20260719使命を忘れた者達へ(エゼキエル19:1-4)📺

20260719韓国語礼拝

聖書:エゼキエル19:1-4

題目:使命を忘れた者達へ

賛美:326、330

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「あなたはイスラエルの君たちのために悲しみの歌をのべて 言え、 あなたの母はししのうちにあって、 どんな雌じしであったろう。 彼女は若いししのうちに伏して子じしを養った。 彼女は子じしの一つを育てたが、 それは若いししとなって、 獲物をとることを学び、人を食べた。 国々の人は彼に対して叫び声をあげ、 落し穴でこれを捕え、 かぎでこれをエジプトの地に引いて行った。」

‭‭エゼキエル書‬ ‭19‬:‭1‬-‭4‬ 口語訳‬

1。イントロ

 「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。映画『スパイダーマン』には有名な言葉があります。これは映画の中だけの話ではありません。聖書も同じことを語っています。神は誰かに力を与える時、その人が自分のためではなく、神の使命のために用いることを望まれます。王には王としての権威が与えられました。祭司には祭司としての務めがありました。預言者には神の言葉を語る使命がありました。

 しかし、その権威を自分の欲望のために使うなら、その力は取り去られます。今日のエゼキエル19章は、ユダの王たちに対する「哀歌」です。エレミヤの哀歌は滅んだエルサレムを見て泣く歌ですが、エゼキエル19章はこれから来る裁きを前もって歌う哀歌です。

 この章には二つのたとえがあります。一つ目は獅子。二つ目はぶどうの木。今日は特に獅子のたとえを通して、「神に選ばれた者は、その使命を果たさなければならない」ということを学びたいと思います。

2。本文解説

母獅子は子獅子を育てた(1〜2節)

 「あなたの母はししのうちにあって、 どんな雌じしであったろう」。母獅子とはユダ王国です。神様はダビデ王朝を選びました。これは人間の能力によるものではありません。神の選びでした。つまり王たちは最初から特別な使命を与えられていました。神の民を治め、神の律法に従い、神の栄光を現すこと。これが王の使命でした。

子獅子は力を間違った方向へ使った(3節)

 「獲物をとることを学び、人を食べた。」これは第一の子獅子、エホヤハズを指しています。彼はわずか三か月しか王ではありませんでした。しかし短い期間であっても、神のように民を守る王ではなく、獅子のように人を食い尽くす王になってしまいました。「人を食べた」とは文字通りではなく、民を苦しめ、暴力を用い、権力を乱用したことを表しています。王としての力を、神のためではなく、自分の欲望のために使いました。

神はその力を取り去られた(4節)

 「かぎでこれをエジプトの地に引いて行った」エホヤハズはエジプトへ連行されました。神が与えた王位でしたが、神がそれを取り去られたのです。さらに第二の子獅子、エホヤキンも同じです。彼も三か月で終わりました。9節には「彼をおりに入れてバビロンの王のところへ連れて行った。」とあります。神の使命を忘れた王たちは、皆同じ結末を迎えました。

ゼデキヤは前例を見ても学ばなかった

 後半では、ぶどうの木のたとえになります。ぶどうの木とはユダの民です。神によって水辺に植えられ、豊かな実を結ぶはずでした。しかし、神に頼るのではなく、エジプトに助けを求め、最後まで悔い改めませんでした。ゼデキヤは、エホヤハズも、エホヤキンも、捕らえられる姿を見ていました。それでも変わりませんでした。だから14節では「火がその枝から出て、その実を焼き尽くした。」と言われます。

 悲劇の原因は何でしょうか。敵が強かったからではありません。神に選ばれた使命を忘れ、自分のために生きたことです。だからこの章はダビデ王朝が終わることを悲しむ哀歌なのです。

 しかし神はダビデ契約を破棄されたのではありません。キリストが来られる時まで、王座は中断されたのです。そして真のダビデの子、イエス・キリストによって約束は完成する事になります。

3。適用:使命を思い出しましょう

 私たちは何のために選ばれたのでしょうか?聖書を見ると、神様は能力で人を選びません。神様は偶像崇拝をしていたアブラハムを選びました。そして、「あなたは祝福の基となる」という使命を与えられました。

 また、神様は漁師をしていたペテロを選びました。そして、「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言いました。選ばれたことが先で、使命は後から与えられたのです。

 エゼキエルは捕囚の地で預言しました。同時代の預言者エレミヤは故郷のエルサレムで預言しました。また、ダニエルはバビロンの宮廷で預言しました。皆、場所は違いました。しかし共通していることがあります。与えられた使命を果たしたことです。

 反対に、ユダの王たちは、神から選ばれ、王という大きな権威を与えられながら、その使命を忘れました。だから権威は取り去られました。

 私たちにも神はそれぞれ使命を与えてくださっています。家庭。教会。職場。地域。どこであっても、神は私たちを偶然そこへ置かれたのではありません。

 ここでイエスの言葉を思い出しましょう。

「主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭25‬:‭21‬ 口語訳‬

神が求めておられるのは、成功ではありません。忠実です。選ばれた使命に忠実であることです。私たちが最後まで忠実に使命を果たそうとすれば、そのための力を神様が与えて下さいます。

4。まとめ

 最後に一つ質問したいと思います。神はなぜユダの王たちを裁かれたのでしょうか。敵が強かったからでしょうか。政治が失敗したからでしょうか。そうではありません。神から与えられた使命を忘れたからです。

 では私たちはどうでしょうか。私たちもまた、キリストによって選ばれた者です。与えられた賜物も、立場も、力も、時間も、財産も、自分のためではなく、神の使命のために用いる時、神はその働きを祝福してくださいます。

 どうか今週も、「私は神に選ばれた者として、この場所で何を果たすべきだろうか。」そのことを問い続けながら、忠実に使命を果たして歩む一週間とさせていただきましょう。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭15‬:‭16‬ 口語訳‬

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