20260705収穫の先を見る信仰(詩篇65:8-13)📺
20260705麦秋感謝礼拝
聖書:詩篇65:8-13(新共同訳は9-14)
題目:収穫の先を見る信仰
賛美:83、587、588
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「それゆえ、地のはてに住む人々も、 あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。 あなたは朝と夕の出る所をして 喜び歌わせられる。 あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、 これを大いに豊かにされる。 神の川は水で満ちている。 あなたはそのように備えして 彼らに穀物を与えられる。 あなたはその田みぞを豊かにうるおし、 そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、 そのもえ出るのを祝福し、 またその恵みをもって年の冠とされる。 あなたの道にはあぶらがしたたる。 野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、 牧場は羊の群れを着、 もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、 彼らは喜び呼ばわって共に歌う。」
詩篇 65:8-13 口語訳
1。何を見ているのか?
①ある娘と父親
❶娘の不満「友達は毎月五千円もお小遣いをもらっているのに、私はもらえない。
お父さんは私のことを愛していないんだ。」
❷この考えは、正しい?正しくない?
この娘の問題は「父親を見ずに、お小遣いしか見ていない」ところ。
❸本当に大切なのは「お小遣い」でも「お小遣いをくれる父親」でもなく、
「愛してくれる父親」ないか。
❹お小遣いの有無で父親の価値を決めているなら、その子は父親を見失っている状態。
❺家計が苦しいのか、教育のためか、もっと良いものを準備しているのか、
父親には父親なりの事情がある事を考える必要がある。
❻重要なのは、豊かさや貧しさ以上に、養ってくれている父親がいるという事実。
②ある信者と神様
❶娘と父親の話の関係は、信仰生活の中でも起こる。
❷「順調だったら神様に感謝するけど、今年は不調だったから感謝できない」と考える。
❸問題は何か?神様自身ではなく、与えられた祝福で神様を評価している。
❹その結果、愛して養っている神様の存在を、過小評価してしまっている。
③ダビデと神様
❶詩篇65篇はダビデの収穫を感謝する歌。
❷ダビデは収穫を見て終わらず、収穫の向こうにいる、養い主の神様を見ている。
❸今日の麦秋感謝節も同じで、収穫の量を祝う日ではない。
❹収穫を与えてくださる神様に感謝し、礼拝する日。
2。本文解説
①背景:麦秋感謝節とは何か?
❶麦:その名の通り麦の収穫を感謝する日。
❷秋:実際は6月頃で秋ではないが、麦にとっての秋だから。
❸元ネタは、大麦の収穫を祝う過越の祭りの後の初穂の祭りと、
小麦の収穫を祝う七週の祭りを合わせたもの。
❹「私たちが頑張ったから」ではなく、「神様のおかげ」と感謝を捧げるための礼拝。
❺「収穫そのものに感謝」ではなく、「収穫を与えてくださる神様に感謝」する礼拝。
②8節「あなたのもろもろのしるしを見て恐れ…喜び歌わせられる」
❶ダビデは何を見たのか?
❷畑を見て、神様が働かれたしるしを見た。
❸そして喜びの歌を歌った。
③9節「あなたは地に臨んで」
❶「臨む」=「訪れる」=ヘブル語では 「パカード(פָּקַד)」
❷サラを顧みた(創世記21:1)、イスラエルを顧みた(出エジプト3:16)と同じ単語。
❸単に「訪れて、見る」という意味ではなく、心に留めて、世話をするという意味。
❹つまりダビデが見たのは「今年は雨が多かった」「運が良かった」という結果ではない。
❺神様がこの地を訪れて、心に留めて世話をしたことをダビデは見た。
④9−10節「水を注ぎ…田みぞを潤し、夕立でうねを柔らかくし、もえ出るのを祝福する」
❶人は、種を蒔き、畑を耕すことができる。
❷しかし、雨はどうすることもできない。
当然、太陽を昇らせることも、土の中で発芽させることもできない。
❸人間がどれほど努力しても命そのものを生み出すことができない。
❹だからダビデは、「私たちが育てた」とは言わず「神様が育てた」と歌っている。
❺農業だけでなく、私たちの人生も同じ。
⑴仕事も、家庭も、健康も、教会も、努力は必要。
⑵しかし、最後に命を与え、支え、実を結ばせるのは神様。
⑶だから私たちは、自分の成功を誇るのではなく、神様を礼拝する。
⑤11節「恵みをもって年の冠とし、あなたの道には油が滴る」
❶「その年を恵みの冠で飾る」
⑴一日だけ恵みをくださるということではない。
⑵一年間を神様の恵みが王冠のように包んでいた、という意味。
⑶私たちは振り返れと言うと、嫌なことばかりを思い出す。
⑷しかしダビデは振り返る時「今年も神様の恵みに囲まれていた」と言う。
❷「あなたの道には油が滴る」
⑴神様がギトギトの油で包まれているという意味ではない。
⑵水は命を表すが、油は豊かさを表す。
⑶神様が歩いた足跡に、豊かさがあふれるという詩的表現。
⑷ダビデは畑を見ながら、「ここには神様の通った足跡がある」と言っている。
⑸収穫だけを見て歌っているのではなく、神様の足跡を見て歌っている。
⑥12−13節「牧場は羊の群れを着て、谷は穀物を着て、共に歌っている」
❶羊が多すぎて、野原が羊を着ているように見える、ということ。
❷穀物が豊かすぎて、谷が黄金色の衣をまとっているように見える、ということ。
❸ダビデだけではなく、自然全体が礼拝者になっている。
❹自然を通して、神様を見る信仰をダビデが持っていることがわかる。
⑦詩篇65篇に見るダビデの信仰
❶ダビデは水を見ているが、それで終わっていない。
❷ダビデは収穫を見ているが、それで終わっていない。
❸神様が通った後の滴る油を見ている。
❹ダビデは幻覚を見ている訳ではなく、収穫を与える神様を見ている。
3。適用
①収穫の先にいる神様を見よう。
❶五千人の給食(ヨハネ6章)
⑴ある日、五千人を超える群衆がイエス様のもとに集まった。
⑵しかし夕方になると、食べ物が足りないという問題が発生。
⑶弟子達「ここは寂しい所です。人々を解散させてください。」
⑷弟子達が見ていたのは、パン、数字、現実、計算。→足りないが結論。
⑸しかしイエスは天を見上げて感謝し、パンを裂いた。→全員が満腹する結果。
❷人々は翌日もパンを求めてイエスのところにやってきた。
⑴イエス「なくなる食物のためではなく、永遠の命に至る食物のために働きなさい。」
⑵「私はいのちのパンです」→つまりパンを見て終わるな、という意味。
⑶弟子達・人々とイエスの違いは何か?
⑷弟子達も人々もパンだけを見て終わった。
⑸しかしイエスはパン不足という現実を通して神様を見た。
❸麦秋感謝節も同じ
⑴私たちは麦を見て終わるのではない。収穫を見て終わるのでもない。
⑵その収穫を与える神様を見ることが大事。
⑶パンを見るか、パンを与える主を見るか。
②収穫を通して神様を見ることが大事
❶当然、不作の年もある。不作の年は神様が顧みなかったのか?そうではない。
❷お小遣いをくれなくても父が娘を愛しているように、神様は私たちを愛している。
❸神様の 「パカード(פָּקַד)」=「顧みる」とは、毎年必ず豊作にすることではない。
❹私達の人生に関わり、養い、必要を満たし、時には試練の中でも共にいる事。
❺だから私たちは、「今年はたくさん収穫できたから感謝」ではなく、
「今年も神様が私たちを見捨てず、養い続けてくださった」と感謝することが大事。
③豊作不作に関わらず「神様は私を愛している」。
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」
ローマ人への手紙 8:32 口語訳
❶神様はすでに最も大切なひとり子を与えた。これ以上大きな愛の証拠はない。
❷だから私たちは、収穫や成功によっては神の愛をいちいち図る必要はない。
❸十字架によって神の愛を知り、キリストを見よう。
❹そうすれば、たとえ今年が不作の年でも「神様は私を愛している」と告白できる。
※父親がおこずかいをくれなくなっても、父の愛を感じることができるように。
4.まとめ
①麦秋感謝節はどんな日か?
❶収穫の量を競う日ではない。
❷収穫に感謝して終わる日でもない。
❸収穫を与えてくださる神様を礼拝する日。
②収穫の先にある神様を見ましょう。
❶ダビデは畑を見て、神様の足跡を見た。
❷イエスはパンを通して、ご自身を見なさいと言った。
❸私たちも恵みだけを見るのではなく、その恵みを与える主を見上げましょう。
③そして今年も私たちを顧み、養い続けてくださった主に、感謝と礼拝を捧げよう。

