20250903戸を叩く花婿(雅歌5:2-6)
20250903水曜礼拝
聖書:雅歌5:2-6
題目:戸を叩く花婿
賛美:524、キリストの花嫁
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.導入:ディートリッヒ・ボンヘッファーの証し
ディートリッヒ・ボンヘッファーは、ナチス政権に抵抗したために処刑された牧師です。
彼は1943年1月、37歳のときに18歳のマリアと婚約しました。しかし同年4月に投獄され、1945年4月9日、ナチス政権崩壊のわずか1ヶ月前に処刑されました。
監獄の中で彼は、会うことのできない花嫁マリアに手紙を書き続けました。その中で彼はこう語っています。
「結婚はあなたの愛によって支えられるのではなく、むしろ結婚があなたの愛を支えるのです。」
これは、愛は感情に依存して続くものではなく、神の前に立てられた結婚という誓約そのものが愛を守り支える、という確信から来ています。彼は結婚することはできませんでしたが、結婚とは何かを深く理解していました。
処刑の前、立ち会った医師はこう証言しています。
「私は多くの人々の死に立ち会ったが、このように神に完全に委ね、平安のうちに死に向かった人を見たことがない。」
ボンヘッファーは結婚することもできず、ナチス政権の崩壊も見ることなく処刑されました。しかし花嫁マリアは最後まで彼を支え続けました。彼は「この手紙は二人だけのものではない」と語り、苦難の時代にあっても人は愛と信仰を持ち続けられるという証しになると考えていました。
彼の人生は祝福に満ちたものではありませんでしたが、神との関係は完全でした。困難の中でも平安を得ることができたのは、神と共にいることを喜びとしたからです。もし彼が結婚していたなら、きっと愛に満ちた結婚生活を送っていたことでしょう。
2.本文解説(雅歌5:2−6)
① 2節a「眠っているが心は覚めている」
これは、結婚によって夢のような状態が実現したかのように見えます。
婚約期間は離れている時間が多く、結婚すれば共に過ごす時間が増えると期待していました。
しかし現実は違いました。花婿は仕事で忙しく、夜になっても帰ってきません。彼が牧者であり王であることは分かっていても、妻との時間よりも仕事を優先しているのではないかと感じてしまいます。
② 2節b「愛に満ちた呼びかけ」
花婿は戸を叩きながら、花嫁を愛情豊かに呼びます。
- 「わが妹」:結婚前から続く親しい関係
- 「わが愛する者」:守り養う責任からくる愛
- 「わが鳩」:愛の象徴
- 「わが全き者」:完全に花婿に捧げられた存在
深い愛情が込められた呼びかけです。
③ 2節c「夜露で濡れている花婿」
花婿は夜遅くまで働き、露に濡れています。
その姿は、自分の大変さを伝え、戸を開けてほしいという切実な訴えです。
④ 3節「花嫁の自己中心」
花嫁はこう言います。
「もう服を脱ぎ、足も洗ったのに、どうしてまた汚せようか。」
これは、休む準備をしたので動きたくないという自己中心的な理由です。
花婿の苦しみを聞こうともせず、自分の快適さを優先しています。
花婿のために動く価値を感じていない状態です。
⑤ 4節「それでも求め続ける花婿」
それでも花婿は諦めず、鍵穴から手を差し入れて呼びかけ続けます。
その忍耐強い愛に、花嫁の心は動かされます。
⑥ 5節「遅すぎた応答」
花嫁が戸を開けようとすると、没薬が手に流れます。
それは花婿が確かにそこにいた証ですが、すでに去った後でした。
ここには、夫婦のすれ違いが描かれています。
⑦ 6節「失われた機会」
花嫁は心を失い、必死に探し、呼びますが、答えはありません。
繰り返される「尋ねた」「呼んだ」という表現が、深い孤独を表しています。
3.適用
① すぐに応答しなければ機会を失う
花嫁はためらったために、花婿を逃しました。
心のかたくなさは、大切な機会を失わせます。
イエスは常に父なる神の呼びかけに応答されました。
ゲッセマネの祈りでも、自分の思いより神の御心を優先されました。
自分を下ろして応答することによって、回復と祝福が与えられます。
夫婦関係でも信仰生活でも、早い応答が関係を守ります。
② 戸を叩く声に応答する者が勝利する
キリストは今も私たちの戸を叩いておられます。
応答すると、今の快適さを失うように感じるかもしれません。
しかしその先には、キリストと共に歩むより大きな祝福があります。
夫婦関係も同じです。
相手に勝つことは関係の敗北であり、応答こそが回復の道です。
③ クリスチャンの幸せとは何か
クリスチャンは祝福と共に困難も受けます。
しかし幸せとは、すべてがうまくいくことではありません。
パウロの喜びは、キリストと共に歩むことそのものでした。
だからこそ困難の中でも喜ぶことができました。
本当の幸せとは、祝福か困難かではなく、
キリストと共に歩むことにあります。
4.まとめ
キリストなる花婿は、今も私たちの心の戸を叩いておられます。
自尊心やプライドを下ろし、その声に応答しましょう。
それは敗北ではなく、真の勝利です。
花嫁の幸せは、花婿の持ち物を得ることではなく、
花婿と共に歩むことにあります。
そのことを決して忘れてはなりません。

