20250910過去の強さを砕く神様の召し(使徒22:6-11)
20250910早天祈祷会
聖書:使徒22:6-11
題目:過去の強さを砕く神様の召し
賛美:250、251
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
(1)パウロがイエスの声を聞いた出来事
パウロは、自分がイエスの声を聞いた出来事について説明しています。
ダマスコに近づいた真昼頃、突然、天から強い光が彼を照らしました。それは最も明るい時間であるにもかかわらず、太陽よりもまぶしい光であり、神の栄光の現れでした。パウロはその光によって単に倒れたのではなく、神の臨在の前にひれ伏したのです。これはユダヤ人として当然の反応でした。
その時、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声が聞こえました。周囲にいた人々も音は聞きましたが、その意味を理解することはできませんでした。
パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがありました。ここでイエスご自身が、軽蔑されていた「ナザレ人」という呼び名を用いておられます。
イエスはご自身を低くしながらも、パウロに優しく語りかけられました。「サウロ、サウロ」という呼びかけには親しさが含まれています。そしてパウロは、自分が迫害していた教会が、実はキリストご自身であったことを知るのです。
神様は、時に私たちの思いがけない方法で語りかけられます。
(2)ダマスコへ行くように命じられる
次にパウロは、イエスからダマスコに行くよう命じられたことを語ります。
彼は「主よ、わたしは何をしたらよいのでしょうか」と尋ねました。これは、イエスが神であることを悟り、自分の過ちに気づいたからこその問いです。また、神に忠実であろうとするユダヤ人として自然な反応でもあります。
イエスは「起きてダマスコに行きなさい」と命じられました。行き先自体はもともとの目的地と同じですが、その目的は完全に変えられていました。
神様はすべてを一度に示されるのではなく、まず最初の一歩を示されます。
また、この出来事の中でイエスと会話できたのはパウロだけでした。同じ光を見ても、同じ音を聞いても、すべての人が同じように理解できるわけではありません。人々にはただの音であっても、パウロには意味ある言葉として聞こえたのです。
神様の召しや啓示は、このように個人的な体験として与えられます。
(3)目が見えなくなり、人に導かれるパウロ
パウロは神の栄光の光によって目が見えなくなりました。そのため、自分の力では移動できず、同行していた人々に手を引かれてダマスコへ向かうことになります。しかし、同行者たちは何が起こったのか理解していませんでした。
この盲目には重要な意味があります。それは神の光によって、パウロの霊的な盲目が物理的に表れたということです。神の光によって害を受けたのではなく、もともとの霊的状態が表面化したのです。
そして後に、肉体の目が開かれるとき、霊の目も開かれていきます。
ここに、神の召しの特徴があります。それは「徹底的な砕き」です。神様はパウロをそのまま用いられたのではなく、他人の助けなしには歩けないほどに砕かれました。
過去の強さが砕かれるとき、人は自分の力ではなく、神に導かれるようになるのです。
2.適用
(1)神に召されるのはどのような人か
聖書は次のように語っています。
「神は、知者をはずかしめるためにこの世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために弱い者を選ばれた。」
誰が神に呼ばれるのでしょうか。能力があり、知恵がある人でしょうか。それはこの世の基準です。
神様が召されるのは、砕かれた人です。私たちはこの世の基準で神様を考えてはなりません。
(2)なぜ砕かれた人が用いられるのか
なぜパウロは砕かれる必要があったのでしょうか。
それは、神の力が人の強さではなく、弱さを通して働くからです。人が強いままであれば、自分を誇り、神に栄光を帰さないからです。
だからこそ神様は、あえて人を砕かれるのです。
(3)砕かれたときの応答
砕かれる時には痛みが伴います。しかし、その崩れた場所こそ、神の言葉が立てられる場所です。
その時、私たちはただ回復を求めるのではなく、その場所で神の声を求めるべきです。そして、ひざまずいて神の語りかけに耳を傾けることが大切です。
3.まとめ
パウロが新しく生まれ変わったのは、神様によって徹底的に砕かれたからです。精神的にも肉体的にも打ち砕かれ、自分の力では何もできない状態に置かれました。
しかし、そのような状況こそが、神に従うしかない状態であり、神に召される時なのです。
私たちもまた、過去の強さが砕かれるとき、そこから神の導きが始まることを覚えましょう。

