20250816ナホム―神の二面性(ナホム1:1-5)
20250816土曜祈祷会
聖書:ナホム1:1-5
題目:ナホム―神の二面性
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
序論
「主はねたみ、またあだを報いる神である。主はあだを報いる者、また憤る者である。」(ナホム1:2)
神は愛の神であると同時に、義なる裁きの神でもあります。
本日はナホム書を通して、その神の「二つの側面」について学びます。
1.預言者ナホムとは
(1)ナホムの背景
ナホムはエルコシ出身の預言者で、その場所はユダ南部ともガリラヤ北部とも考えられています。
彼の預言は南ユダ王国に向けられたものであり、時代的にはテーベ陥落(紀元前663年)からニネベ陥落(紀元前612年)の間とされています。
ナホムという名前には「慰め」という意味があります。
彼の預言は、神の公平な裁きによってもたらされる「慰め」を語るものでした。
(2)アッシリアという国
アッシリアは約1400年続いたオリエント最初の統一帝国であり、鉄の戦車と騎兵によって強大な力を持っていました。
しかしその支配は非常に残虐で、重税を課し、人々を恐怖で支配していました。串刺しや皮剥ぎ、目をくり抜くといった残酷な行為が行われていたのです。
彼らの王は自らを「正義の王」と呼びましたが、首都ニネベは偽りの正義の象徴でした。
(3)愛の神としての働き
神はイザヤを通して「アッシリアはわが作品である」と言われました。
さらに神は、預言者ヨナを通してニネベの人々に悔い改めを促されました。
つまり神は、アッシリアに対しても愛と忍耐をもって接しておられたのです。
しかしアッシリアは悔い改めず、北イスラエルを滅ぼし、南ユダを苦しめ続け、悪を重ねていきました。
(4)義の神としての裁き
悔い改めないニネベに対して、神はナホムを通して裁きを宣告されました。
神は「怒るに遅い」方ですが、罪を見過ごす方ではありません。
ついにニネベは、メディアとバビロンによる侵攻によって陥落し、歴史から姿を消しました。
(5)神の二つの性質
ここで私たちが覚えるべき神の性質は次の通りです。
- 神は愛と忍耐をもって待たれる方である(怒るに遅い)
- 同時に、正義と聖さをもって罪を必ず裁かれる方である(罰すべき者を決して見逃さない)
- その力は自然界すら支配し、全地に及ぶ
神は一面的なお方ではなく、この両方を完全に持っておられるのです。
2.適用:私たちへのメッセージ
(1)神は小さな罪も見逃されない
「人は語る無益な言葉についても言い開きをしなければならない」(マタイ12:36-37)
神の前では、言葉一つでさえ責任が問われます。
私たちは、人を傷つける言葉や、自分を正当化する言葉について悔い改める必要があります。
神の愛だけを強調し、義を軽んじることは危険です。
どんなに小さな罪であっても、神の前では見過ごされることはありません。
(2)悪が栄えているように見える理由
時に、悪人が栄えているように見えることがあります。
しかしそれは、神が愛と忍耐をもって待っておられるからです。
これは私たち自身にも当てはまります。
私たちが今生かされているのも、自分が優れているからではなく、神の忍耐によるものです。
だからこそ、人を裁く前に、自分自身を省みることが大切です。
もし自分に罪があると気づいたなら、それを無視するのではなく、悔い改めましょう。
(3)苦しみの中でも希望を持つ
もし私たちが不当な扱いや悪を受けているなら、希望を捨ててはなりません。
神は必ず正しく裁かれる方です。
悪は決して永遠に続くことはなく、神の時に裁きが下ります。
そしてその時、私たちは慰めを受けます。
だからこそ、神の公平な裁きを信じて、忍耐して歩み続けましょう。
結論
神は愛の神であると同時に、義の神です。
そのどちらか一方だけを見るのではなく、両方を正しく理解する必要があります。
神は忍耐をもって私たちを待っておられますが、同時に罪を見過ごされることはありません。
この神の前にへりくだり、悔い改めつつ、
またその正しい裁きを信じて、希望をもって歩んでいきましょう。

