20260805それでも祈る(ダニエル6:10)
20260805水曜礼拝
聖書:ダニエル6:10
題目:それでも祈る
賛美:364、365
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。」
ダニエル書 6:10 口語訳
1。はじめに
私たちは時々、教会に来ることができない理由を作ります。仕事が忙しい、家族の予定がある、疲れている、他に大切なことがある。そのような理由が全く間違っているわけではありません。しかし、私たちは考えなければなりません。教会に集まることは、時間が余っている人がすることではありません。信仰者は暇だから礼拝するのではありません。奉仕も暇だからするのではありません。神様が私たちに与えられた使命だから、人生の目的だから、他を諦めて神様の前に集まるのです。
私が大学生の時、ある教授が、部活動を理由に授業に来ない学生に言いました。「あなたの人生を導いているのは、授業なのか、それとも部活動なのか。」私たちも問われます。「私の人生を導いているものは何か。」
もちろん、様々な事情によって教会に来ることができない時もあります。しかし、その時でも絶対に忘れてはいけないことがあります。それは、神様との交流です。そして、その交流の中心にあるものが祈りです。今日は、どんな状況でも、神殿や会堂に行けなくても、祈り続けたダニエルから、「それでも祈る信仰」について学びたいと思います。
2。 ダニエルの祈り
①時代背景
ダニエル6章は、バビロン帝国が滅び、メディア・ペルシャ時代になった時の出来事です。バビロンを滅ぼしたのはペルシャ王クロスです。この時代に「メディア人ダリヨス」という人物が登場します。彼が歴史上誰であるかについては、いくつかの説があります。
- クロス王と同一人物と考える説
- バビロン地域を治めた行政官と考える説
- ペルシャ軍の将軍ゴブリュアスと考える説
などがあります。しかし、聖書が私たちに伝えたい中心は、彼の詳しい経歴ではありません。重要なのは、王が変わっても、神様はダニエルを用い続けられたということです。そして、他の歴史書が証明できなくても、実在の人物として考えるのが、聖書に権威を置く考え方であることを忘れないでください。
②外国で使命を果たしたダニエル
ダニエルは若い時、強制的にバビロンへ連れて行かれました。しかし、バビロン人としてではなく、神の民として生きました。政治家として働きましたが、彼の使命は、自分が生き残ることではありませんでした。それは、異国の地でも、神様の栄光を表すことでした。そして、その力の源は毎日の祈りでした。彼は80歳を超えても、神様との交流を失わなかったのです。
祈りとは単に、自分の願いを神様に伝えることではありません。祈りとは、神様との対話であり、親しい交流です。もし友人や家族との会話で、いつも自分の話だけをして相手の話を聞かなければ、良い関係は築けません。神様との関係も同じです。
祈りとは、「神様、私の願いを聞いてください」だけではなく、「主よ、あなたの御心を教えてください」「あなたの導きに従わせてください」という神様との交わりです。祈りを通して、私たちは神の民として、使命を果たすため、
・決断するための知恵。
・誘惑に勝つ力。
・悪の働きを見抜く霊的な洞察力。
・隣人を励ます愛の力。
などを受けることができます。そして、何よりも神様の御心に従う心が与えられます。祈りとは、信仰者として生きるための霊的な呼吸なのです。
③それでも祈ったダニエル
80歳を超えてもダニエルは優秀で、ダリヨス王は彼を高く評価しました。そのために他の総監や総督たちは妬みを持ちました。彼らはダニエルの失敗を探しましたが、何一つ過失も怠慢も見つけることができませんでした(ダニエル6:4)。
そこで彼らは、ダニエルの信仰を利用しました。「30日間、王以外に祈る者はライオンの穴に投げ込む」という法律を作らせたのです。王は彼らの陰謀に気付けず、署名してしまいました。これで、ダニエルがいつものように祈れば、正当性を持ってライオンの穴に入れて処刑することができます。逆に、ダニエルが祈りをやめたとしても、ダニエルを弱めることができると考えたようです。
ダニエルは、その文書に署名されたことを知って、自分の家に帰りました。そしていつものように、日に三度ずつ、ひざまずいて祈り、感謝しました。ここが重要です。ダニエルは危機になったから祈ったのではありません。危機になる前から祈っていました。だから危機の中でも、いつも通り祈ることができました。人の性格は逆境によって作られるのではありません。逆境の時に、それまでの人生が現れるのです。祈りの生活を積み重ねていたから、ダニエルは恐れず神様に従うことができたのです。
④神様を経験したダリヨス王
ダニエルはライオンの穴に投げ込まれました。王は法律を変えることができず、ただ、「どうか、あなたの常に仕える神が、あなたを救われるように」と声をかけることしかできませんでした。王はその夜、食事も喉を通らず、一睡もできませんでした。ダニエルが心配だったのです。そして朝になると、急いで穴へ行き、「ダニエルよ、生ける神のしもべよ。あなたがいつも仕えている神は、あなたを救うことができたか」と呼びかけました。王は「あなたがいつも仕える神」と言いました。これは、ダニエルの日々の信仰生活を王が知っていたということです。ダニエルは一晩で神様を証明したのではありません。毎日の祈りによって、神様を証ししていたのです。そして神様はダニエルを救い、王に生きている神様を知らせました。ダニエルは無傷でライオンの穴から出てきたのです。
3。 適用:仕える者として祈り続けよう。
①ダニエルの場合
ダニエルは、環境が変わっても祈り続けました。故郷エルサレムを失っても、異国の地バビロンにいても、年齢が80歳を超えても、命が危険にさらされても、祈ることをやめませんでした。ダニエルは、危機が来たから祈ったのではありません。ダリヨス王の言葉からわかるように、危機が来る前から、毎日仕える者として、神様との交わりを持っていたのです。
だから、人の陰謀が進んでいる時も慌てませんでした。自分を陥れる法律が作られている時も、抗議したり、相手を攻撃しませんでした。自分を守るために人に頼ることもしませんでした。隠れることもせず、ただ、いつものように神様の前にひざまずき、祈り、感謝しました。その結果、ライオンの穴の中でも変わらない平安が与えられたのです。
②イエスの場合
イエスも同じでした。十字架という最大の苦しみを前にして、いつものようにオリブ山に上り、いつものようにゲッセマネの園で祈りました。裏切り者のユダが探しに来る可能性の高い場所です。それをわかっていながらも、いつものように神様に祈る場所に向かったのです。神様との関係が周りの状況によって変わることがありませんでした。
「イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。 いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。」
ルカによる福音書 22:39-40 口語訳
そして、苦しみを避けるためだけではなく、父なる神様の御心に従うために、仕える者として、いつものように祈ったのです。自分の願いのためではなく、神の国のため、父なる神の御心を成し遂げるために祈りました。
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
ルカによる福音書 22:42 口語訳
③私たちの場合
私たちも、環境によって祈りの生活が変わる者ではなく、今日からでも神様に仕える者として祈り続ける者になりましょう。私たちの人生にも、ダニエルのように予想できない変化があります。環境が変わる時があります。人間関係で苦しむ時があります。正しく歩んでいても誤解される時があります。自分では解決できない問題に直面する時があります。その時、私たちは相手を責めたり、自分の力で状況を変えようとしたりします。しかし、ダニエルはそうしませんでした。イエスもそうしませんでした。
二人とも、人ではなく神様に向かいました。なぜなら、祈りとは問題を解決するためだけの手段ではなく、神様に仕える者として、神様の御心に従うための時間だからです。私たちも、苦しい時だけ神様を求めるのではなく、日々の生活の中で神様との交わりを大切にしましょう。そうすれば、忙しい時も、困難な時も、自分の思い通りにならない時も、「主よ、私の思いではなく、あなたの御心が成りますように」と祈る者になりましょう。
祈り続ける時、神様は私たちに状況を超えた平安を与えてくださいます。そして、私たちの「それでも祈る」姿を通して、周りの人々が「この人が仕えている神様は、生きておられる」と知るようになるのです。
4。結論
私たちは、悪が勝っているように見える時、心が揺れます。相手を恐れます。慌てます。時には相手を攻撃したくなります。なぜなら、その状況が最後の結果であるように見えるからです。しかし聖書は言います。「信じる者は、慌てることはない。」(イザヤ28:16)と。
ダニエルもイエスも、人の陰謀の中でも慌てませんでした。自分の命を狙う計画が進んでいる時も、いつものように祈りました。なぜなら、彼らは、人生は人の手の中ではなく、神様の御手の中にあることを知っていたからです。
大切なのは、神様について多くの知識を持つことだけではありません。苦しい時にも、神様へ向かい続けることです。ダニエルは禁止令の中でも祈りました。イエスは逮捕されることがわかっている中でも祈りました。そして、その祈りによって神様に栄光を表しました。
祈りとは、神様へ向かい続ける信仰者の最高の武器です。どんな状況でも。どんな場所でも。「それでも祈る」者になりましょう。


