20251029死の先に希望がある(ヨハネ11:25)

20251029弔慰礼拝

聖句:ヨハネ11:25
題目:死の先に希望がある
賛美:249、301

説教:高曜翰 牧師

場所:家庭


【聖書朗読】

「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」
(ヨハネによる福音書11章25節)


【説教】

死の先にある希望

今お読みした御言葉は、ラザロという青年が亡くなり、悲しみに暮れていた姉マルタに対して、イエス様が語られた言葉です。

マルタは、弟ラザロが病気になったとき、すぐにイエス様のもとへ人を遣わしました。ラザロの病気を癒していただくためでした。しかし、イエス様が到着される前に、ラザロは亡くなってしまいました。

そして、亡くなってから四日後にイエス様が来られたとき、マルタはこう言いました。
「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」

そこには、深い悲しみとともに、やりきれない思いがありました。

しかしイエス様は、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」と語られ、さらにこう宣言されました。
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」

そして祈られた後、ラザロは多くの人々の前でよみがえったのです。

この出来事が私たちに教えていることは何でしょうか。それは、イエス様を信じる者にとって、死は終わりではないということです。その先には神の国があるという希望があるのです。

ラザロの復活は、イエス様の言葉が真実であることを人々に示すために起こされました。


【人間の死とキリストの希望】

人は誰もが死を避けることはできません。お金の有無や、善悪に関係なく、必ずその時が訪れます。行きたくなくても、避けることのできない最終地点、それが死です。

しかし、イエス・キリストを信じる者にとって、死は終わりではありません。

キリスト者は、死んでも生きるのです。それは、救い主としてこの世に来られ、私たちの罪のために身代わりとなって死なれ、そしてよみがえられたイエス・キリストを、自分の王として受け入れることによって与えられる命です。

私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、よみがえりの命にあずかることができるのです。


【Lさんの歩み】

闘病生活を戦い抜かれたLさん(76歳)の姿は、主のもとに立ち返ることの大切さを、私たちに教えてくださいました。

つらい闘病生活の中にあっても、不平不満を口にするのではなく、神様を求め続けられたその姿を、私たちは忘れてはなりません。

生前、L​さんは大阪中央教会において、金貞淑師母と交流があり、共に食事をしたり、美容室に行ったりと、親しい交わりを持っておられました。教会に頻繁に来られることは多くはありませんでしたが、今年の春のバザーの際には、服などを持ってきてくださり、教会を支えてくださいました。

病を通して変えられたL​さんは、高永守牧師と金貞淑師母の家庭訪問の際、涙を流しながら悔い改め、主に賛美を捧げ、謙遜に祈り、御言葉を心に刻まれました。

「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」
このイエス様の言葉を受け入れられたL​さんは、今、安らかに主のもとに迎え入れられていると、私たちは信じます。


【残された私たちへのメッセージ】

このイエス様の言葉は、L​さんだけでなく、残された私たち一人ひとりに向けられたメッセージでもあります。

イエス・キリストを信じるとき、死は恐ろしい終わりではなく、希望へと続く通過点へと変えられます。

どうかこのことを忘れないでください。

そして私たちもまた、イエス・キリストを信じ、神の国においてL​さんと再び会える日を待ち望みつつ歩んでいきましょう。


【祈祷】

愛する天の父なる神様。

今日、L​さんが主のもとへ召されました。闘病生活の中で主が出会ってくださり、キリストの平安を与えてくださったことを心から感謝いたします。

今、残されたご遺族の悲しみは大きなものがあります。どうか主ご自身がその心を慰め、癒してくださいますように。

また私たちが、死で終わるのではなく、その先にある神の国に希望を持ちつつ、残された人生を歩むことができますように導いてください。

主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 

アーメン。​ 

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