20260506偽りの悔い改めを拒む信仰(ヨブ27:1-6)📺
20260506水曜礼拝
聖書:ヨブ27:1-6
題目:偽りの悔い改めを拒む信仰
賛美:259、260
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「ヨブはまた言葉をついで言った、
「神は生きておられる。 彼はわたしの義を奪い去られた。 全能者はわたしの魂を悩まされた。
わたしの息がわたしのうちにあり、 神の息がわたしの鼻にある間、
わたしのくちびるは不義を言わない、 わたしの舌は偽りを語らない。
わたしは断じて、あなたがたを正しいとは認めない。 わたしは死ぬまで、潔白を主張してやめない。
わたしは堅くわが義を保って捨てない。 わたしは今まで一日も心に責められた事がない。」
ヨブ記 27:1-6 口語訳
1。ヨブは高慢か?
①初期教父:アウグスティヌス
❶人間の義には限界がある
❷ヨブの言葉は自己義認に近く危険
②中世:トマス・アクィナス
❶ヨブは相対的義を語っている
❷神への反逆ではない
③宗教改革:マルティン・ルター
❶ヨブの率直さを高く評価
❷ただし完全義ではない
④宗教改革:ジャン・カルヴァン
❶苦しみの中でも偽りの告白を拒否した点を重視
❷ただし、感情的な言葉、行き過ぎた自己弁護、神への問いの激しさには否定的
2。本文解説
①ゾパルの言葉は?
❶ヨブ記27章は、学者たちの間でも議論の多い箇所。
❷7節以降はゾパルの言葉ではないかという意見もある。
❸今日は確実にヨブの言葉である1−6を見ていく。
❹ただし、重要なのは苦しみの中で神の前に誠実であろうとする信仰。
❺ヨブが苦難の中でも偽りの罪の告白を拒否し、神の前に真実であろうとする姿勢。
②1節「ヨブはまた言葉をついで言った」
❶言葉「マシャール」:「箴言」と同じ。新改訳で「格言」。「重みある宣言」という意味。
❷これまでの議論を経た、最終的な信仰告白。
❸感情的な反論ではなく、熟慮した上での言葉。
③2節「神は生きておられる。 彼はわたしの義を奪い去られた。」
❶神の主権を否定せず、認めている。
❷一方で、現実には、自分が不当に扱われていると感じている。
❸理解できない神の御業に苦しんでいるということ。信仰者の葛藤。
④3節「わたしの息がわたしのうちにあり、 神の息がわたしの鼻にある間」
❶私の息「ネシャマー」:息や霊という意味があるが、「生きている」イメージ
❷神の息「ルアーハ」:息や霊、風という意味があるが、「生かされている」イメージ
❸自分は今生きているが、神様によって生きている事実を強調。
⑤4節「わたしのくちびるは不義を言わない、 わたしの舌は偽りを語らない。」
❶自分の義を賞賛しているのではない。
❷偽りの罪の告白を拒否、口先だけの悔い改めを拒否。
❸苦しいからとりあえず謝る、という苦しみから逃れるための悔い改めを拒否
⑥5節「わたしは断じて、あなたがたを正しいとは認めない。」
❶友人たちの因果応報的な神学を拒絶。苦しみ=必ずしも本人の罪ではない。
❷「死ぬまで、潔白を主張」というのは高慢ではなく、神の前で偽らない姿勢。
❸言い方は激しいが、自己正当化ではなく、自分の良心を守っている。
⑦6節「私は堅くわが義を保って捨てない。 私は今まで一日も心に責められた事がない。」
❶激し言い方だが、自己義認ではなく、自分が知らない罪を無理に認めない姿勢。
❷ヨブは完全ではなく、言い方などにも問題があるが、完全に間違いでもない。
❸良心に反する偽りの告白をしない。偽りの悔い改めをしなかったことが良い。
3。適用
①私たちにも知らない罪がある
❶高慢、無関心、愛の欠如、小さな不従順など、気づかない罪がある。
⑴その罪が、私たちを神様から知らないうちに遠ざけている。
⑵神様に近づく人と、遠ざかる人の違いは、言葉や態度に現れる。
⑶聖霊の実りがなくなるから。キリストに似なくなる。
❷だから常に心からのへりくだりが必要。
⑴「なぜ兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」(マタイ7:3)
⑵人の罪は良く見えても、自分の罪が良く見えないのが人間。
⑶人の罪を見た時、まず自分の目の梁を見る事をイエスは教えている。
❸神様は人を通して罪を伝える時がある。例)ナタン預言者からダビデ王へ
⑴知らない罪を気付かせるのは、罰を与えるためではない。
⑵悔い改めに導くためであり、私たちを神様から離れさせず、近づけさせるため。
⑶重要なのは、知らなかった罪について気付いた時、どのような反応をするか。
②偽りの悔い改めは本物ではない
❶私たちは脅しの文化に生きている。
⑴ 寝たら牛になる、悪い子はサンタが来ない、結婚しないと…?子供がいないと…?
⑵苦しみたくないから良い子にするし、謝る。しかし申し訳ない気持ちはない。
⑶自分の不利益を避けるための悔い改めは、偽りである。
❷「苦しい状況を早く終わらせたくて、とりあえず神様に謝る」のは、良くない。
⑴イエスはイザヤの言葉を引用して、口先だけの言葉を批判した。
「『この民は、口さきではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。 人間のいましめを教として教え、 無意味にわたしを拝んでいる』」。」
マタイによる福音書 15:8-9 口語訳
⑵原因がわからなくても、相手に嫌な思いをさせたことについて謝るのはある。
⑶しかし、申し訳ない気持ちがないのに、口先だけで謝るのは、喜ばれない。
❸偽りの謝罪は、損得勘定がついてくる。
⑴この苦しみを早く終わらせたいから、という自分中心の考え。
⑵神様の心を考える事をしない。
⑶だから、悔い改めて神様から心が離れたままである。
③真の悔い改めとは、神様が示した罪に対して、素直に砕かれること。
❶人から伝わる言葉全てが神様の言葉ではない。例)エリパズ、ビルダデ、ゾパル
⑴神様からのメッセージかどうかを見極めることは難しい。
⑵ポイントは、愛があるか、自分中心ではないか、聖書に反していないかどうか
⑶それでもわからないことがある。
❷無理に罪を作らず、偽りの告白をせず、神に問い続けることが大切。
⑴ ダビデ「主よ、あなたは私を探り、 私を知りつくされました」(詩篇 139:1)
⑵ヨブのように、神様にすがり続けることが大事。
⑶すがり続ける人に、何も示されない薄情な神様ではない。
❸自分が納得し受け入れざるを得ない状況まで、神様が砕いてくださる。
⑴自分の枠の中で判断しようとしている間は、神様の啓示を見ることが難しい。
⑵それでも神様に心をあけ渡し、願い続ければ、神様が、その枠を砕いてくれる。
⑶砕かれた後は、キリストにあって神の民に相応しい義人になることができる。
4。まとめ
① つらくても、ヨブのように、偽りの悔い改めを拒む信仰を持ちましょう。
②ヨブのように神様に尋ね求め続けることが大切です。
③本当に必要なのは、真の悔い改めだからです。
このように祈りましょう。
「主よ、私に罪があるなら示してください。素直に砕かれ、悔い改めます。
苦しみを避けるために、偽って告白することはしません。
どうか真実の道を歩ませ、キリストにあって相応しい人に変えて下さい。」

