20250917神の言葉に従う者と感情に従う者(使徒23:1-5)
20250917早天祈祷会
聖書:使徒23:1-5
題目:神の言葉に従う者と感情に従う者
賛美:325、336
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① パウロの発言に対し、大祭司アナニヤは暴力で応じた
パウロが議会で発言すると、大祭司アナニヤはその言葉に怒り、周囲の者たちに命じてパウロの口を打たせました。
パウロはこう語りました。
「兄弟たちよ、私は今日まで、全く清い良心をもって神の前に生きてきました。」
ここでの「兄弟たち」という呼びかけは、ユダヤ人の間で用いられる正式な表現です。
またパウロは、自分がユダヤ教の伝統にも神の御心にも逆らっていないことを主張しました。
これは「自分に罪がない」という意味ではなく、「神に対して誠実に歩んできた」という意味です。
しかしこの言葉を聞いたアナニヤは怒りました。
「全く清い良心」という表現が気に障ったのです。
彼の中にはすでに「パウロは有罪である」という前提がありました。
さらに、パウロがパリサイ派であるのに対し、アナニヤはサドカイ派であり、立場の違いもありました。
この大祭司アナニヤは、ローマと協調的であったため民衆から嫌われており、後にユダヤ戦争の中で民衆によって殺される人物でもあります。
② パウロは律法に基づいて大胆に反論した
パウロはアナニヤに向かって言いました。
「白く塗られた壁よ、神があなたを打たれる。」
これはエゼキエル書13章10–15節を背景とした表現です。
「白く塗られた壁」とは、外見は美しいが内側は腐っている偽善を意味します。
そして「神があなたを打たれる」とは、あなたが私を打ったように、神があなたを裁かれるという意味です。
さらにパウロは言いました。
「律法によって裁こうとしているのに、律法に反して私を打つことを命じるのですか。」
律法では、有罪と証明されるまでは無罪とみなされます。
しかしアナニヤは、正式な審理が始まる前にパウロを打たせました。
これは申命記25章1–2節に明らかに違反しています。
パウロは確かに怒りました。
しかしそれは単に痛みのためではありません。
神の律法を守るべき立場の者が、それに反していることに対する怒りでした。
パウロは、自分の身が危険であっても、神に反することを指摘する勇気を持っていたのです。
③ パウロは御言葉に従って自らを正した
パウロの発言に対して、議員たちの一部が怒りました。
「神の大祭司をののしるのか」と非難したのです。
彼らは大祭司の不正には驚かず、パウロの言葉にだけ反応しました。
そこにサンヘドリンの腐敗した姿が表れています。
それに対してパウロはこう答えました。
「兄弟たちよ、彼が大祭司だとは知りませんでした。」
その理由についてはいくつかの可能性があります。
長年エルサレムを離れていたため知らなかったとも考えられますし、大祭司の服装をしていなかったため分からなかったとも考えられます。
あるいは皮肉として語った可能性もあります。
そしてパウロは続けて言いました。
「民の指導者を悪く言ってはならないと書いてあります。」
これは出エジプト記22章28節の引用です。
律法は、個人の人格に関わらず、その職務を敬うことを教えています。
ここで重要なのは、律法に従わないアナニヤに対して、パウロは自ら律法に従ったという点です。
怒りの中にあっても、最終的には神の言葉に立ち返ったのです。
2.適用
① 感情ではなく神の言葉に支配されよう
エペソ人への手紙4章26節にはこうあります。
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。」
❶ アナニヤは怒りに支配された
アナニヤは怒りに任せてパウロを打たせました。
彼は律法違反であることに関心を持ちませんでした。
本来、律法を守るべき立場であるにもかかわらず、その責任を果たしていなかったのです。
❷ パウロは怒ったが、御言葉に立ち返った
パウロも怒りを感じ、強い言葉を発しました。
しかしその後、神の言葉を思い起こし、それに従って自らを正しました。
彼は使徒として、自分の感情よりも神の言葉を優先したのです。
❸ 大阪中央教会の聖徒たちへ
私たちも同じです。
パウロのように、感情よりも御言葉を優先しましょう。
怒りを感じたとき、一度立ち止まり、その原因を考えることが大切です。
それは神の栄光のためなのか、それとも自分のプライドのためなのか。
そして最終的には、神に委ね、赦しを選び取りましょう。
3.まとめ
パウロは、多くの人々の前で理不尽な扱いを受け、怒りを覚えました。
しかし彼は、その怒りに支配されるのではなく、神の言葉によって自分を整えました。
私たちもまた、自分の感情に振り回されるのではなく、神の言葉に従い、罪を犯さない歩みをしていきましょう。

