20251109成功か失敗か?(詩篇127:1)

20251109敬虔会

聖書:詩篇127:1
題目:成功か失敗か?

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会


【序論】

愛する皆さん。
私たちは日々、成功を求めて働き、努力しています。

しかし、その努力の中で思うような結果が出ないとき、
「自分は失敗した」と感じることがあります。

けれども、今日の御言葉は、成功か失敗かを決めるのは人間ではない、という真理を教えています。


【聖書の教え】

詩篇127篇1節にこうあります。
「主が建てられないなら、建てる者の働きはむなしい」。

これは、どれほど人間の力で頑張っても、神がそこにおられなければ、それはむなしいということです。

逆に言えば、神がともにおられるなら、その働きはすでに成功しているのです。
なぜなら、神が建て、神が守ってくださるからです。


【人間の努力と限界】

私たちは時に、「自分の力」で成功しようとしてしまいます。
「努力すれば何とかなる」「もっと頑張れば」と考えます。

しかし、その中で祈りを忘れ、神の臨在を求めることを忘れてしまうと、
どんなに立派な計画も、どんなに整った備えも、むなしいものとなってしまいます。

祈る者と祈らない者の違いは、神の臨在を感じるかどうかに現れます。

祈るとき、私たちは自分ではなく、神が主導権を握ってくださることを感じます。
祈らないとき、私たちは自分ですべてを担おうとして、心が重くなります。


【神の視点】

ですから今日、もう一度覚えましょう。
私たちは「自分が建てる者」ではなく、神によって建てられた存在なのです。

神がすでに私たちを形づくり、建て、導いてくださっています。

たとえ今、目の前の結果が「失敗」に見えたとしても、
神の目から見れば、それは益となる過程です。

ローマ人への手紙8章28節にあるように、
「神を愛する人々には、すべてのことが共に働いて益となる」のです。


【結論】

成功とは、神の臨在の中を歩むことです。

祈りを通して神とともにいるとき、
たとえ小さな働きであっても、神の国においてはそれが大きな成功となります。

人の目には失敗に見えても、神の御手の中では、それは建て上げの一部となります。

それでもなお「失敗した」と感じるなら、それは誰かのせいではなく、自分を頼った結果かもしれません。

だからこそ恐れずに、神により頼み、祈りの中で一歩ずつ歩んでいきましょう。


【祈り】

主よ、私たちの働きがむなしくならないように、
いつもあなたの御手の中で建てられる者としてください。

人の目に映る成功ではなく、あなたの臨在の中にある真の成功を生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。 

アーメン。​ 

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