20251204避けられない困難がある(使徒27:9-20)
20251204早天祈祷会
聖書:使徒27:9-20
題目:避けられない困難がある
賛美:325、326
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
(1)パウロの進言
長い間、天候が回復せず、一行はクレテ島の「良い港」にとどまっていました。この時期はすでに航海に危険な季節に入っており、パウロは出航に反対しました。
当時、11月中旬から4月中旬までは冬のため航海は完全に停止され、9月中旬から11月中旬も危険な時期とされていました。また「断食の季節」とは、9月末から10月初めに行われる贖罪の日を指し、大祭司が至聖所に入り、いけにえの血をささげる日でした。ユダヤ人たちはそれぞれの場所で断食を行いました。
パウロの助言は神の特別な啓示によるものではなく、これまでの経験に基づくものでした。彼はこれまで約12回、合計4800km以上の航海を経験し、すでに3度の難破も経験していました。その経験から、今回の航海が危険であると判断したのです。
(2)百人隊長ユリアスの判断
しかし百人隊長ユリアスは、パウロの言葉よりも、船長や船主といった専門家の意見を信じました。これは人間的には当然の判断でした。パウロは航海の専門家ではなかったからです。
また「良い港」は冬を越すには不便で小さく、停泊している船が被害を受けやすい場所でもありました。そのため、多くの人々は、約80km先にあるクレテ島のピニクス港まで移動し、そこで冬を過ごそうと考えました。すでに800km以上の旅をしてきた彼らにとって、あと1〜2日でより安全な港に到着できるという判断は、決して不合理ではありませんでした。
ちょうどその時、穏やかな南風が吹き始め、これまでの北風が止んだため、彼らは出航を決断しました。しかし間もなく、「ユーラクロン」と呼ばれる暴風が突然吹きつけ、船は激しく流されることになりました。
(3)嵐の中での漂流
船は風に逆らうことができず、流されるままになりました。クラウダという小さな島の陰に入ったことで、ようやく小舟を回収することができました。この小舟は船の後ろに繋がれていたもので、そのままでは本船に衝突する危険がありました。
さらに、船が波によって壊れないように、綱で船体を巻いて補強しました。また、南に流されてスルテスの浅瀬(リビア沿岸)に乗り上げることを恐れ、帆を下ろして流れに任せました。
暴風は三日間続き、人々はついに積荷を海に投げ捨て、さらに三日目には船具までも捨て始めました。これは、アレキサンドリアから運ばれていた貴重な貨物をすべて失うことを意味していました。
その後も嵐は収まらず、太陽も星も見えない日が続きました(約2週間)。当時は羅針盤がなく、星の位置で方角を判断していたため、方向すら分からなくなりました。276人の乗員も、ルカを含めて、ついに助かる望みを失ってしまいました。パウロが警告していた通り、命の危険が現実のものとなったのです。
2.適用
(1)避けられない困難がある
百人隊長がパウロではなく、航海士や船長の言葉を信じたのは当然のことでした。専門家の判断も決して大きな間違いではなく、むしろ合理的なものでした。つまり、この出来事は誰か一人の明確なミスによって起こったものではありません。
それにもかかわらず、彼らは大嵐に遭い、死の危険に直面することになりました。ここから分かることは、どれほど注意していても、困難は避けられない場合があるということです。
(2)重要なのは困難の中での態度
大切なのは、困難そのものではなく、その中でどのような態度を取るかです。どんなに気をつけていても、事故や試練は起こります。その時にどう反応するかが問われます。
例えばカインとアベルのように、困難の中で誤った選択をすることもあります。しかし、ルカのように絶望に支配されてしまうのではなく、希望を持ち続けることが重要です。
(3)イエスの姿に学ぶ
イエスは十字架の上においても絶望されませんでした。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか、わからないのです」と祈られました。
極限の苦しみの中でも、他者を思いやることができたのは、絶望していなかったからです。
すべての人に困難はあります。しかしキリストを信じる者には、その中にも希望があります。
3.まとめ
パウロたちは遭難し、死の危機に直面しました。そして多くの人が絶望に陥りました。しかし、私たちは一つのことを忘れてはなりません。それは、どれほど注意していても、困難は訪れるということです。
だからこそ重要なのは、その困難の中で希望を失わないことです。神が働かれることを信じ、自暴自棄になるのではなく、信仰を持って歩み続けていきましょう。

