20260628聖霊と教会と宣教(使徒2:1-4)📺
20260628日本語礼拝
聖書:使徒2:1-4
題目:聖霊と教会と宣教
賛美:82、190、505
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」
使徒行伝 2:1-4 口語訳
1。ユダヤの3大祭
①過越の祭り(ペサハ)
❶神様によってエジプトから解放されて、救われた日を記念する祭り。
❷「過越」は、神様が子羊の血を塗ったイスラエル人の家を通り過ぎたから。
❸翌日から始まる7日間の種無しパンの祭りは、
出エジプトが人間の準備による救いではないことを覚えるため。
❹過越の日の次の最初の安息日の次の日は「大麦の初穂の日」として祝う。
②7週の祭り(シャブオット)
❶神様から石板に律法が与えられて、神の民になった日を記念する祭り。
❷「7週」は、「大麦の初穂の日」から7週後の日曜日だから。
❸小麦の収穫の初穂を感謝する日でもある。
③仮庵の祭り(スコット)
❶神様と共に住むことを記念する祭り。
❷「仮庵」は、荒野で40年間、仮住まいをしていたから。
❸家があるからではなく、神様が共にいるから生きていることを覚えるため。
❹7日間行われ、8日目には特別な集会を開く。果実の収穫を感謝する日でもある。
❺ちなみに、日本では7月に大麦小麦の収穫を祝う「麦秋感謝節」があり、
11月に米の収穫を感謝する「秋収感謝節」がある。
④キリスト教では?
❶復活祭:イエスキリストによって罪から解放されて、救われたのを記念する日。
❷五旬節:神様から心に聖霊が与えられて、教会が建てられたのを記念する日。
❸神様と共に住むことを記念する行いがある。それがイエスの復活を伝えること。
❹ちなみに、イエスの復活を伝えることを、伝道もしくは宣教という。
❺伝道は信じていない人々に対して、宣教は信じていない地域や文化、民族に対して。
❻今日は、宣教のために教会が建てられ、聖霊が与えられたというお話。
2。本文解説
① 1節「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると」
❶「来る」が、原文では「満ちる」という言葉。
❷単に日付が来たという意味ではなく、神の約束の時が満ちたという意味。
❸「みんな一緒に集まった」のは、神様の約束に対する応答。
❹神様の恵みと私たちの信仰が出会うところで、教会の働きが始まった。
② 2節「激しい風が吹いてきたような響き」
❶風そのものではなく、音が聞こえてきた。
❷聖霊の到来が耳で知らされた。
③ 3節「炎のような分かれた舌」
❶火そのものではなく、目で見えた。火は神の臨在や清め、力を表す。
❷「分かれた」は、12使徒、もしくは120人にそれぞれ与えられたということ。
❸聖霊が祭司や預言者などの特別な人のものではない事を示している。
❹舌なのは、言葉を話すため。
④ 4節「他国の言葉で語り出した」
❶使徒2:6–11を見ると、各国の巡礼者が自分の言葉で理解している。
❷つまり聖霊が与えられた目的は、体験ではなく、伝達である。
⑤聖霊がこのようにやってきた目的
❶神様の言葉を聞いて、神様の働きを見て、神様の言葉を語るため。
❷聖霊によって教会に力が与えられたのは、福音を伝える「宣教」のため。
⑥ペンテコステの日に起こったこと。
❶聖霊が来ただけではない。
❷教会が生まれただけでもない。
❸宣教も同時に始まった。
❹つまり、聖霊と教会と宣教は切っても切り離せない関係だということ。
3。適用
① 聖霊が与えられ教会が建てられたのは宣教するためである。
❶聖霊はただの天国行きのチケットではない。
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。」
使徒行伝 1:8 口語訳
⑴確かに聖霊は天国に行くためのしるしである。
⑵聖霊に満たされれば、この世でも問題に左右されない内側の平安を得られる。
⑶しかし、聖霊を与えるのは、復活の証人として出ていくためである。
❷教会は快適な信仰生活のためではない。
「そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、」
マルコによる福音書 3:14 口語訳
⑴教会で礼拝することは当たり前に重要。神様と共にいる=礼拝
⑵教会で人々が癒されること、交流することも大切なこと。
⑶しかし、礼拝と同じくらい重要なのは、復活を伝えることである。
⑷イエスが12人を選び、ペテロに12人目を選び直す心が与えられたのも宣教のため。
❸聖霊も教会も宣教のためにある。
「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。」
マタイによる福音書 28:19-20 口語訳
⑴神様、イエスの関心は宣教である。
⑵聖霊は、異言や癒しといった奇跡の力を使い、自慢するためにあるのではない。
⑶教会は、人がただ集まって、身内で楽しむためにあるのではない。
⑷出ていって宣教するために、聖霊と教会が与えられている。
❹宣教をしないとどうなるか?
⑴教会が宣教をせずに、与えられた力を誇っていた時代がある。
⑵ それが中世時代(476−1517)の1000年間である。
⑶西ローマ帝国の滅亡からルターの宗教改革までの間。
⑷確かに教会が力を持っていたが、宣教という本質を失い、暴走していた。
⑸十字軍、異端審問、聖書の制限、免罪符の販売などで、神様から離れていった。
❺宣教とは単なる義務ではない。
⑴宣教とは、礼拝と同様に、神様を神様として認める重要な行い。
⑵神様が生きていて、共にいることを実感できる大切な行い。
⑶教会が貧しいから、忙しいからといってしなくていい話ではない。
⑷聖霊の力が与えられても、教会を守るだけで宣教しないなら、目的を失う。
⑸聖霊と教会と宣教は切っても切り離せない存在であることを忘れてはいけない。
❻大阪中央教会の宣教活動
⑴宣教献身礼拝を通して宣教献金を集めること。
⑵韓国の短期宣教チームと一緒に活動すること。
⑶教会創立記念日や秋のバザー、クリスマスなどのイベントをすること。
⑷宣教献金を集めて宣教師や神学校、慈善団体に送ること。
⑸HPやYouTubeやInstagramで投稿していること。
⑹単に伝道紙を配り歩いたり、人を連れてくるだけが宣教や伝道ではない。
⑺宣教で大切なのは、やり方や結果以上に、忠実さ。
⑻人と比べず、与えられた心と力で参加すればいい。
4。まとめ
①ユダヤ人は過越の祭りで救いを喜び、7週の祭りで神の民になったことを喜び、仮庵の祭りで神と共にいることを喜ぶ。
②キリスト教徒は、復活祭で救いを喜び、五旬節で神の民になったことを喜ぶ。それでは何をもって神と共にいることを喜ぶか?それは宣教である。
③教会が建てられたのも、聖霊が与えられたのも、宣教をするためである。教会、聖霊、宣教のどれが欠けても正しく機能しない。宣教は神様を神様として認める最も大切な目的である。
④大阪中央教会は小さくても、宣教を忠実に行うことで、神様と共にいることを喜ぶ教会であることを覚えてください。

