という言葉が強調されたのは、これから「パウロがその平和を乱す存在である」と訴えるための伏線でもありました。


③ パウロに対する訴えの内容

テルトロは続いて、パウロに対する具体的な訴えを述べました。

まず、彼を「疫病のような人間」と呼び、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こす危険人物であるとしました。これは、ローマにとって最も重要な「治安維持」に関わる問題として訴えるための表現でした。

次に、「ナザレ人という異端の一派の頭である」と主張しました。ユダヤ教はローマに認められた宗教でしたが、イエスの教えは異端と見なされていました。そのため、パウロをその中心人物として位置づけることで、危険性を強調しようとしたのです。

さらに、「宮を汚そうとした」と訴えました。具体的には、異邦人を神殿内に連れ込んだという疑いですが、これは事実ではありませんでした。しかしローマは神殿を汚した者に対して死刑を認めていたため、この訴えは極めて重い意味を持っていました。

実際には、暴動を起こしたのはユダヤ人たちであり、パウロではありませんでした。

なお、使徒行伝24章6節後半から8節前半の一部は、古い写本には存在しないとされています。その内容は、「自分たちの律法で裁こうとしたが、千人隊長が介入して妨げた」という不満を表すものです。一般的には、古い写本の方が信頼性が高いとされています。

最終的にアナニヤたちの目的は明確でした。ペリクスを利用して、パウロを処刑させることです。ペリクスが反ローマ的な人物を容赦なく十字架につけていたことを知っていたため、この訴えによって即座に処刑されることを期待していました。


2.適用

① この世は偽りで満ちている

ヨハネ第一の手紙4章1節は、「すべての霊を信じるのではなく、それが神から出たものかを見分けなさい」と教えています。

この世には、多くの嘘と偽物が存在します。

大祭司アナニヤは宗教的指導者でありながら、偽りの裁判でパウロを殺そうとしました。弁護士テルトロは社会的に高い地位を持ちながら、嘘によって人を罪人にしようとしました。そして総督ペリクスは支配者でありながら、正義よりも賄賂に関心を持っていました。

このように、この世では「正直者が損をする」という価値観がまかり通っています。

しかし、神の国は異なります。神の国は正直者の国です。この世では自分を守るために嘘をつくことがあっても、神の前では、たとえ損をしても正直に生きることが喜ばれるのです。

正直者が報われないように見えても、永遠の世界においては決してそうではないことを忘れてはなりません。


② 正直に生きる選択

私たちは選択を迫られています。世渡り上手な嘘つきとして生きるのか、それとも損をしても正直に生きるのか。

大阪中央教会のすべての聖徒は、正直に生きる者であるべきです。

もちろん、配慮は必要です。しかし、配慮と嘘は違います。「言い方を和らげること」と「事実を曲げること」は別の問題です。

たとえ損をするように見えても、正直に生きることを選びましょう。それが神様に喜ばれる生き方だからです。


3.まとめ

この世は、嘘と偽物に満ちています。

しかし私たちは、神の国に属する者として、正直に生きるように召されています。

それこそが、神の国に生きる者の態度なのです。

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