20250917彼の望みは私にある(雅歌7:10-13)
20250917水曜礼拝
聖書:雅歌7:10-13
題目:彼の望みは私にある
賛美:436、キリストの花嫁
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.愛される喜び
ある夫婦の話です。
妻が夫にこう尋ねました。
「どうして私と結婚したの?」
すると夫は笑いながら答えました。
「理由なんていらない。ただ君じゃなきゃダメだったんだ。」
これは人間の愛の話ですが、キリストの愛はそれ以上です。
イエス様は、「あなたでなければならない」と言わんばかりに、私たち一人ひとりに望みを置いてくださっています。
それは、私たちが何か特別だからではありません。
ただ主の愛によるのです。
あなたは神にとって、取り替えのきかない存在なのです。
2.本文解釈
① 10節「私は私の愛する人のもの。彼は私を恋したう」
ここでは花嫁の視点が語られています。
かつては「私の愛する方は私のもの」という表現でした(1:13、2:16)。
しかし今は「私は私の愛する人のもの」と変化しています(6:3、7:10)。
これは、自分中心から花婿中心へと変えられたことを示しています。
また「彼は私を恋したう」という言葉は、創世記では「支配したい」という意味で使われることがあります(創世記3:16、4:7)。
しかしここでは、「彼の望みは私にある」という意味です。
つまり、創世記で歪められた関係が、雅歌において回復されているのです。
これは自惚れではなく、愛の回復です。
② 11節「いなかへ出ていって、村里に宿りましょう」
花嫁は花婿を自分の故郷へと誘います。
都会や宮廷を離れ、二人だけの静かな場所へ行こうという意味です。
「村里に宿りましょう」とは、村の宿に泊まり、親密な時間を過ごそうという表現です。
③ 12節「朝早く起きてぶどう園に行きましょう」
「朝早く」とは、単なる時間ではなく、待ちきれない思いを表しています。
ぶどうの芽吹きや花は、愛の成長と成熟を象徴しています。
ざくろは多産の象徴であり、花は情熱を強調します。
そして「そこで私は愛をあなたに与えます」とは、夫婦の親密な関係を表しています。
④ 13節「恋なすと良き果物」
「恋なすび(マンドラゴラ)」は、愛を刺激し受胎に結びつけると考えられていた植物です。
「新しい実も古い実もある」とは、若い時の情熱的な愛と、年月を重ねて培われた深い愛の両方を意味します。
「門の上にある」とは、客をもてなす備えを表し、
「あなたのために」とは、長い間愛を準備してきたことを示しています。
3.適用
① 神様の望みが私にあることを覚えよう
ヨハネ15章9節にはこうあります。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。」
キリストは、私たちを愛し、その愛の中に生きるように招いておられます。
それは単なる働き手としてではなく、愛する存在として望まれているからです。
花婿の望みが花嫁にあることが理想であるように、
神様の望みもまた私たちにあります。
神様は完全なお方であり、私たちを必要とする存在ではありません。
それでもなお、私たち一人ひとりをかけがえのない者として愛しておられるのです。
② 神様との親密な時間を持とう
マルコ6章31節にはこうあります。
「人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい。」
これは単なる休息ではなく、神様との親密な交わりを回復するための招きです。
忙しさの中で、神様と向き合う静かな時間を持てなくなっていたからです。
夫婦関係においても、親密な時間が必要です。
それがなければ、夫は疎外感を覚え、妻は孤独を感じるようになります。
同じように、私たちも神様との時間を意識的に持つ必要があります。
早天祈祷会やQTの時間など、神様のために確保する時間が重要です。
③ 神様に信頼を捧げよう
マタイ6章20節にはこうあります。
「天に宝をたくわえなさい。」
天に宝を蓄えるとは、神様に信頼を捧げることです。
それは一度きりではなく、継続的な歩みです。
その結果、私たちは自分の持つ時間や才能、財産を、自分のためだけでなく神と人のために用いるようになります。
花嫁が花婿に信頼を捧げるように、
私たちも神様に信頼を捧げる必要があります。
日々、心を神様に向け、神様に頼って生きること。
神様を利用するのではなく、そのご計画に参与することが大切です。
4.まとめ
① 神様の望みは私にあります。
その事実を受け入れましょう。
② 神様との親密な「二人きりの時間」を持ちましょう。
③ 神様に対して、日々信頼を捧げていきましょう。
そのとき、私たちの信仰生活は、
「望まれている者」としての喜びに満たされていきます。

