20260320見ないで信じる信仰(ヨハネ4:46-54)

20260320家庭礼拝

聖書:ヨハネ4:46-54

題目:見ないで信じる信仰

賛美:260、382

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

“イエスは、またガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である。ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた。 この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。 この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。 その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。 そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。 それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭4‬:‭46‬-‭54‬ 口語訳‬

1。すべてを持っていても無力な人(46節)

 ここに登場するのは、ガリラヤを治めていたヘロデ王に仕える役人です。つまり彼は、お金も権力もある「何でもできる人」です。しかし、その彼にもどうにもできない問題がありました。息子が死にかけているのです。どんなにお金があっても、どんなに力があっても、「命」だけはどうにもならないのです。だから、この役人は、自分のいるカペナウムからイエスがいるカナまでやって来ました。距離は約30kmで、標高差は約600mある山を登る道です。つまり彼は、1−2日をかけてわざわざ田舎の山の上まで来たのです。自分にはどうすることもできなかったからです。

2.拒絶のように見えるイエスの言葉(47–48節)

 彼はイエスに願います。「どうか来て、息子を癒してください」。しかしイエスはこう言われました。「しるしや不思議を見ないかぎり、あなたがたは決して信じない」。イエスは知っていたのです。故郷のガリラヤの人々が、奇跡を見ないと信じない信仰であることを。つまりイエスはここで、信仰の質を尋ねているのです。

3.それでも求め続けた信仰(49–50節)

 それでも彼は「主よ、子どもが死なないうちにおいでください」と必死でお願いしました。そこでイエスは「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と答えました。ここが最大のポイントです。来てくれないし、癒しの行為もないのです。ただ「言葉だけ」がありました。ここで皆さんに問いかけたいのです。あなたならどうしますか?信じて帰りますか?それとも「来てくれるまで」と粘りますか?

4.信仰の本質:言葉を信じて帰る(50節)

 この役人は、「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」。彼は、自分の考えを捨てました。「来てもらうべきだ」という考え、「見ないと安心できない」という思い。それを手放して、イエスの言葉そのものを信じたのです。

5.確認される奇跡(51–53節)

 帰る途中、しもべたちが来て言います。「息子さんはよくなりました」。そして時間を聞くと、イエスが言葉を語ったその時でした。偶然ではありません。御言葉の力が現れた瞬間です。そして結果はこうです。「彼も、その家族もみな信じた」。一人の信仰が、家族全体へと広がりました。

6.信仰とは何か(核心)

 ここで大切な結論です。信仰とは何か?それは、見て信じることではありません。見なくても、その方の力と人格を信頼して従うことです。信仰と聞くと怪しく聞こえたり、難しく聞こえたりするかも知れませんが、そうではありません。

7.3つの「信じる」タイプ

信じるには3つのタイプがあります。

自分の思い通りに動くなら信じる人

 → 思い通りにならなければ「裏切られた」と感じる

納得できれば信じる人

 → 理解できなければやめてしまう

理解できなくても信頼して信じる人

違いは何でしょうか?

 ①と②は「自分中心」

 ③は「相手中心」

①②は、自分の判断・自分の感情を信じている

しかし③は、相手の人格を信じている

この役人は③でした。

分からなくても、見えなくても、「この方が言うならそうだ」と信じたのです。

8.人間関係にも通じる真理

 これは実は、日常の人間関係でも同じです。例えば夫婦関係です。生まれた環境も考え方も性格も違う2人がなぜ一緒に暮らしていけるのか?結婚生活が成り立つのはなぜか?

相手に自分以上の価値を置くからです。分からなくても、納得できなくても、「この人は自分にとって1番の味方だ」と信じるから関係が続きます。

9.適用

 多くの人はこう考えます。奇跡を見たら信じる、証拠があれば信じる、納得できたら信じる。でもそれは、条件付きの信頼です。しかしこの物語は、本当の信仰は「条件なしの信頼」から始まる、と教えています。

 本当の信仰とは、目に見えるものではなく、目に見えない相手の人格に価値をおいて信頼することです。夫婦が相手の人格に価値を置いて信頼して従うように、イエスキリストの人格に価値を置いて信頼して従うことが信仰するということなのです。

 難しいことではありません。まずは一歩です。「本当におられるなら、教えてください」「あなたが真実なら、導いてください」このように心を開いてみてください。イエスは、無責任な方ではありません。不誠実な方でもありません。確かに、沈黙されることもあります。しかし、必ず真実をもって応えてくださる方です。その人格を信じてください。

10.結論

 この役人は、力を手放し、自分の考えを手放し、見ることを手放し、人格を信じる信仰へと導かれました。私たちも同じです。自分中心の信仰ではなく、神様中心の信仰を求めましょう。見ないで信じる者は幸いです。その一歩を、イエスの人格を知る一歩を今日踏み出すことができれば幸いです。

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