20260325ゾパルの裁き(ヨブ21:16-17)📺

20260325水曜礼拝

聖書:ヨブ21:16-17

題目:ゾパルの裁き

賛美:285、286

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

16 見よ、彼らの繁栄は彼らの手にあるではないか。悪人の計りごとは、わたしの遠く及ぶ所でない。

17 悪人のともしびの消されること、/幾たびあるか。その災の彼らの上に臨むこと、/神がその怒りをもって苦しみを与えられること、/幾たびあるか。”

‭‭ヨブ記‬ ‭21‬:‭16‬-‭17‬ 口語訳‬

16 見よ。彼らの繁栄はその手の中にない。悪者のはかりごとは、私と何の関係もない。

17 幾たび、悪者のともしびが消え、わざわいが彼らの上に下り、神が怒って彼らに滅びを分け与えたことか。

ヨブ記 21:16−17 新改訳

1。誰が正義か?

 13世紀、モンゴル帝国は陸続きで歴史上最大の版図を築きました。その広さはおよそ2400㎢と言われ、38㎢の日本の60倍以上の大きさです。ヨーロッパでは大敗が続き、モンゴル軍が神聖ローマ帝国の目前まで来ました。イスラム世界も危機的状況で、モンゴル軍がエジプトの目前まで来ました。しかし、モンゴルは50年で内部分裂を起こし、神聖ローマ帝国は侵略されず、エジプトは戦いで勝利を収めました。

 多くの人々は「正しい者が勝ち、悪は滅びるはずだ」という考えで生きています。しかし、ヨーロッパは正義だったから助かったのでしょうか。イスラムは正義だったから生き残ったのでしょうか。モンゴルは正義だったから大帝国を築いたのでしょうか。もしくは逆に悪だったから短期間で崩壊したのでしょうか。答えは出ません。なぜなら歴史は、「正義だから栄え、悪だから滅びる」という単純な法則で動いていないからです。それは私たちの生活でも同じです。「いい事をしたら報いがあり、悪い事をしたらバチが当たる」という単純な法則では私たちは生きていないのです。

2。本文解説

① ゾパルの怒り

 ゾパルはヨブの発言を聞いて怒りました。例えば、「『神がわたしをしえたげ、その網でわたしを囲まれたのだ』と知るべきだ。 見よ、わたしが『暴虐』と叫んでも答えられず、助けを呼び求めても、さばきはない。」(ヨブ19:6–7)という発言です。「神は不正だが、自分は正しい」という風にゾパルには聞こえたようです。

ゾパルの反論(20章)

 ゾパルはヨブに反論します。「悪しき人の勝ち誇はしばらくであって、神を信じない者の楽しみはただつかのまであることを」(ヨブ20:5)と言いました。ゾパルの主張は、善人は繁栄し、悪人はすぐ滅びるということです。つまり神様は、「今すぐ正しく報いるお方」なのです。

③ヨブの主張(21:16)

 それに対するヨブの反論が「見よ、彼らの繁栄は彼らの手にあるではないか。悪人の計りごとは、わたしの遠く及ぶ所でない」(口語訳)です。これは、ゾパルの理論通りではなく、「現実では悪人が繁栄しているでしょう?」という問いかけです。ヨブは現実を見なさいと言っています。しかし、ヨブにとって悪人の繁栄に興味がないとも言っています。

④翻訳の違い

 ちなみに16節を新改訳で見ると、「 見よ。彼らの繁栄はその手の中にない。悪者のはかりごとは、私と何の関係もない」となっています。口語訳では「悪人の手に繁栄がある」と言っているのに、新改訳「悪人の手に繁栄がない」と言っているように見えて混乱するかも知れません。しかし、本質は同じことを言っています。口語訳では、「悪人が確かに繁栄している」という現実に焦点を当てていますが、新改訳では「繁栄は悪人自身の力ではない」という説明に焦点を当てているのです。口語訳は文脈重視で文学的ですが、新改訳は原文重視で説明的、という違いがあるようです。最終的に、16節が言いたいことは「悪人は実際に繁栄しているが、その繁栄は善悪の結果ではない」ということです。

⑤ヨブの主張(21:17)

 17節も読み方によっては逆になる場合があります。口語訳では「悪人のともしびの消されること、幾たびあるか」とあります。つまり「悪人が滅びたことは何度もないでしょう?」という意味です。新改訳では「幾たび、悪者のともしびが消え…神が…滅びを分け与えたことか」とあります。こちらは「何度も滅びを与えたでしょう?」というようにも「何度も滅びを与えてないでしょう?」とも読み取れる感じがします。しかし、ここでも同じ「滅びなんてほとんど起きてないでしょう?」という意味です。つまり、17節が言いたいことは「悪人のともしびは消えておらず、災いは頻繁に来ない」ということです。ヨブはゾパルの理論を否定しました。

⑥ゾパルの問題点とヨブの強さ

 ゾパルの問題点は、神様を自分が理解しやすいように単純化し、現実から理論に逃げて、引き続き自分が神の座に座ってヨブを裁いたことです。しかしヨブは、理論ではなく現実を正直に見ています。そして信仰の中で葛藤しています。信仰とは、現実逃避ではなく、現実の中で人格の神様を求めることなのです。神様の正義は私たち人間の理解を超えていることを忘れてはいけません。私たちにも、見える結果で人を裁かない信仰があることを望みます。

3。適用

①繁栄ではなく、神様を求める信仰を持ちましょう。

 私たちはつい「なぜ悪が栄えるのか?」と考えます。しかしこの問いの中には、実はもう一つの声が隠れています。「自分は正しいのに、なぜ栄えないのか?」という考えです。一見、正しい問いのように見えて、自分を“善”の側に置いている傲慢が潜んでいます。キリスト者には、繁栄ではなく神様に望みを置く信仰が求められています。

②イエスの答え

“こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭5‬:‭45‬ 口語訳‬

 悪人が栄えるのは、おかしい事ではなく、神の恵みの広さを表しているという事です。

“収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭13‬:‭30‬ 口語訳‬

 一方で、神様は罪を見過ごすお方ではありません。今は裁きの時ではないため、善と悪が混ざって繁栄していますが、裁きの時には、はっきりと悪が滅びることを聖書は教えています。

“人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。”

‭‭マルコによる福音書‬ ‭8‬:‭‭36‬ 口語訳‬

 ここに結論があります。繁栄するかどうかではなく、命を得るかどうかが本当の問題なのです。本当の価値は繁栄ではなく命にあります。悪魔は命と繁栄を結びつけて、繁栄を失わないように誘惑します。しかし本当に命に結びつくのは神様です。命につながる神様を失わないようにすることが、私たちにとって本当に必要なことなのです。

アサフの答え(詩篇73篇)

 詩篇73篇に登場するアサフという人物も、「なぜ悪が栄えるのか?」という悩みを持っていました。ダビデの幕屋やソロモン神殿における賛美のリーダーですが、神様を信じない人々が深刻な悩みもなく、豊かな生活をし、幸せそうに生きていることに不公平さを感じていたのです。嫉妬心が生まれて、真面目に神様に仕えて苦労している自分が馬鹿みたいに感じたのでしょう。

 しかし神様はアサフに悟りを与えました。それは、神様から離れて栄える者の最後は滅びであるが、自分は常に神様と共にいて滅びないという真理です(詩篇73:18,23)。悪人は繁栄しているように見えても、その土台は滑る場所、安定しているようで最も不安定な場所にいることに気づいたのです。

 聖所は大祭司しか入れないため、契約の箱は大祭司しか見ることができませんでした。しかしアサフは契約の箱の前で賛美をしています。愛する神様の近くにいるということに気づいたのです。アサフは、論理で分かったのではありません。現実を分析してわかったのでもありません。ただ神様の臨在の中で、繁栄ではなく神様を求めるべきだということを理解したのです。

4。まとめ

 私たちはどちらを求めますか?この世の繁栄ですか?神様ご自身ですか?ヨブは問い続けました。ゾパルは決めつけました。アサフは神様の臨在の中で理解しました。イエス様は本当の価値は繁栄ではなく、神様にあることを教えています。

 現実も理論も大事ですが、現実を見るだけで答えが出るとは限りません。理論で説明できるとは限りません。悪の繁栄を羨ましがらず、ヨブのように現実がつらくても、神様の臨在を求めて下さい。このように祈りましょう「主よ、繁栄ではなく、あなたが来て下さい」。

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