20251015恵みの畑に招かれる(ルツ2:10-12)
20251015水曜礼拝
聖書:ルツ2:10-12
題目:恵みの畑に招かれる
賛美:304、310
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.相手の願いを知るということ
ある人がカーネギーの講習会に参加した時の話です。
ある両親が、自分の子どもの偏食に悩んでいました。子どもはひどく痩せており、何とかして食べさせたいと考え、「体に良いから食べなさい」「立派な大人になってほしい」と語りかけました。しかし、30歳の大人の考えを、3歳の子どもが理解し受け入れることはできませんでした。
ところが、ある一言で子どもは何でも食べるようになりました。その子どもは三輪車を持っていましたが、近所の体の大きい子にいつも奪われて泣いていました。そして「いつかやり返したい」と思っていたのです。そこで両親はこう言いました。「お母さんの言うものを何でも食べれば、あの子より強くなれるよ」と。
この出来事を通して両親は気づきました。
「あの子は何を一番望んでいるのか」「その願いと自分たちの願いを一致させられないか」と考えたのです。相手の願いを満たす時、自分の願いも実現するということです。
では、これは神様との関係においてどうでしょうか。
私たちは自分の願いを叶えたいと思い、神に多くを求めます。しかし、神が私たちに望んでおられることは別にあります。私たちはまず、神の願いを知る必要があります。
神の願いを満たす時、結果として私たちの願いも満たされるのです。「神はまず私の願いを叶えるべきだ」という考えは高慢です。もちろん神が私たちの願いを叶えてくださることもありますが、順序は神の側にあります。
では、大阪中央教会が恵みの中で歩み続けるために、私たちは何を神に求めるべきでしょうか。神が教会に求めておられるものは何でしょうか。それを考える必要があります。
2.ルツ記2章の物語
(1)ベツレヘムでの生活
ナオミとルツは、やもめ二人で生きていく必要がありました。生活の手段としては、農作業や家畜の世話、家事奉仕、手工芸などがありましたが、高齢のナオミは働くことができず、ルツが二人分の生活を支える必要がありました。
そこでルツは「落穂拾い」を選びます。これは収穫の際にこぼれ落ちた穀物を拾うことで、律法に定められた貧しい人々のための制度でした。畑の主人にとって、落穂を残すことは親切ではなく義務でした。
その中で、ルツは偶然にもエリメレクの親戚であるボアズの畑に導かれ、彼の目に留まりました。僕はルツについて、「モアブからナオミと共に帰ってきた女性で、朝から休みなく働いている」と説明します。
ボアズはルツに対して、「他の畑に行かずここで働きなさい。誰もあなたを邪魔しない」と語り、水やパンまで与えました。その結果、ルツは一エパ(約23リットル)もの大麦を得ることができました。
(2)ボアズの心
本来、ボアズがルツにここまで親切にする理由はありませんでした。ルツは従業員でもなく、むしろ迷惑にならないように気を遣う立場です。本来なら、自分で水や食べ物を用意し、畑を移動するのも当然のことでした。
しかしボアズは、ルツの労苦を軽減するために配慮しました。それはルツにとっては助けとなりますが、ボアズにとっては損失でもありました。
ではなぜ、ここまで親切にしたのでしょうか。
それは、ルツが夫を失った後も姑ナオミに尽くし、故郷を離れて未知の地に来たことを知っていたからです。そして、その忠実な姿を実際に目にしたのです。
律法に忠実なボアズは、そのルツの忠実さに心を動かされました。そしてナオミの分まで得られるよう配慮したのです。
ナオミはこの出来事を聞いて神を賛美しました。ボアズには「買い戻しの権利」があり、ナオミの家を存続させる責任を担う可能性がありました。こうしてナオミとルツは、恵みの畑に招かれていきました。
(3)ルツが恵みを受けた理由
ルツが恵みを受けた理由は何でしょうか。
それは、単に努力したからでも、美貌や知恵のためでも、偶然でもありません。
ルツは神に忠実でした。神が自分に託されたナオミを世話することに忠実だったのです。またボアズも、律法に従って貧しい人々を助けるという神への忠実さを持っていました。
つまり、ルツとボアズ、双方の神への忠実さが、この恵みの出来事を生み出したのです。
3.教会が恵みの畑に招かれるために
(1)忠実(ピストス)であること
教会に求められているのは、「忠実(ピストス)」であることです。
神ご自身が真実であり、忠実な方です。イエス・キリストもまた忠実な方です。そして神は、教会に対しても忠実であることを求めておられます。
神は私たちに優れた能力や結果を求めておられるのではありません。わずかなことに忠実であることを求めておられるのです。
(2)忠実な者には忠実な者が与えられる
ボアズは、自分の親切を「自分の善意」としてではなく、「主の翼の下にある守り」として語りました。つまり、神の働きに自分を合わせていたのです。
神は忠実な人に、同じように忠実な人を出会わせてくださいます。教会に必要なのは、能力や成功ではなく、ルツやボアズのような忠実さです。
(3)忠実な生き方が人を導く
死に至るまで忠実に生きた人々のもとには、多くの人々が導かれました。弟子たち、パウロ、ヤコブ、マグダラのマリヤなどがそうです。
教会に必要なのは、能力の高い人ではなく、忠実な人々です。
4.まとめ
恵みの畑に招かれるために、私たちは何をすべきでしょうか。
何度も恵みを求めて祈り続けることでしょうか。
自分の能力や実績を示し続けることでしょうか。
そうではありません。
神に対して忠実に生きることです。
神がそうであるように、イエスがそうであったように、私たちも「ピストス(忠実)」な歩みをしていきましょう。

