20230324結果に絶望する時(列王記上19:11-12)
20230324金曜祈祷会
聖書:列王記上19:11-12
題目:結果に絶望する時
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.序論:望む結果が出ないときの絶望
望んでいた結果が出なかったとき、私たちはしばしば落ち込み、絶望します。
しかし聖書は語ります。
「それでもすべては終わっていない。私たちはまだ神様の計画の途中にいる。」
だからこそ、
目に見える結果にしがみつくのではなく、
私たちの弱さをご存じで、癒してくださる主にしがみつくべきです。
2.現代の絶望:先進国の自殺率
先進国の自殺率(2016–2021)は深刻です。
1位:韓国23.6(特に10〜30代が増加、日本の外国人自殺1位も韓国)
リトアニア20.3、スロベニア15.7、日本14.6、アメリカ14.1
景気悪化、孤独感、羞恥心…。
絶望はクリスチャンにも訪れます。
だからこそ、聖書からどのように絶望を越えるかを学ぶ必要があります。
3.アハブとエリヤ:三年半の対比
(1)アハブ王
- イゼベルと政略結婚し、バアル信仰を導入
- 経済・軍事・政治・外交が安定
- 国民は「生活の保障」をバアルから得たと考えた
(2)エリヤ
- 神の言葉により三年半の雨なし
- 飢饉、治安悪化、軍事力低下、国際的地位の低下
- つまり「生活の保障」を奪ったように見えた
(3)三年半のエリヤ
- 命を狙われる
- 神に従い、神に守られ、神の奇跡を体験
- 神には不可能がないことを知るようになる
(4)三年半のアハブ
- エリヤを指名手配
- バアルの無力さも、神の力も理解できない
- 国民より馬(人間の力の象徴)を優先
- 原因を自分に求めようとしない
(5)再会とカルメル山へ
神はオバデヤを通し、アハブとエリヤを再会させました。
そしてカルメル山で神とバアル、どちらが本物かが決められることになりました。
4.カルメル山の戦い
(1)バアル側に有利
- バアル崇拝の本拠地
- 450人の預言者(+アシラ400人)
- 火の神バアルにとって条件は完璧
(2)結果
- バアルの預言者450人は6時間叫んでも火は下らず
- エリヤは大量の水を注ぎ、30秒祈っただけ
- 主の火が下り、すべてが燃え尽きた
→ エリヤの圧倒的勝利
(3)民の反応
- 主こそ神と告白
- バアルの預言者を処刑
- その後、雨が降った
→ 王も民も霊的に回復し、すべてが良くなるはずだった。
5.しかし…エリヤの絶望
(1)なぜ絶望したのか?
- イゼベルがエリヤの命を狙う
- ベエルシバまで逃げ、荒野にひとり入り、死を願う
- あれほどの勝利を経験したのに、心は折れた
これは私たちも同じです。
どれだけ祈り、奉仕し、努力しても、
結果が見えなければ心が折れます。
(2)神の励まし
- 「起きて、食べなさい。」
- 人は空腹だと悪い考えをしやすい
- 40日間、神は黙ってエリヤを養われた
→ 神はエリヤの弱さをご存じだった
(3)ほら穴のエリヤ
- ホレブに着き、ほら穴に入る
- 神は「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」
- エリヤは「私はひとりです」と訴える
(4)山の上の神の現れ方
- 激しい風、地震、火…しかし主はそこにおられない
- その後に静かな細い声が聞こえた
→ 神の臨在は派手な出来事ではなく、静けさの中にある
(5)神との会話
エリヤは同じことを繰り返す。
しかし神は叱らず、次の使命を与えた。
(6)神の癒し
- ハザエル、エヒウ、エリシャへの油注ぎ
→ 神の計画は失敗したのではなく、まだ途中だった
(7)孤独の癒し
- 実は7000人の預言者が残っていた
- さらに後継者エリシャも与えられる
→ エリヤの失敗は、「自分だけ」しか見えていなかったこと
6.イエスと弟子たちの絶望
(1)イエスの絶望・孤独
- 弟子の弱さに失望するが、絶望しない
→ 神の計画と使命を知っていた - 荒野40日、天使に支えられた
- ゲッセマネでも天使が支えた
(2)弟子たちの絶望
- 十字架の死=人の目には失敗
- 弟子たちは隠れ、恐れた
- しかし復活のイエスに出会い、絶望が消えた
7.結論:結果が出ないとき
一生懸命祈り、奉仕し、尽くしたのに、
何も変わらないように見える時があります。
その時、私たちはこう問いかけられます。
「あなたはそこで何をしているのか。」
まだ終わっていません。
エリヤの3年半は途中でした。
イエスと弟子の3年半も途中でした。
私たちもまた、神の計画の途中にいるのです。
8.本日の祈り
愛する天の神様、ありがとうございます。
この一週間、私たちを守り導いてくださり感謝いたします。
男伝道会献身礼拝、愛の食卓、YBS勉強部屋、早天祈祷会、聖書勉強など、
多くの行事と奉仕を与えてくださったことを感謝します。
どうか、私たちが忙しさの中で疲れ果てるのではなく、
主のしもべとして喜びをもって仕えることができるよう助けてください。
今日の御言葉も、私の言葉ではなく、
主の言葉が私を通して語られますように。
御言葉によって私たちの心を日々、主に喜ばれる心へと造り変えてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン。

