20260402身体的苦痛(マタイ27:26)📺
20260402特別早天祈祷会
聖書:マタイ27:26
題目:身体的苦痛
賛美:143、151
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」
マタイによる福音書 27:26 口語訳
1。本文解説
①鞭打ちの恐ろしさ
❶ローマの鞭打ちは、それ自体で死ぬほどの拷問
⑴単なる刑罰前の処置ではない。
⑵革の鞭の先に骨片、金属片がついている
⑶一打ごとに、皮膚が裂け、肉がえぐれ、内臓が露出することもある
⑷歴史資料によれば、背中は「一枚の肉の塊」のようになる
⑸大量出血によってショック死するものも多い。
⑹つまりイエスはすでにこの時点で瀕死の状態。
②十字架刑の残酷さ
苦しみを最大化するための処刑
❶死因:窒息死
⑴十字架の上では腕に体重がかかるり、呼吸できない。
⑵呼吸するためには足で体を押し上げる必要がある。
⑶しかし、足や手は釘で固定され、鞭打ちで体力は限界。
⑷少し持ち上げては苦しみ、また落ちる。これを何時間も繰り返す。
❷時間をかけて殺す刑
⑴通常、1日〜数日かけて死亡
⑵だからローマ兵は遺体を放置して、鳥や獣に食べさせる。
⑶これは単なる処刑ではなく人格の完全な否定(社会的死)。
③イエスの死
❶ 通常より早い死(約6時間)
⑴午前9時に十字架かかり、午後3時に死亡が確認された。
⑵通常より極めて早い
⑶鞭打ちによる極度の衰弱、出血、ショック状態
❷足を折られなかった意味
⑴ 「骨は折られない」(詩篇34:20)と言う予言が成就するため。
⑵槍で突き刺して、血と水が分離している事を確認→確実に死亡している。
⑶他の2人はまだ生きていたので 足を折られた。
⑷足を折られると、体重を支えられなくなり、窒息死する。
④苦しみの理由
❶神の計画
⑴偶然でも、ローマの残酷さだけでもない。
⑵罪の結果を“完全に”身代わりに負うため
❷罪の結果は単なる「死」ではなく苦しみ・恥・断絶を含むもの
⑴だからイエスは死だけでなく「苦しみ」も引き受けた
⑵私たち人間が受けるべきすべてを代わりに負うため
❸それほど私たちを愛している
⑴完全な苦しみを通して、私たちを理解されている事を示している。
⑵身体的極限の苦しみをも受ける必要があった。
2。適用
イエスが鞭打ちと十字架との苦しみを受けたと言う事実が私たちを慰める。
①「この苦しみを神は知らない」という孤独がなくなる
❶私たちには「これさえなければ…」という病気や怪我がある。
❷ この痛みは自分だけ、誰にも分かってもらえないと言う思いがある。
❸しかしイエスは実際に身体の極限の苦しみを通られた。
❹鞭打ちで肉体が裂かれる痛み、十字架で呼吸もできない苦しみ。
❺ 「神はこの痛みを知らない」という孤独が打ち破られる
②苦しみが「無意味ではない」と示される
❶病気の中で一番つらいのは「なぜこれがあるのか分からないこと」
❷しかし十字架は最も理不尽に見える苦しみが、最も大きな意味を持った出来事
❸罪のないイエスが苦しむのは、 一見、完全な不条理
❹しかしそれが、救いの中心となった。意味のあるものになった。
❺だから私たちの苦しみも、今は分からなくても、無意味ではないと希望が持てる。
③将来、完全に癒されるという確かな約束
❶「その打ち傷によって、私たちは癒された」(イザヤ53:5)
❷これは単に「今すぐ病気が治るかどうか、という意味だけではない。
❸最終的な完全な回復の約束である。
❹聖書が語るゴールは、痛みのない体、涙のない世界、完全に回復された存在
❺だから私たちの苦しみも、今はつらくても、癒される未来を期待できる。
3。まとめ
イエスの鞭打ちと十字架は、単なる処刑ではなく、私たちの罪の結果すべてを身代わりに負う苦しみでした。その苦しみは、私たちの痛みを理解するためであり、私たちの苦しみに意味を与え、そして最終的な癒しを約束するものです。
だから、いつも付きまとう身体的な苦痛で絶望しないでほしい。 「この苦しみを神は知らない」とは言わないでほしい。「この苦しみは無意味だ」と絶望しないでほしい。なぜならイエスがすでにその苦しみを通り、共におられ、この苦しみには意味があり、必ず最後には癒されるからです。

