20250918神の計画は進んでいる(使徒23:6-11)
20250918早天祈祷会
聖書:使徒23:6-11
題目:神の計画は進んでいる
賛美:543、545
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① パウロは状況を見極め、発言を変えた
パウロは、議会の中にサドカイ派とパリサイ派がいることに気づき、発言の方向を変えました。
彼はこう叫びました。
「兄弟たちよ、私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活の望みのために裁かれているのです。」
パウロは、正当な尋問が行われていないことを悟っていました。
すでに大祭司アナニヤによって理不尽に打たれ、反論しても状況は改善しませんでした。
サンヘドリンは、サドカイ派とパリサイ派から成っており、両者は死者の復活について長年対立していました。
そこでパウロは、自分がパリサイ派であり、復活を信じているために裁かれていると宣言しました。
これは、両者の対立を明らかにし、裁判の本質を浮き彫りにするための行動でした。
まともな裁判にならない状況の中で、パウロは知恵をもって対応したのです。
なお、サドカイ派は復活だけでなく、天使や霊の存在も否定していました。
またモーセ五書のみを聖書と認め、この世の利益やローマとの関係を重視していたため、後に歴史の中で消えていきました。
② パリサイ派がパウロを擁護し、議会は分裂した
パウロの発言によって、議会の中に激しい対立が生じました。
パリサイ派の律法学者たちは、パウロを擁護し始めます。
「この人には何も悪いところがない。もしかすると霊か天使が語ったのかもしれない」とまで言いました。
こうして、パウロに向けられていた攻撃は、二つの派閥の争いへと変わりました。
ただし、パリサイ派がパウロの信仰すべてを認めたわけではありません。
彼らがパウロを擁護した理由は三つあります。
第一に、復活は彼らにとって重要な教えであり、それを否定することは受け入れられなかったこと。
第二に、パウロの体験を完全に否定する証拠がなかったこと。
第三に、自分たちの立場が攻撃されていると感じたことです。
ここで重要なのは、パウロの行動が単なる人間的な駆け引きではないということです。
彼は自己防衛のためではなく、神の使命を果たすために与えられた知恵を用いたのです。
③ 主はパウロを守り、新しい道を示された
議論は激しくなり、パウロは引き裂かれそうな状況になりました。
そこで千人隊長は兵士たちを使ってパウロを救い出し、アントニウス要塞へ連れ戻しました。
サンヘドリンはなお議論を続けていましたが、千人隊長にはその理由が理解できませんでした。
しかし、このままではパウロの命が危ないと判断したのです。
その夜、主がパウロのそばに立ち、こう語られました。
「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムで証ししたように、ローマでも証ししなければならない。」
ここで主は、パウロのエルサレムでの証しを認め、評価されました。
そして同時に、ローマでの新しい使命を与えられたのです。
この出来事を通して、パウロは自分が失敗したのではなく、神の計画が確かに進んでいることを知りました。
これ以降、彼はローマへの道を神の導きとして確信していきます。
2.適用
① 失敗に見えても神の計画は進んでいる
ローマ人への手紙8章28節にはこうあります。
「万事が益となるようにしてくださる。」
❶ パウロの歩みは中断の連続に見えた
神殿での出来事では、エペソから来た人々に突然攻撃され、ナジル人の誓いも中断しました。
その後、ローマ兵に捕らえられ、人々の前で証しし、さらにサンヘドリンで裁かれることになりました。
どれも計画通りには進んでいないように見えます。
しかしその中で、パウロは知恵をもって対応し続けました。
❷ イエスの歩みも一見すると失敗のように見えた
イエス様は、悪霊を追い出し、病人を癒し、死者をよみがえらせました。
しかし最後には十字架で死なれました。
一見すると、悪魔の計画が成功したかのように見えます。
しかし実際には、神の救いの計画が完全に成就していたのです。
イエス様の従順によって、私たちは罪と死に勝利することができました。
❸ 大阪中央教会の聖徒たちへ
私たちも同じように感じることがあります。
「何をしてもうまくいかない」「もう諦めるべきではないか」と。
しかし、焦る必要はありません。
不平不満を言うのでもなく、失敗にとらわれるのでもなく、知恵をもって歩み続けることが大切です。
私たちが神のために働き続ける限り、神の計画は止まることはありません。
3.まとめ
たとえ失敗したように見えても、焦らず、諦めず、知恵をもって冷静に歩み続けましょう。
なぜなら、神様ご自身が働いておられるからです。
私たちにとって重要なのは、成功か失敗かではありません。
神の栄光のために、神からの知恵を用いて歩んでいるかどうかなのです。

