20220524神の主権と選び(ローマ9:10-24)
20220524早天祈祷会
聖書:ローマ9:10-24
題目:神の主権と選び
賛美:430、433
説教:高曜翰 伝道師
場所:大阪中央教会
1.人間の努力と神の主権
- 「努力すれば夢は必ずかなう」「かなわないのは努力不足だ」という考えがある。
- 人は、自分の努力を否定されることを嫌がり、神の主権について拒否反応を示すことがある。
- しかし聖書は、人間の努力を超えた「神の主権」が確かに存在することを教えている。
2.生まれる前からの神の選び
- イスラエルの不信仰によって、神の救いの計画が破綻したのか? → 人々は「努力が足りないからだ」と考えがち。
- パウロは「人の努力は関係ない」と語る。
- ヤコブの選び
神は「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(ローマ9:13)と言われた。
これは生まれる前からすでに決定していたことで、人間の行いとは無関係である。 - 神の計画は「神の選び」によって進み、人間の努力や行為によらない。
3.選びは神の慈悲
- 「選びは不公平ではないか?」「人の意思や努力を無視している」と感じる人もいる。
- パウロは、それは不正ではなく「慈悲」であると語る(ローマ9:15)。
- モーセには「憐れむ者を憐れむ」と語られ、パロには「神の計画に用いる」と語られる。
ある者には憐れみが注がれ、ある者は神の計画のために用いられる。 - 神の選びは「慈悲」であり、人間が批判できるものではない。
4.神の正当性
- 「それでは神が罪を犯させているのでは?選びのせいで裁かれるのは不公平では?」という疑問が生じる。
- パウロは「神に主権があるのだ」と答える。
- 陶芸家と陶器
陶器をどう作るかは陶芸家の自由である。
本来、人は皆裁かれて当然であり、「救われて当たり前」の人間はいない。
しかし神は忍耐深く、人を選び、用いられる。 - だから人間は「不公平だ」と神を非難する立場にはなく、むしろ感謝すべきである。
5.選ばれなかった者の未来について
- 「選ばれなかったエサウやパロは救われるのか?」と気にする人もいる。
- しかし、それは人間には分からない。未来まで知っておられる神のみがご存じである(ヨハネ3:18)。
- 罪は神から来るのではない(ヤコブ1:13–14)。
罪は人の欲によって生じ、神がそのままにされることによって現れる(ローマ1:24)。
ただし、神はすべての人の救いを望んでおられる(マタイ28:19–20)。 - 「誰が救われないか」を気にすべきではない(ヨハネ21:21–22)。
神は憐れみ深く、人々に救いの機会を与えておられる。
6.結論
- 私たちは、人間の行為や努力ではなく、神の憐れみによって選ばれた。
- 創造主である神の主権を認め、神の決定に感謝するべきである。
- 私たちが先に救われたのは、キリストをまだ知らない人々に福音を伝えるためである。
すべての人に福音を届けることこそ、「神の主権に従う生き方」である。

