20260607見ずに信じる祝福(ヨハネ20:29-31)📺
20260607日本語礼拝
聖書:ヨハネ20:29-31
題目:見ずに信じる祝福
賛美:74、542、546
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」
ヨハネによる福音書 20:29-31 口語訳
1。見て信じた人々
①マグダラのマリヤたち
❶かつて7つの悪霊に取り憑かれていたが、イエスによって清められた女性。
❷十字架の後の日曜日の朝、イエスの遺体に香料を塗るため、お墓に行った。
⑴同行者:小ヤコブの母マリヤ、ヨハンナ(ヘロデの執事クーザの妻)、
サロメ(ヨハネと大ヤコブの母)。
❸イエスの遺体が消えていたため、ペテロとヨハネに確認してもらう。
❹2人が帰った後も、墓の入口で泣いていたら、「なぜ泣いているのか」と尋ねられた。
⑴墓の内から、2人の御使い
⑵墓の外から、墓地の番人らしき人
❺「マリヤよ」と呼びかけられ、振り返るとイエスだった。
❻イエスの「私に触ってはいけない」は、正確には「私にしがみ続けてはいけない」。
❼つまりマリヤは目で見て、しがみつき、イエスの復活を信じた。
❽そしてイエスは、復活を弟子たちに伝えるように頼んだ。
②トマスら弟子たち
❶日曜日の夜、トマス以外の弟子たちは、ユダヤ人を恐れて家に隠れていた。
❷マリヤたちの報告を聞いても、イエスの復活を理解する事ができなかった。
❸突然その真ん中にイエスが現れて、手と脇とを見せた。
❹弟子たちは見て、喜んで、イエスの復活を信じた。
❺そしてイエスは、復活を伝えるように頼んだ。
❻弟子たちはトマスに報告したが、トマスは直接見ないと信じないと言った。
❼8日後(一週間後の日曜日)、トマスを含めた弟子たちの前に、イエスが現れた。
❽トマスは脇腹の傷を見て、イエスの復活を信じた。
③共通点
❶マリヤたちも弟子たちも、トマスも、見てから信じた。
❷ 復活したイエスを見た人々は、その証人として遣わされた。
❸しかし、伝え聞いた人たちは、見るまで信じなかった。
2。本文解説
①29節a「あなたは私を見たので信じたのか。」
❶イエスの傷口を見て、イエスの復活を信じたトマスに対しての言葉。
❷トマスが信じた事を確認している。見て信じる事自体は悪いことではない。
❸しかし「本当は私の言葉を聞いて信じてほしかった」という意味が含まれている。
②29節b「見ないで信じる者は幸いである。」
❶「根拠なしに信じさない」と言っているわけではない。
❷目で見なくても、御言葉を信じる事ができる人は、祝福されているという意味。
❸視覚情報ではなく、御言葉が根拠になって信じる者になる事が重要。
③30節「イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、…行われた」
❶なぜ全部書かないのか?しるしの多さが重要ではないから。
❷逆に言えば、読者がイエスを信じるのに十分なしるしがこの福音書には書いてある。
❸イエスの行ったしるしを私達が事細かに全部知る必要はない。
④31節「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると
信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」
❶ヨハネが証言を集めて厳選して書いた目的は、読者がイエスを信じるため。
❷見て信じた事例を立て続けにヨハネは書いたが、その証言を聞いて信じてほしい。
❸次世代に、何も根拠なしにイエスを信じてほしい、と言っているのではない。
❹ 「見る」過程がなくても、イエスを信頼できる十分な御言葉(証言)がある。
❺それが、当時にはなかった、ヨハネによる福音書であり、新約聖書である。
❻ 「見る」ができないことは、決して不公平ではない。
⑴マリヤや弟子たち:御言葉(証言)を聞く→見る→信仰(信頼関係)→命
⑵私たち現代人:御言葉(証言)を聞く→見る→信仰(信頼関係)→命
3。適用
①見ずに聞いて信じた者には祝福が与えられる。
❶御言葉だけに立つ信仰に近づく事ができる。
「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」
ローマ人への手紙 10:17 口語訳
⑴「見る」のは「自分中心」「感情中心」になりやすい。「私が納得したい」。
→自分を信頼する心から抜け出しにくい。
例)神様を信じる自分を信じるのは信仰か?
⑵「聞く」のは「相手中心」「人格中心」になりやすい。「信頼するしかない」。
→強い信頼関係を生みやすい。
例)「見る」ことなしに息子の言葉を信じる父親。
⑶ 「見る」がない分、視覚情報に左右されない信頼関係が築かれる。
❷「見る」誘惑から遠ざかる事ができる。
⑴「見る」から入ってくる誘惑は多い。例)エバ、アカン、ダビデ
⑵「見る」が中心になると、神の祝福ですら、見えなくなると不安になる。
⑶「関係」中心の信仰から、「結果」中心の信仰に陥りやすい。例)パリサイ人
⑷重要なのは「見る」ではなく、関係を大切にしようとする「心の向き」や「姿勢」。
❸神の臨在を目ではなく信仰によって味わえる。
「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。」
マタイによる福音書 28:19-20 口語訳
⑴信仰(信頼関係)の中で生きることで、主がいつも共にいる事を体験できる。
⑵特に、信頼関係の上に与えられた「復活を伝える」という使命の中で強く働く。
⑶「聞いて、見て、信じる」でなく「聞いて、信じて、見る(体験する)」事ができる。
⑷神様がいない時は、自分の能力と努力と偶然の中で生きていた。
⑸しかし、信じると、見る事はできなくても、確かに神様がいる事を体験できる。
4。まとめ
①聞いて、信じる事に挑戦してみよう。
❶「疑って、信じない」というのは、小学生でも誰でもできる簡単なこと。
❷しかし、「聞いて信じる」というのは、偉い人だろうが誰でもできない難しいこと。
❸しかし聖書の証言を見ずに、聞いて信じた者には祝福が与えられる。
❹そして信じるために重要なのは、「見る」ことではなく「聞く」姿勢。
②その祝福とは、
❶御言葉だけに立つ純粋な信仰を持つ事ができる。
❷「見る」誘惑から遠ざかる事ができる。
❸神の臨在を目ではなく信仰によって体験できる。
❹見てから信じるのではなく、御言葉を聞いて信じ、神様の与える祝福を体験できる者になりましょう。

