20260617ヨブの悔い改め(ヨブ42:5-6)📺
20260617水曜礼拝
聖書:ヨブ42:5-6
題目:ヨブの悔い改め
賛美:285、286
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、 今はわたしの目であなたを拝見いたします。 それでわたしはみずから恨み、 ちり灰の中で悔います」。」
ヨブ記 42:5-6 口語訳
1。フィリップの正直(例話大全集)
①正直なジャック夫婦とその7歳の息子フィリップ
❶貧乏のため、隣の家から借金しながら生活をしていた。
❷いくら経っても返済できないため、飼っていた鶏数羽を持っていって納めた。
❸翌朝、鶏達達が家に帰ってきて卵を5−6個産んだ。
❹フィリップはそれを見て大いに喜んだ。
❺ところが、この鶏がもう自分の家のものではないことを思い出した。
❻さっそく卵を隣の家に返しに行った。
❼その家の主人は驚いて「お父さんのいつけか、お母さんのいいつけか」と尋ねた。
❽フィリップは自分の考えだと答えた。
❾そしてどのみち両親が帰ってきたら卵を返して来いというに違いない、と言った。
➓主人は感心して、ご褒美として二匹の鶏をくれた。
②要点
❶正直さが正しさにつながり、正しいことをする事を勧めている話。
❷私たちは罪から遠ざかり、正しいことをすると神様が喜ぶことを知っている。
❸ヨブもそのように生きてきた。
❹しかし、その正しさを自分のものとして、誇るようになった時、それは罪になる。
❺正しいことをする事以上に、神様は悔い改めを喜ばれることを忘れてはいけない。
2。本文解説
①背景
❶ヨブは自分の苦しみの理由を神様は説明すべきだと考えていた。
❷しかし、神様は答えではなく、質問を通して、ご自身を表した。
❸その結果、ヨブから「なぜ苦しんだのか」という問いが消えた。
②5節「私はあなたの事を耳で聞いていましたが、今は私の目であなたを拝見いたします。」
❶これまで神を恐れ、清く正しい信仰生活をしてきた。
❷ しかしそれは知識による信仰だった。
❸ しかし、今、神自身に出会った、と告白している。
③6節「それで私はみずから恨み、ちり灰の中で悔います。」
❶それで=神と出会ったから
❷私は自ら恨み
⑴原文には「自ら」という言葉がない。
⑵「恨む」はヘブル語を見ると、「退く」「取り消す」「拒絶する」という意味がある。
⑶文脈から判断して、自分の訴えを撤回する、自分自身が退く、という意味。
❸ちり灰の中で悔います
⑴ちり灰=悔い改めやへり下りの象徴
⑵悔います=後悔しますではなく、悔い改めますという意味。
⑶友人達が言っていたような、偶像崇拝や不正などの罪ではない。
⑷神様よりも自分の正しさを握りしめていたこと。
④その後
❶神様は友人達を叱り、ヨブを通して友人達は許された。
❷ヨブの財産は全ての財産を2倍に増やされた。
❸美しい3人の娘:エミマ、ケジア、ケレン・ハップク
⑴エミマ:日中、鳩→光を象徴
⑵ケジア:カシアという香料→香りを象徴
※現在は安価なシナモンとして流通しているが、当時は高級品
⑶ケレン・ハップク:アイコスメが入った角(容器)→美を象徴
⑷息子7人ではなく、3人の娘の名前が記されている。
⑸そして娘にも息子達と同じように財産を与えている。
⑹男性社会の中で女性に焦点が与えられている。
⑺ヨブの回復が単なる復元ではなく、新しい祝福であることを表している。
3。適用
①自分の崩れた正しさを受け入れることで、悔い改めが起こる
「イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。」
ルカによる福音書 5:31-32 口語訳
❶イエスとの出会いが、人々を悔い改めに導く。
⑴病人が医者に出会って変えられるように、
罪人はイエスキリストに出会って変えられる。
⑵神様・イエスとの出会いの第一目的は、祝福ではなく、悔い改めである。
⑶ヨブは神様と出会うことで、自分の崩れた正しさを受け入れ、
自分の正しさを手放すことで、悔い改めができた。
⑷出会いはあくまできっかけである。
⑸重要なのは自分の崩れた正しさを受け入れることである。
❷出会うことで悔い改め、変えられた人々。
⑴イザヤは神様と出会うことで自分の空しさを実感した
「私は滅びるばかりだ、私は汚れた唇の者」(イザヤ6:5)
⑵エゼキエルは神様と出会うことでひれ伏すことしかできなかった(エゼキエル1:28)
⑶ペテロはイエスの言葉に従う事で大量の魚を得た時、自分の罪を実感した。
「主よ、私から離れてください。私は罪深い者です(ルカ5:8)」
⑷パウロはイエスに出会うことで、自分の正しさが崩れた。
⑸出会うことで、神様の偉大さを知り、自分の正しさが崩れるきっかけとなった。
⑹そしてペテロは復活後のイエスに出会い、「自分の崩れた正しさ」を受け入れた。
❸出会っても悔い改められなかった人々。
⑴パロは神の下したの災いを見ても心を固くした。(出エジプト8:15)
⑵パリサイ人はイエスの奇跡を見ても信じなかった。
⑶イスカリオテのユダは弟子でありながら、悔い改めず、後悔で終わった。
⑷違いは自分の正しさが崩れたことを受け入れられたかどうか。
⑸病人であると認めた人が医者に会いに行って、治療を受けられるように、
罪人であると認めた人がイエスに会って、悔い改めができるようになる。
⑹正しさが崩れた事以上に、崩れた正しさを受け入れることが重要。
❹自分の正しさを手放そう。
⑴医者に会っても、自分が病人だと認めなければ、治療が始まらない。
⑵イエスに会っても、自分の正しさを下さなければ、悔い改めが始まらない。
⑶崩れた自分の正しさを必死にかき集めて直そうとしないで。
⑷自分の正しさを手放す時、悔い改めが始まる。
⑸そうすることで神が私たちを正しくしてくださる。
⑹何かを成そうとするのではなく、受け入れることから始めよう。
②自分の正しさを手放せるよう神様に祈りましょう。
❶ヨブの妻は苦しみの中で神様を捨てて出ていった。
⑴しかし、ヨブは苦しみの中でも、神様に求め続けた。
⑵その結果、自分の正しさを手放し、悔い改めに至るまで導かれた。
⑶そして、元通りではなく、それ以上の祝福を得た。
❷もし、悔い改めがなく、苦しみが過ぎ去っていたら、ヨブはどうなっていただろう?
⑴やっぱり自分が正しかった、間違っていなかったと考えるのでは?
⑵これまでの祝福も神の恵みではなく、自分の義のおかげだったと考えるだろう。
⑶そして、神の栄光を奪う高慢な態度を取るようになっていたかもしれない。
4。まとめ
①誰でも、暗闇の中を通る時が来る。そして神様と出会える時が来る。
②その時、自分の正しさを手放し、悔い改めることが重要。
③ただ時が過ぎ去るのを待つのではなく、自分の崩れた正しさを受け入れましょう。
④何かを成そうとする前に、悔い改めましょう。
⑤そうすればヨブのように、単なる復元ではなく新しい祝福による回復が与えられる。

