20240410祈りの効果(ネヘミヤ2:4-8)
20240410水曜祈祷会
聖書:ネヘミヤ2:4-8
題目:祈りの効果
賛美:449、445、436、430
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書本文(ネヘミヤ2:4–8)
王は私に向かって言われた。
「それでは、あなたは何を願うのか。」
そこで私は天の神に祈り、王に申し上げた。
「もし王がよしとされ、しもべがあなたの前に恵みを得ますなら、どうか私を、ユダにある私の先祖の墓の町に遣わして、それを再建させてください。」
その時、王妃も王のそばに座っていた。
王は私に言われた。
「あなたの旅の期間はどれほどですか。いつごろ帰ってきますか。」
王が私を遣わすことをよしとされたので、私は期間を定めて王に申し上げた。
さらに私は王に申し上げた。
「もし王がよしとされるなら、川向こうの州の知事たちに与える手紙を賜わり、私がユダに着くまで、彼らが私を通過させるようにしてください。
また、王の山林を管理するアサフに与える手紙をも賜わり、神殿に属する城の門、町の石垣、そして私の住む家を建てるための材木を与えてください。」
私の神がよく私を助けられたので、王は私の願いを許された。
1.妻のイライラから分かること
① 家庭内で起こる夫の家事によるイライラの原因
❶ 手伝いが中途半端で、かえって仕事が増える
- 洗濯機は回すが、洗濯物を出して干さない
- ゴミ出しはするが、新しいゴミ袋を設置しない
❷ 手伝いが邪魔になってしまう
- 料理はするが、ひどく汚して片付けをしない
- 子どもを見ると言いながら、横で携帯電話を見ている
❸ そのうえ完璧だと自慢し、感謝を求める
- 自分が中途半端であることに気づいていない
- 当たり前のことさえ十分にできていない
→ 夫に本当に必要なのは、謙虚さと感謝の心である。
- 「足りなくてごめんね」
- 実は、祈りも同じである。
2.ネヘミヤの祈り
① 前回までのあらすじ
- ネヘミヤは座り、集中して祈った(1:4)
- イスラエルの罪を自分自身の罪として告白した(1:6)
- 他人ではなく、自分に対する憐れみを求めた(1:11)
② ネヘミヤの職業 ― 献酌官
- 単なる召使いではなく、非常に地位の高い人物
- 王の飲み物の毒味をする役目であり、絶大な信頼が必要
- 歴史家ヘロドトスによれば、ペルシアでは大きな尊敬を受けていた
③ ネヘミヤの願い
- 王「なぜそんなに悲しい顔をしているのか」(2:2)
- いつもは見せない表情をネヘミヤは見せていた
- 王の前で悲しい顔をするのは、命に関わる重大な失態
- ネヘミヤ
「私の先祖の町が荒廃し、門が火で焼かれたままで悲しいのです」- 彼は4か月間、悲しみながら祈り続けていた
- 王「それでは、あなたは何を願うのか」
- 自分から願い出ることは許されない立場
- 待ちに待ったその瞬間、ネヘミヤは心の中で祈った
- ネヘミヤ
「私を遣わし、再建させてください」- 王の職務を放棄する無責任な発言とも取られかねない
- 王への反逆と誤解される危険もあった
- 王妃
「期間はどれくらいで、いつ帰ってきますか」
→ 王の許可が与えられた- 王妃が同席している=私的空間に入れるほどの信頼関係
④ ネヘミヤのさらなる願い
- 川向こうの州知事への通行許可の手紙
- 王の山林管理者アサフへの資材提供の手紙
- 結果
「私の神がよく私を助けられたので、王は私の願いを聞き入れた」(2:8)
→ 極めて危険な綱渡りの状況で、祈りは聞き入れられた。
3.ダニエルの祈りとの比較
① ダニエルの祈り(ダニエル9章)
- 80歳を超えても、毎日3回エルサレムに向かって祈った
- ネヘミヤと同じく、エルサレムのための悔い改めの祈り(자복祈祷)
- 高官であり、人格的にも優れた人物
- 天使ガブリエル
「知恵と悟りを与えるために来た」(9:22)
→ しかし、捕囚70年の即時回復は与えられなかった。
② 理由 ― 神様の時と計画
- ダニエルもネヘミヤも、神に喜ばれる祈りをした
- 違いは神様の時にあった
70週の預言
- 1週=7年
- 69週=483年
- ユダヤ暦(360日)では約474年
- BC445年(城壁再建)からAD30年(十字架)と一致
4.神様の憐れみによる答え
「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」
(イザヤ41:10)
- ネヘミヤの願いは、人間的には到底許されない内容
- 原文では
「私の神の良い御手が、私の上にあった」とある - それは祈りの上手さではなく、神様の憐れみによるもの
→ 祈りが叶えられるのは、
神の計画と神の憐れみによる。
5.目の見えない人の癒し
① 生まれつきの盲人(ヨハネ9:1–7)
- 弟子「誰の罪ですか」
- イエス
「本人でも両親でもない。神の業が現れるためである」
→ 神の計画のために目が開かれた。
② 二人の盲人(マタイ9:27–30)
- 「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」
- イエス
「信じるか」 - 「はい、主よ」
→ 神の憐れみによって目が開かれた。
6.自慢できることは何もない
- 祈りを自慢することに意味はない
- 家事を手伝った夫の自慢と同じ
- 子どもの願いを妻に伝えただけで誇る夫のようなもの
「もし自分が何者かであると思うなら、それは自分を欺いている」
(ガラテヤ6:3–4)
7.まとめ
- 祈りが叶えられる理由は
① 神の計画
② 神の憐れみ - それは、私たちが偉いからではない。

