20260722「認める」から「従う」へ(ダニエル4:34-37)📺

20260722水曜礼拝

聖書:ダニエル4:34-37

題目:「認める」から「従う」へ

賛美:250、268

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。 その主権は永遠の主権、 その国は世々かぎりなく、 地に住む民はすべて無き者のように思われ、 天の衆群にも、 地に住む民にも、 彼はその意のままに事を行われる。 だれも彼の手をおさえて 「あなたは何をするのか」と言いうる者はない。 この時わたしの理性は自分に帰り、またわが国の光栄のために、わが尊厳と光輝とが、わたしに帰った。わが大臣、わが貴族らもきて、わたしに求め、わたしは国の上に堅く立って、前にもまさって大いなる者となった。 そこでわれネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。」

‭‭ダニエル書‬ ‭4‬:‭34‬-‭37‬ 口語訳‬

1。チャック・コルソン(1931−2012)

 人は「失敗」や「苦しみ」を人生最大の不幸だと考えます。しかし神様は、その苦しみを通して人を変えられることがあります。アメリカのチャック・コルソンは、その代表的な人物です。彼は優秀な弁護士となり、1969年にはリチャード・ニクソン大統領の特別顧問となりました。ホワイトハウスでも絶大な権力を持ち、「アメリカで最も権力を持つ人物の一人」とまで言われました。しかし1972年、ウォーターゲート事件が発覚します。違法な盗聴事件に関与した責任を問われ、1974年に有罪判決を受けて刑務所に入ることになりました。普通に考えるなら、この事件は人生の敗北であり、人生最大の汚点でです。

 しかし彼は1973年に友人を通して悔い改め、1947年の刑務所生活の中で信仰が深められていきました。後に彼はこう語っています。「人生最大の敗北から、神の最大の勝利が生まれた」。さらに晩年には、「キリストを知ってからの35年間で最悪の日でさえ、それ以前の41年間で最高の日よりも良かった」と告白しています。

 出所後には「プリズン・フェローシップ」を設立し、世界中の受刑者への伝道、聖書教育、社会復帰支援などに生涯をささげました。彼は後にこう振り返っています。「神が私を刑務所へ送られたのは、囚人たちのために働く使命を与えるためだった」と。人生の苦しみは、ただ取り除くべきものではありません。神様は苦しみを通して、人を高慢という死に繋がる病気から救い、本当の祝福へ導かれることがあります。人生の「失敗」や「苦しみ」は最大の不幸ではなく、人生最大の幸せになり得るという事です。ネブカデネザル王も同じでした。

2。本文解説(4章)

①ネブカデネザルの手紙(1−3)

 ネブカデネザル王はバビロンの国に住む全ての人々に手紙を書く事にしました。3章では、27mにもなる金の像を作り、自分の権力を誇りました。しかし、今回はそうではありません。自分ではなく、神様を賛美するためです。2章でのダニエルの夢の解き明かしや、3章でのシャデラク達の炉の中からの生還を、その目で見ながらも、自分の国と自分の権力を誇っていました。それが今は謙虚になって、神様の国と神様の主権を賛美し、自分の偉大さではなく、神様の偉大さを人々に伝えようとしているのです。以前の王の姿からは考えられません。一体何があったのでしょうか?

②第二の夢の解き明かし(4-27)

 バビロンの国が最盛期を迎えた時、王は再び夢を見て恐れました。夢の内容はこうです。巨大な一本の木が天まで伸び、世界中を見渡せるまでに成長しました。そしてその葉は美しく、実は豊かで、全ての生き物がその恵みを受けて生きていました。ところが天から1人の聖者が降りてきてその木を切り倒します。そして残った切り株に鉄と青銅の縄をかけて、獣と共に7つの時を過ごさせる、というものです。

 王は再びダニエルに解き明かしを求め、ダニエルは心を痛めながら答えました。木とは王自身のことで、王がやがて王座を追われ、野の獣と共に過ごす事になる。そして7年後に、神様が支配している事を知るようになる、というものでした。そしてダニエルは、不義を離れて、人を憐れみ、義を行うよう求めました。ネブカドネザルは自分の国を滅ぼした憎むべき敵のはずですが、ダニエルは王を思い、心からの忠告をしました。神様は裁くことよりも悔い改めを願われるお方です。神様は、ダニエルの心に、憎むよりも憐れむ心を与えていた事がわかります。しかし王はその勧めに従いませんでした。

③高慢の結果(28-33)

 それから一年後でした。王はバビロンの宮殿の屋上を歩きながら言います。空中庭園を歩いていたのかもしれません。そして「この大いなるバビロンは、私の大いなる力を持って建てた王城であって、我が威光を輝かすものではないか」と誇りました。

 その言葉が終わらないうちに天から声が響きます。そして王は即座に王位を失いました。人間社会から追放され、牛のように草を食べ、髪は鷲の羽のように、爪は鳥の爪のようになりました。七年間、獣のような生活を送りました。ネブカデネザルは夢の意味をダニエルから聞き、解決方法まで教えられていました。ダニエルの神様を認めてはいましたが、それでも従いませんでした。「認める」ことと、「従う」ことは違うのです。そして、従おうとしない、従うことができない、怠けてしまう、その心の奥には、高慢な心が隠れています。ネブカデネザルは高慢の結果、罰を受け取る事になりました。しかし、それは滅ぼすための罰ではありませんでした。

天を見上げた時(34-37)

 7年が終わる時が来ました。王は「われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見た」と

言っています。これは単に空を見たという意味ではありません。心を神に向けたということです。人生の最大の失敗であり苦しみの中で、神様に出会えたのです。その時、理性が戻りました。そして神様を賛美しました。「いと高き者をほめ、その永遠に生ける者を賛美し、かつ崇めた」(34)とあります。王位が戻ってきたから賛美しているのではありません。この賛美は王位が戻ってくる前です。また、単に理性が戻ってきたから賛美しているのではありません。天を仰ぎ見た行為が一番最初に来ています。自分の宮殿、自分の国、自分の業績を見ていた心が、神様を見るようになった結果、戻ってきた理性を用いて賛美しているのです。

 この告白は本物だったようです。ネブカデネザルは王位に戻った後も、「我ネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる」(37)と告白しています。ネブカデネザルが最終的に救われたかどうか、聖書は断定していませんが、しかし少なくとも彼は、高慢を捨て、神をほめたたえ、悔い改める姿を私たちに示しています。それは、自分の恥を世界中に公表していることからもわかります。

3.適用

① 「認める」者から「従う」者になることが求められている。

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭14‬:‭15‬ 口語訳‬

 信仰とは、単に神様を「認める」事で終わるのではありません。真の信仰はイエスを愛し、イエスの言葉に「従う」事が含まれています。口先だけで行動が伴わなければ、それは真の信仰ではなく、死んだ信仰です。だからイエスは戒めを守るべきだと教えているのです。ただし、重要なのは、全て守ることができるかどうかではなく、全て守ろうとする意思があるかどうかです。自分のしたいことだけして、自分の聞きたいことだけ聞くのではなく、全てに従うことで、私たちの信仰は育つのです。

 ネブカデネザルは以前から神様を知っていました。ダニエル、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、彼らを通して神様の力を何度も見ました。そして神様を認めていました。今回もダニエルの夢の解き明かしとその対策も聞きました。確かに神様を認めていました。しかし、従うことはしませんでした。聞きたいことは聞いて、認めることは認めていましたが、従う事をしませんでした。1年間の猶予があってもその意思を変える事をしませんでした。その結果、7年間の罰を受ける事になったのです。

 私たちはネブカデネザル王と同じ過ちを犯していないでしょうか。神様を信じています。教会にも来ています。礼拝もしています。しかし、本当に神様に従っているでしょうか。自分がしたいことだけして、自分が聞きたい言葉だけ聞いているのなら注意が必要です。全てに置いて従おうとする心を神様は見ています。

②人生の失敗は「従う」者になるための過程である。

「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。」

‭‭マルコによる福音書‬ ‭8‬:‭36‬ 口語訳‬

 人の視点と神様の視点の違いは、人生の失敗と成功においても見られます。人生の失敗とはなんでしょうか。人の視点では、会社が倒産したり、病気になったり、地位を失ったり、刑務所に入ったり、人から馬鹿にされることです。しかし、神様の視点ではそうではありません。ここで言う「自分の命」とは魂(プシュケー)を指します。これは単なる肉体の命ではなく、永遠の命を指します。人の視点ではこの世での命に焦点が当たっていますが、神様の視点では永遠の命に焦点が当たっています。そのため、神様の視点での人生の失敗とは、神様から離れて生きること、神様を頼れないこと、人を赦せないこと、神様に従えないこと、神の国に入れないことです。

 当時の世界帝国の王だったネブカデネザルは野の獣のようになりました。コルソンはアメリカの権力者から牢屋の囚人になりました。人の視点から見れば、人生の失敗です。しかし、彼らは、神様を呪うのではなく賛美しました。なぜでしょうか。何が変わったのでしょうか。視点が人のものから神様のものに変わったのです。これまで価値あるものだと考えていたものが無になり、これまで無駄と思っていたものに価値を置くようになりました。だから隠しておきたいような人生の失敗を、神様の偉大さと共に人々に伝えるようになったのです。

 人生の失敗は、神様を通して、素晴らしいものに変えられます。今もある人々は「神様から罰を受けている」「私の人生は失敗だ」「取り返しがつかない」と感じているかも知れません。しかし、あきらめないでください。ネブカデネザルのように、コルソンのように、心に隠れた高慢を下ろし、神様に従う者になるための訓練期間かも知れません。今の苦しみは、神様が見捨てた結果ではなく、成功のための準備期間なのです。イエスの十字架の死も、「人の視点から見た失敗」から「神様の視点から見た成功」に変えられました。私たちの失敗も主にあって、必ず成功に変えられることができます。

4。まとめ

 ネブカデネザルは神様の力を何度も見て神を「認めて」はいましたが、「従う」ことはしませんでした。しかし、高慢が砕かれ、苦しみの中で天を仰ぎ見た時、神様をほめたたえ、従う者へと変えられました。私たちも神様を知るだけで満足するのではなく、御言葉に従う歩みへと導かれることが求められています。そして、人生の失敗や苦しみも、神様の御手の中では私たちを造り変え、本当の祝福へ導く恵みの機会となるのです。どんな暗闇の中でも、どうか諦めないでください。私たちがただ「認める」存在から「従う」存在になった時、神様を喜びながら賛美することができます。

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