20260726背いていた時の恵み(エゼキエル20:1-4)📺
20260726韓国語礼拝
聖書:エゼキエル20:1-4
題目:背いていた時の恵み
賛美:259、267
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「第七年の五月十日に、イスラエルの長老たちのある人々が、主に尋ねるためにきて、わたしの前に座した。 時に主の言葉がわたしに臨んだ、 「人の子よ、イスラエルの長老たちに告げて言え。主なる神はこう言われる、あなたがたがわたしのもとに来たのは、わたしに何か尋ねるためであるか。主なる神は言われる、わたしは生きている、わたしはあなたがたの尋ねに答えない。 あなたは彼らをさばこうとするのか。人の子よ、あなたは彼らをさばこうとするのか。それなら彼らの先祖たちのした憎むべき事を彼らに知らせ、」
エゼキエル書 20:1-4 口語訳
1。アウグスティヌス(354−430)
古代教会の教父として知られるアウグスティヌスは、青年時代、神様に背く人生を送っていました。信仰から離れてマニ教に入信し、とある女性と15年間同棲するなど放蕩な生活を送っていました。母モニカ(331−387)は、夫の暴力や浮気に加え、長男のアウグスティヌスも信仰の道を外れていることに心を痛め、何年にもわたって涙を流しながら神様に祈り続けました。
ある日、耐えかねた母モニカは司教に息子の説得をお願いしました。しかし、司教はその願いを断り、次のように言いました。「そのままにしておきなさい。彼のために祈り続けなさい。彼は学び続けるうちに、自分の誤りに気づくでしょう」。それでもモニカは涙を流しながら頼み続けました。そこで司教は有名な言葉を語ります。「行きなさい。このような涙の子が滅びることはありません。」
やがてアウグスティヌスは回心し、後年『告白』の中で、母について次のように記しています。「彼女は日に二度、欠かすことなく教会を訪れ、涙ながらにあなたに願い続けました。ひたすら息子の救いを求めていました。このような母の涙を、あなたが顧みないことがありえたでしょうか」(『告白』第5巻9章)。回心したアウグスティヌスは、自分が神様に背いていた時代を振り返り、その時すでに母は涙をもって自分を愛し、神様はその祈りを聞いて導いていた事に気づきました。そして、これまでの快楽を求めていた人生を断ち切り、残りの人生全てを神様と教会のために用いる決心をしたのです。
母モニカの夫は、自身が亡くなる少し前に回心しました。息子のアウグスティヌスは、母が亡くなる約1年前に回心しました。母は自分の残りの人生を、夫と息子の回心のために注いだのです。私たちは、過去の恥ずかしい時代を忘れたいと思います。しかし、背いていた時に注がれていた恵みの過去を知ることで、私たちはこれから自分がすべきことを知ることができます。
エゼキエル20章でも、神はイスラエルに過去を思い起こさせます。彼らは神に背き続けました。しかし神は何度も「わたしの名のために」彼らを滅ぼさず、忍耐し、恵みを与え続けました。過去を振り返るとき、イスラエルは自分たちの背きだけでなく、その背きの中でも変わることなく注がれていた神の恵みに気づくよう招かれているのです。
2。本文解説
①背景(1〜4節)
年代は紀元前591年。エホヤキン王が捕囚となって約7年目でした。この頃、ダニエルは第一回捕囚(605年)から約14年経っており、バビロン王宮で神を証ししていました。エゼキエルは第二回捕囚(597年)から約6年経っており、バビロンで捕囚民に預言していました。エレミヤはエルサレムで、召命から約36年間、悔い改めを叫び続けていました。場所は違っても、神様は三人の預言者を通して同じメッセージを語っておられました。
そんな中、長老たちがエゼキエルのもとへ来ます。彼らは未来を知りたかったのでしょう。「いつ帰れるのか。」「神は回復してくださるのか。」しかし神様は、「わたしはあなたがたの問いに答えない。」と言われます。神様は未来を語らず、過去を語り始められます。未来を尋ねた人々に、過去を語る。ここに神の愛ある皮肉があります。
しかし神が見せた過去は、「あなたは苦労した。」という歴史ではありません。「あなたは何度もわたしに背いた。」という歴史でした。
②神に背いた歴史(5〜32節)
神様はイスラエルの歴史を振り返られます。エジプトでも、荒野でも、約束の地でも、
彼らは偶像礼拝を繰り返しました。しかし、この章では何度も同じ言葉が繰り返されます。「わたしの名のために」(9、14、22節)。神は何度も裁くことができました。
しかし、そのたびに忍耐し、恵みを与え続けられました。神が過去を思い出させた目的は、罪だけを見せるためではありません。反逆の中にも働いていた神の恵みを思い出させるためでした。
③回復の約束(33〜44節)
最後に神は回復を約束されます。そして20章の結論が44節です。「あなたがたの悪い行いによってではなく、わたしの名のためにあなたがたを扱う」。救いの理由は、私たちの正しさではありません。最後まで変わらない神の恵みです。
3。 適用
私たちは過去を振り返るとき、「あの人に傷つけられた。」「あの時は苦しかった。」と思うことがあります。もちろん、それらも事実です。しかし神は今日、もう一つのことを見なさい、と語られます。「あなたはその時、どのような人だったのか。」神に従っていたでしょうか。いつも感謝していたでしょうか。神より自分を優先していなかったでしょうか。そして、そのような私たちを、神は見捨てませんでした。
新約聖書でペテロも同じ恵みを経験しました。彼は「命を捨ててもあなたについて行きます」と言いましたが、その夜、イエス様を三度否認しました(ルカ22:54-62)。しかし復活されたイエスは、ペテロを責めることなく、「ヨハネの子シモンよ、あなたはわたしを愛するか。」(ヨハネ21:15-17)と問いかけ、もう一度使命を与えられました。ペテロは、自分の失敗を忘れたから立ち上がったのではありません。自分が主に背いたにもかかわらず、主がなお愛し、赦し、用いてくださったことを忘れなかったのです。
私たちも同じです。未来へ進むために必要なのは、過去を消すことではありません。神に背いた私にも、神は恵みを与え続けてくださったことを思い出すことです。その恵みを知る人は、「神はあの時も見捨てなかった。今も見捨てない。これからも導いてくださる。」
という確信を持って、新しい一歩を踏み出すことができます。
4。まとめ
未来へ進むために、私たちは過去の何を思い出すべきでしょうか。自分の苦しみだけではありません。神に背いていた私を、それでも見捨てず、赦し、御名のために恵み続けてくださった神の愛です。その恵みを知る人は、ペテロのように過去に縛られず、新しい使命と希望を持って未来へ進むことができます。

