20251018ヨシュア―義の服を着せるイエス(ゼカリヤ3:1-8)
20251018土曜祈祷会
聖書:ゼカリヤ3:1-8
題目:ヨシュア―義の服を着せるイエス
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.天における法廷
この箇所には、天における法廷の場面が描かれています。
(1)傍聴人:ゼカリヤ
預言者ゼカリヤは、この幻を見せられた傍聴人です。彼は聖殿再建のために、預言者ハガイと共にエルサレムに遣わされました。ハガイは短期間で人々を奮い立たせ、工事再開へと導きましたが、ゼカリヤは長い年月にわたり人々を励まし続けました。
(2)被告人:ヨシュア
被告人は大祭司ヨシュアです。彼は祭司の家系に属し、ゼルバベルと共に帰還民を導き、聖殿再建に関わった人物です。
しかし、バビロン捕囚後は神殿が存在しなかったため、祭司制度自体が機能しない状態にありました。
(3)告発者:サタン
サタンは神の前でヨシュアを告発します。これは単に一人を訴えているのではなく、イスラエル全体を訴えていることを意味します。
ヨシュアは汚れた衣を着ており、神の働きを担う資格がないと訴えられました。実際、イスラエルは罪を犯しており、聖殿を再建するにふさわしい状態ではありませんでした。
(4)裁判官:神
しかし神は、被告であるヨシュアではなく、告発者であるサタンを責められます。
「これは火の中から取り出された燃えさしではないか」と言われたように、ヨシュアとイスラエルはすでにバビロン捕囚という裁きを経験した存在でした。したがって、サタンの訴えは無効とされたのです。
(5)弁護士:主の使い(イエス・キリスト)
ここで重要なのは、「主の使い」の存在です。この「主の使い」は、文脈によってはイエス・キリストを指します。
この方が天使たちに命じて、ヨシュアの汚れた衣を脱がせ、清い衣と祭司の装いを着せました。これは、ヨシュアが自分の力で義を得たのではなく、神によって義とされたことを意味します。
さらに、「もしわたしの道に歩み、務を守るならば、わたしの家を治める」と語られ、神の働きを委ねられることが約束されました。
(6)ここから分かる重要な真理
この場面から、いくつかの重要な真理が明らかになります。
第一に、天の法廷において私たちの弁護者はイエス・キリストであるということ。
第二に、義の衣は自分で用意するものではなく、イエスが着せてくださるものであるということ。
第三に、神の戒めに従う歩みの中で、その確信が与えられていくということです。
2.私たちに示される天の法廷(1ヨハネ2:1–3)
このゼカリヤの幻は、私たち自身にも当てはまる現実です。
(1)イエスの役割①:弁護者
イエスは「助け主(パラクレイトス)」、すなわち弁護者です。私たちが罪を犯したとき、義なる方として私たちのために弁護してくださいます。
聖書には明記されていなくても、そこには告発者サタンの存在があります。しかしイエスは、不当な裁判を受けられた方でありながら、私たちを正しく弁護してくださいます。
(2)イエスの役割②:贖い
イエスは、私たちの罪のための贖いの供え物となってくださいました。私たちが受けるべき罰を代わりに負って死なれたことにより、私たちは無罪とされます。
その結果、私たちは「キリストを着る」者となります。すなわち、イエスご自身が私たちの義の衣となってくださるのです。
(3)戒めを守る理由
では、なぜ戒めを守る必要があるのでしょうか。
それは、戒めを守ることによって、私たちが神を「知っている」ことを実感するからです。この「知る」とは、単なる知識ではなく、体験的に知ることを意味します。
戒めに従う歩みの中で、イエスが弁護者であり、義の衣であることを実際に経験していくのです。
3.適用
(1)イエスによる確信に立つ
私たちは、公平で完全な弁護者であるイエスによって、無罪の判決を受けることができます。
サタンは私たちの罪や弱さ、欠けを訴え続けます。しかし私たちは何も隠すことができず、同時にサタンも不正な告発はできません。
だからこそ、御言葉に従って歩む中で、イエスによる確信が強められていきます。
(2)人間的な自信に頼らない
自分の能力や感情に基づく自信は、やがて揺らぎ、恐れに変わります。
むしろ、そのような自信はイエスを求める心を弱めてしまいます。「もっと強くならなければならない」という思いから解放される必要があります。
パウロが語ったように、私たちの弱さの中にこそ神の力が現れるのです。
(3)戒めに従う歩み
戒めを守ることは重要です。それは義を得るためではなく、神を体験的に知るためです。
この世の人は、自分の持っているもので安心しようとしますが、キリスト者は弁護者であるイエスによって確信と平安を得ます。
4.まとめ
私たちに与えられている真理は明確です。
第一に、公平で義なるイエスが私たちの弁護者であること。
第二に、イエスがご自身の犠牲によって、私たちに義の衣を着せてくださること。
第三に、戒めに従う歩みの中で、その確信が深められることです。
私たちは自分で義の衣を用意するのではありません。
キリストがそれを着せてくださることを、決して忘れないようにしましょう。

