20251029与えられる回復と希望(ルツ4:13-17)
20251029水曜礼拝
聖書:ルツ4:13-17
題目:与えられる回復と希望
賛美:526、542
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
【聖書朗読】
「こうしてボアズはルツをめとって妻とし、彼女のところにはいった。主は彼女をみごもらせられたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。
そのとき、女たちはナオミに言った、『主はほむべきかな、主はあなたを見捨てずに、きょう、あなたにひとりの近親をお授けになりました。どうぞ、その子の名がイスラエルのうちに高く揚げられますように。
彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人のむすこにもまさる彼女が彼を産んだのですから』。
そこでナオミはその子をとり、ふところに置いて、養い育てた。
近所の女たちは『ナオミに男の子が生れた』と言って、彼に名をつけ、その名をオベデと呼んだ。彼はダビデの父であるエッサイの父となった。」
(ルツ記4章13–17節)
1.ユダヤ人にとっての「門」の意味
聖書の背景を理解するために、「門」という場所の意味を確認したいと思います。
まず町の構造の違いを見ると、ローマでは城壁に囲まれた町の中に広場(アゴラ)があり、人々がそこに集まりました。一方ユダヤでは、城壁の「門」が人々の集まる場所でした。日本では城壁のない町において、道端や井戸などが人の集まる場所となっていました。
次に「門」の意味合いですが、ローマでは国家の権威や防衛の象徴でしたが、ユダヤでは裁きや契約、証言を行う公的な場所でした。日本では公と私を分ける境界線の意味合いを持っています。
ユダヤ人にとって門は、人々が集まり正義を行う場所でした。したがって、人が門に集まらなくなることは、正義が失われることを意味し、それは共同体の崩壊の始まりでした。イザヤ書にある「その門は嘆き悲しみ」という言葉は、そのような崩壊した状態を表しています。
2.ルツとボアズの結婚
(1)門での話し合い(法的手続き)
ボアズは、ルツとの結婚を律法に従って進めるため、門で正式な手続きを行いました。
彼は、親戚が門の前を通ることを知って待ち構え、呼び止めました。そして証人として必要な10人の長老を座らせました。この10人という数は、共同体の最小単位を表しています。
議題は二つありました。
第一は、ナオミの土地の買い戻しについてです。ナオミは貧困のため、夫エリメレクの土地を売ろうとしていました。律法では、土地はまず親族が買い戻す権利を持ち、それを放棄することは許されていませんでした。
第二は、ルツの買い戻しについてです。エリメレクの息子たちはすでに亡くなっており、家系を継ぐ者がいない状態でした。そのため、誰かがルツと結婚して子どもをもうける必要がありました。ボアズは、この土地と家系の問題を一体として提示したのです。
(2)ボアズとルツの結婚
最も権利のある親戚は、「買うことができない」と答えました。理由は、経済的な負担が大きく、自分の家にとって不利益になると考えたからです。土地だけでなく、ルツとナオミの生活も支える必要があったためです。ここで問題となったのは、ルツがモアブ人であることではなく、経済的な現実でした。
こうして、律法に従った手続きが完了し、ボアズは正式にルツと結婚しました。そして、土地と家系を買い戻し、やがて一人の子どもが与えられました。その子の名は「オベデ(従う者)」です。
聖書は、この子が「七人の息子にもまさる」と語ります。これは、完全さを象徴する数である七を超える祝福を意味しています。
(3)与えられた回復と希望
ここに大きな回復があります。
ルツもナオミも、従順を通して買い戻されました。ナオミはかつて「マラ(苦い)」と自らを呼びましたが、オベデを通して再び「ナオミ(喜び)」へと回復されました。
さらに、この家系はやがてダビデ王へとつながり、そこからメシアが現れるという、神の大きなご計画の中に組み込まれていきます。
3.適用① 神を基準にした生き方
イエス様はこう言われました。
「わたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。…あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」(ヨハネ15:10–11)
神様の戒めを守ることは、神様を愛することです。そしてそこに、満ちあふれる喜びがあります。
この喜びは、能力や努力によって良い結果を出した時の満足ではありません。神様との関係が回復し、神様が喜ばれるとき、その喜びが私たちの喜びとなるのです。
キリスト者に真の喜びを与えるのは、「支配する心」ではなく「従う心」です。
ナオミの人生も同じでした。自分の判断でベツレヘムを離れた結果、夫と二人の息子を失い、「マラ(苦い)」となりました。しかし、ルツとボアズを通して神に従う歩みに戻ったとき、再び「ナオミ(喜び)」へと回復されたのです。
喜びの回復は、行動の基準を自分ではなく、神様に置くことから始まります。
4.適用② 愛をもって他者に関わる生き方
使徒パウロはこう語っています。
「受けるよりは与える方が、さいわいである。」(使徒20:35)
弱い者を助けるとは、自分に利益をもたらさない人にも愛をもって接することです。損に見えることであっても、人に関わることこそが祝福につながります。
人と関わることを避け、自分だけで精一杯の人生は、限界のある喜びしかもたらしません。しかし、愛をもって人に関わるとき、パウロのように苦難の中でも大きな喜びを経験することができます。
ナオミに喜びの希望を与えたのは、ルツとボアズでした。ルツはナオミの人生に、ボアズはルツの人生に、愛をもって関わりました。そこには利益はほとんどありませんでしたが、その関わりが互いの人生を変え、ついには人を救う系図へとつながっていきました。
また、私自身の歩みを振り返ると、多くの教会が能力や利益を基準に人を選ぶ中で、イエス愛の教会は「牧師を育てる」という目的で関わってくださいました。そこには感謝と希望があります。
喜びの希望は、自分の人生だけに閉じるのではなく、愛をもって他者の人生に関わるところに生まれるのです。
5.証し:五十嵐薫とマザー・テレサ
五十嵐薫(1953年生)は、インドでマザー・テレサと交流のあった日本人です。彼は、孤児院を作りたいという思いを抱き、「親のない子どもたちに母のような存在を与えたい」と願っていました。
その時、マザー・テレサはこう問いかけました。
「あなたに私と同じことができますか?」
彼が「できません」と答えると、マザーはこう言いました。
「私もあなたと同じことはできません。人にはそれぞれ使命があります。あなたはあなたのすべきことをしなさい。」
しかし同時に、「祈りを忘れてはなりません」と教えました。祈りを通して神に委ねるとき、神ご自身が働かれるというのです。
五十嵐は祈り続けました。祈る中で、自分の中にある「認められたい」という不純な思いにも気づかされました。それでも祈り続ける中で、「純粋な心を持ちなさい。そうすれば私が建てる」という確信が与えられました。
やがて、募金活動に頼らずとも、本当に孤児の家が建てられたのです。
ここに共通しているのは、彼らが自分のためではなく、他者のために人生を用いたこと、そして神に基準を置いたことです。
6.まとめ
ナオミのように回復し、希望に生きる人生を送るために大切なことは三つあります。
第一に、神様を基準にして行動することです。これは神様との関係を回復することです。
第二に、他人の人生に愛をもって関わることです。
第三に、そのとき私たちの喜びは回復し、希望が生まれるということです。
どうか、大阪中央教会のすべての聖徒が、喜びを回復し、希望に満ちた人生を歩むことができますように。

