20251126復活を告白する意味(使徒26:1-8)
20251126早天祈祷会
聖書:使徒26:1-8
題目:復活を告白する意味
賛美:214、216
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
【聖書朗読】(使徒の働き26章1〜8節)
アグリッパはパウロに、「おまえ自身のことを話してもよい」と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。
「アグリッパ王よ、ユダヤ人たちから訴えられているすべての事に関して、きょう、あなたの前で弁明することになったのは、わたしのしあわせに思うところであります。
あなたは、ユダヤ人のあらゆる慣例や問題を、よく知り抜いておられるかたですから、わたしの申すことを、寛大なお心で聞いていただきたいのです。
さて、わたしは若い時代には、初めから自国民の中で、またエルサレムで過ごしたのですが、そのころのわたしの生活ぶりは、ユダヤ人がみんなよく知っているところです。
彼らはわたしを初めから知っているので、証言しようと思えばできるのですが、わたしは、わたしたちの宗教の最も厳格な派にしたがって、パリサイ人としての生活をしていたのです。
今わたしは、神がわたしたちの先祖に約束なさった希望をいだいているために、裁判を受けているのであります。
わたしたちの十二の部族は、夜昼、熱心に神に仕えて、その約束を得ようと望んでいるのです。王よ、この希望のために、わたしはユダヤ人から訴えられています。
神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信じられないことと思えるのでしょうか。」
【1.本文解説】
① アグリッパによる弁明の機会
❶ アグリッパはパウロに弁明の機会を与えた
(1)パウロはそれに喜んで応じた
(2)これは正式な裁判ではないため、本来は答える必要はなかった
(3)それでもパウロは進んで語ることを選んだ
❷ 手を差し伸べて弁明した
(1)当時の演説家のジェスチャーであり、落ち着いた様子を示すものであった
❸ 前置き
(1)「弁明できて幸い」と語り、アグリッパに敬意を示した
(2)アグリッパがユダヤ人の習慣や宗教に精通していることを認めた
(3)「忍耐をもって聞いてほしい」と語り、これから詳細に話すことを示した
② パウロの弁明
❶ 自己紹介
(1)自国民の中、またエルサレムで生活していた
(2)厳格なパリサイ人として歩んでいた
(3)裁判を受けている理由は、神が先祖に約束されたことを待ち望んでいるからである
(4)つまり、メシアを待ち望んでいるゆえに迫害を受けている
❷ 十二部族の希望
(1)十二部族は夜も昼も熱心に神に仕え、その約束を待ち望んでいる
(2)北の十部族も存在している(例:アセル族の女預言者アンナ、ヤコブの手紙)
(3)「失われた十部族」という考えは正確ではない
(4)パウロの持っている希望は、ユダヤ教の中から生まれたものである
❸ 復活への理解
(1)この希望を拒絶したのはユダヤ人である
(2)死者の復活は神にとって可能なことである
(3)イエス・キリストの復活は神がなされたことである
(4)イエス・キリストに希望を持つことは、自然な流れである
【2.適用】
① 復活を語ることの意味
復活を語ることは、神にすべてを委ねる信仰告白です。
❶ パウロの弁明
(1)パウロの弁明は復活と結びついていた
(2)普通の弁明は「自分は悪くない」という結論に向かう
(3)しかしパウロの弁明は「復活」に至った
(4)ここにパウロの大胆さの秘訣がある
❷ イエスの教え
(1)イエスも復活を語られた
・殺されるが三日後によみがえる(マルコ8:31、9:31、10:34)
(2)イエスが示されたゴールは復活である
(3)これがイエスの大胆さの秘訣である
❸ 大阪中央教会の聖徒たちへ
(1)アグリッパのように、多くの人は神を信じると言いながらも復活は信じられない
(2)しかし、あり得ないと思える復活を信じると告白することは、神を全面的に信じることを意味する
(3)復活をゴールに置くとき、私たちはパウロのように大胆になることができる
【3.まとめ】
復活の信仰は、私たちを強くします。
神により頼むとき、私たちはパウロやイエスのように大胆になることができます。
なぜなら、人々が「あり得ない」と思うことが、神によって現実となることを、私たちは知っているからです。
たとえ弁明しなければならない時が来たとしても、
自分を正当化する言葉ではなく、復活の確信に満ちた言葉を語ることができますように。
そのような祝福が、皆さん一人ひとりの上にありますように。

