20250927エゼキエル―私たちのアイデンティティ(エゼキエル11:19-20)
20250927土曜祈祷会
聖書:エゼキエル11:19-20
題目:エゼキエル―私たちのアイデンティティ
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
聖書箇所(口語訳)
「そしてわたしは彼らに一つの心を与え、彼らのうちに新しい霊を授け、彼らの肉から石の心を取り去って、肉の心を与える。これは彼らがわたしの定めに歩み、わたしのおきてを守って行い、そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの神となるためである。」
(エゼキエル書 11:19–20)
1.背景
① エゼキエルとはどのような人物か
エゼキエルという名前には、「神が強めてくださる」という意味があります。
彼は紀元前597年、バビロン捕囚の第二回目のときにバビロンへ連れて行かれました。当時25歳前後であり、このときエホヤキン王をはじめ、王族や貴族、兵士、大工や鍛冶屋など約1万人が捕囚として移されました。
エゼキエルは、エルサレムが完全に崩壊する前から、捕囚の地において預言者として働きました。彼の活動の場所は、バビロンのケバル川のほとりでした。
神は彼に神殿の幻を見せることを通して、イスラエルに対する裁きと、やがて与えられる回復の約束を語らせたのです。
2.バビロン捕囚によって奪われるアイデンティティ
① 環境の大きな変化
バビロン捕囚は、単なる場所の移動ではなく、人生そのものを大きく変える出来事でした。
住む場所は、家族と共にいたエルサレムから、孤独なバビロンへと変わりました。食生活も、モーセの律法に従ったものから、バビロン人の食事へと変化します。言語もヘブル語からアッカド語へと変わり、立場も祭司から捕虜へと大きく変えられました。
② アイデンティティの変化
このような環境の変化は、人々のアイデンティティにも影響を与えます。
彼らはユダヤ人としての意識を失い、バビロン人として生きることを強いられました。教育もユダヤのものからバビロン式へと変わります。
信仰においても、本来は主なる神(エホバ、アドナイ)を礼拝していたにもかかわらず、バビロンの神マルドゥク(ベル)へと傾いていく危険がありました。
さらに、名前さえも変えられることがありました。たとえばダニエルは「神は私の裁判官」という意味の名前から、「ベルテシャザル(神が守りたまう)」という異教的な名前へと変えられたのです。
このようにして、人々のアイデンティティは徐々に奪われていきました。
3.神様が与える新しいアイデンティティ
そのような状況の中で、神様はまったく新しいアイデンティティを与えると約束されます。
① 一つの心が与えられる
分裂し、偶像へと向かっていた心が、ただ神様だけに向かう一つの心へと変えられます。
② 新しい霊が与えられる
ここで言われている「新しい霊」は、聖霊を指しています。人間の努力や力ではなく、神の霊によってこそ、神に従うことが可能になるのです。
③ 石の心から肉の心へ
神はまた、人の内面そのものを変えてくださいます。
石の心とは、硬く、変わらず、感覚を失い、閉ざされた心のことです。それに対して肉の心とは、柔らかく、変化し、神の言葉に応答することのできる心です。
神はこのようにして、人の心そのものを新しくしてくださいます。
④ 契約関係の回復
「彼らはわたしの民となり、わたしが彼らの神となる」とあるように、神との契約関係が回復されます。
ここで重要なのは、血筋としてのイスラエルではなく、神との関係によって「神の民」とされるということです。
⑤ 私たちのアイデンティティは神の国にある
聖書は次のようにも語っています。
「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」
(ピリピ人への手紙 3:20)
私たちのアイデンティティは、この世にあるのではありません。イスラエルでもバビロンでもなく、天にあるのです。
私たちは、死んでもよみがえる神の国の民です。そして神は、そのように生きるために必要な霊と心を与えてくださいます。
だからこそ私たちは、神の国の民として、大胆に生きていくことができるのです。

