20250926パウロの弁明(使徒24:10-23)

20250926早天祈祷会

聖書:使徒24:10-23
題目:パウロの弁明
賛美:450、452

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会


1.本文解説

① パウロの弁明の開始

パウロは総督の合図によって発言を促され、弁明を始めました。彼はまず、「閣下が長年にわたりユダヤ人の裁判を司っておられることを知っているので、喜んで弁明します」と語ります。

ここで注目すべきは、パウロが嘘を用いることなく、誠実な範囲で敬意を表している点です。ペリクスは実際に5年以上ユダヤの総督を務めており、パウロの言葉は事実に基づいたものでした。大祭司や弁護士たちの誇張とは違い、パウロの態度には謙遜さが表れています。

さらに彼は、「自分が礼拝のためにエルサレムに上ってからまだ12日しか経っていない」と述べます。これは、騒動を引き起こすような時間的余裕がなかったことを示しています。実際、彼は神殿でも会堂でも、また市中でも、誰かと争ったり群衆を扇動したりした事実はありませんでした。パウロは真実によって、偽りの訴えを崩そうとしているのです。

また彼は、「この道」が異端ではないことも明確にします。それは旧約聖書に根ざしており、律法と預言者の言葉をすべて信じる信仰です。さらに、死者の復活を信じている点においてはパリサイ派とも一致しています。一方で、復活を否定するサドカイ派の大祭司アナニヤとは、神学的な対立があったのです。


② エルサレムでの事件の説明

パウロは、自分がエルサレムに来た目的についても説明します。それは「同胞に施しをし、供え物をささげるため」であり、反乱や騒動を起こすためではありませんでした。

彼が神殿にいたとき、そこにはアジアから来た数人のユダヤ人がいただけであり、異邦人を神殿に連れ込んだという事実もありません。また、群衆もおらず、騒動もありませんでした。

さらにパウロは、「もし自分を訴えることがあるなら、当事者がここに来て訴えるべきだ」と指摘します。ローマ法では、訴えを途中で取り下げることは厳しく罰せられるものでした。しかし、最初にパウロを捕らえた者たちは、この場にいません。これは裁判として重大な欠陥です。

そして彼は、「ここにいる人々に、議会で自分のどんな不正を見つけたのか言わせてほしい」と求めます。しかし実際には、パウロが語ったのは「死者の復活のことで裁かれている」という一言だけでした。伝聞や憶測では、正式な訴えは成立しないのです。


③ ペリクスの対応

この状況の中で、ペリクスは非常に微妙な立場に置かれます。彼は「この道」についてある程度の知識を持っていました。その理由の一つは、彼の妻ドルシラがユダヤ人であり、ヘロデ・アグリッパの娘であったためです。

この問題を解決するためには、ユダヤ人の神学的問題に踏み込む必要がありました。しかし同時に、ペリクスはユダヤ人たちの機嫌を損ねたくもありませんでした。

そこで彼は、「千人隊長ルシヤが来た時に、この件を判断しよう」と言って裁判を延期します。しかし実際には、千人隊長の手紙によってパウロが無罪であることをすでに知っていました。それにもかかわらず、ユダヤ人たちとの関係を考慮して、曖昧な判断をしたのです。

その結果、パウロは拘束されたままとなります。裁判は無期限に延期されましたが、彼にはある程度の自由が与えられ、友人たちが世話をすることも許されました。このような不当な状況の中でも、パウロは復活の希望を証しし続け、福音の正当性を示したのです。


2.適用

① 嘘に対しても真実で答えよう

聖書は次のように語っています。

「このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。」
(コリント第二 4:1–3)

福音を伝える者は、何よりも真実を語る必要があります。私たちがこの務めに立たされているのは、自分の力ではなく神の憐れみによるものです。そして福音は、誠実な良心を通してこそ伝えられていきます。

嘘は福音を覆い隠し、人を滅びへと導くものです。しかし真実は、人の良心に訴え、神の前に正しく立たせる力を持っています。

パウロの姿はまさにその実例です。エペソから来た人々、40人の暗殺計画、大祭司や弁護士の訴え――それらはすべて偽りに満ちていました。しかし、真実だけを語るパウロに対して、ペリクスは反論することができませんでした。

パウロは福音のために捕らえられていましたが、同時に真実のゆえに神に守られていたのです。

大阪中央教会の私たちも同じです。私たちは知恵や能力や技術によって福音を伝えるのではありません。誠実さと真実によって伝えていくのです。

もちろん学ぶことは大切です。しかし、もしそこから真実が失われるなら、それは本来の価値を失ってしまいます。


3.まとめ

人々が嘘や偽りによって私たちに迫ってきたとしても、私たちはそれに対して真実をもって応答していきましょう。

そのとき、神様はパウロを守られたように、私たちをも守り、導いてくださいます。​ 

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