20260905ピラト―噛み合わない答弁(ヨハネ18:33-38)
20260905土曜祈祷会
聖書:ヨハネ18:33-38
題目:ピラト―噛み合わない答弁
賛美:200
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1。ポンテオ・ピラト
ポンテオ・ピラトは、ヘロデ・アルケラオスの失脚後、ユダヤとサマリアを治めるために派遣された5代目の総督です。ピラトが就任した際、ローマ皇帝の肖像画付きの軍旗をエルサレムに持ち込みました。皇帝像を聖なる都に持ち込んだため、ユダヤ人たちはカイサリアまで押しかけて抗議しました。しかしピラトは、軍隊を使って彼らを脅します。最終的には、ユダヤ人が死を覚悟して抵抗したため軍旗を撤去しましたが、この出来事からも、ピラトがかなり強硬な統治を行っていた人物であったことが分かります。
2。本文解説 ― 噛み合わないピラトとイエス
そのようなピラトのところに、ユダヤ人たちはイエスを連れて来ました。ユダヤ人たちはイエスを、「自分を王とする者」として訴えました。ピラトにとって「王」という言葉は、ローマ皇帝に対抗する政治的な王を意味する可能性があります。そこでピラトはイエスに尋ねます。
①「あなたはユダヤ人の王なのか」
ピラトの質問は、政治的な質問です。「あなたはローマに対抗して、自分を王としているのか。」ピラトが考えているのは、ローマの国、皇帝の権威、反乱、そして自分の総督としての責任です。ところがイエスは、「わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18:36)と答えられます。ここで、二人の話が噛み合っていません。ピラトは「この世の王国」について質問しているのに、イエスは「神の国」について答えているからです。ピラトは「ローマに対する反逆なのか」と聞いています。しかしイエスは「わたしの国はこの世のものではない」と言われます。つまり、イエスはピラトの政治的な枠組みに入って答えているのではありません。イエスは、もっと大きな神の国という視点から答えておられるのです。
②「あなたは何をしたのか」
ピラトはさらに、「あなたは何をしたのか。」(ヨハネ18:35)と尋ねます。これもピラトにとっては、「ローマに対して何をしたのか。」という質問です。ところが、イエスがしてきたことは、ローマへの反乱ではありません。罪人を救い、神の国を伝え、失われた人を神のもとに戻すことでした。そして最後には、私たちの罪を背負って十字架に向かわれます。ピラトが考えている「何をしたのか」は、政治的な犯罪行為です。しかしイエスが示している「何をしたのか」は、人類を救う神の御業です。ここでも、二人の視点は交わっていません。
③「それでは、あなたは王なのか」
ピラトは、「それでは、あなたは王なのか。」という意味で問い続けます。ピラトにとって王とは、領土を支配し、権力を持ち、ローマと対抗する政治的な王です。しかし、イエスはそのような王ではありません。イエスは神の国の王です。だからピラトは、イエスが語っている「王」を理解することができませんでした。ピラトは自分の立場からイエスを理解しようとしました。しかしイエスは、神の立場からご自分について語られました。この違いが、二人の会話が噛み合わない理由です。
④「真理とは何か」
そしてピラトは、「真理とは何なのか。」(ヨハネ18:38)と尋ねます。しかし、ここでもピラトは真理を本気で求めているわけではありません。彼は「真理とは何か」という哲学的な問いを投げかけるだけで、その答えを待ちません。しかしイエスはすでに、「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。」(ヨハネ18:37)と言われています。つまり、ピラトが「真理とは何か」と尋ねた時、その目の前に真理を語るイエスがおられたのです。しかしピラトには、それが見えませんでした。なぜでしょうか。ピラトが見ていたのは、ローマの国、自分の地位、自分の責任、そして皇帝でした。一方、イエスが語っていたのは、神の国、神の真理、そして人間を救う神の御心でした。ピラトは自分の立場からイエスを見ていました。イエスは神の国という、はるかに大きな視点から語っておられました。そのため、二人の会話は最後まで噛み合わなかったのです。
⑤正しさを選択できなかったピラト
それでもピラトは、イエスに罪を見つけることができませんでした。だからイエスを釈放しようとします。ところが人々は、「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。」(ヨハネ19:12)と言います。この言葉を聞いたピラトは恐れました。ピラトにとって、イエスを釈放することは、自分の地位や将来を危うくする可能性があったからです。そして結局、ピラトは正しいことを知りながら、それを選ぶことができませんでした。ピラトは真理を知らなかったのではありません。真理よりも、自分の立場を選んだのです。
3。適用 ― 私たちはどの立場からイエスを見るのか
私たちも、聖書を読む時、説教を聞く時、自分の立場からイエスを見てしまうことがあります。「自分にとって何の意味があるのか。」「自分に何の利益があるのか。」「自分の生活にどう役立つのか。」しかし、それだけでは神の国を見ることができません。ピラトが自分の立場からイエスを見たように、私たちも自分中心にイエスを見てしまうなら、イエスが語っておられることと噛み合わなくなります。だからこそ、私たちは「私はどう考えるか」ではなく、「神様は何を語っておられるのか」という立場に立つ必要があります。
イエスの裁判で見られるピラトはどちらかという時の弱い人物のように見えますが、歴史上では強引な人物です。どちらかが嘘をついている訳ではなく、ピラトは「ユダヤ・サマリヤで大きな反乱を起こさせず、ローマから失敗者として見られないこと」が中心にあったわけです。ピラトは自分が失敗しないように行動していた人物なのです。しかし、AD36年に、ゲリジム山に集結したサマリヤ人たちを反乱勢力と見做して、強硬に鎮圧し、処刑してしまう事件を起こしました。その結果、サマリヤ人指導者たちがシリア総督に訴え、ピラトはユダヤ総督の地位を失いました。自分の成功を追い求めて、イエスの時はうまく立ち回ったピラトでしたが、結局は失敗し、自分を守ることができませんでした。
マタイ6:33には、「まず神の国と神の義を求めなさい。」とあります。神の国を第一に求める時、私たちの人生の中心も変わります。「どうすれば自分を守れるか」ではなく、「神様は何を望んでおられるのか。」「人からどう評価されるか」ではなく、「神様が喜ばれることは何か。」を考えるようになります。今日、私たちも自分自身に問いかけたいと思います。「私はピラトのように自分の立場からイエスを見ているだろうか。それとも、神の国の立場からイエスの御言葉を聞いているだろうか。」
4。まとめ
ピラトはローマの国と自分の立場からイエスを見ていました。しかしイエスは、神の国と神の御心から答えておられました。そのため、二人の会話は最後まで噛み合いませんでした。私たちも自分中心に御言葉を聞くなら、イエスの言葉を正しく理解できません。自分の立場ではなく神の立場に立ち、まず神の国と神の義を求める者となりましょう。


