20220514アブラハム第五の試練(創世記22:1-14)
20220514土曜祈祷会・家庭礼拝
聖書:創世記22:1-14
題目:アブラハム第五の試練
賛美:183番
説教:高曜翰 伝道師
場所:大阪中央教会・家庭
1.異常な神の要求
神はアブラハムにこう命じられました。「イサクを連れてモリヤの地に行き、彼を燔祭としてささげなさい」(22:2)。
しかしこれは非常に異常な命令でした。
- 人間をいけにえにする風習は異邦人のものであり、神の御性質とは矛盾するものだった。
- イサクを通して子孫を繁栄させるという神の契約そのものが揺らぐ危機でもあった。
- イシュマエルを追放した直後であり、イサクまで失うように見える状況だった。
それでもアブラハムは、この声が悪魔ではなく、まぎれもなく神の声であると理解した。
長い信仰生活を通し、羊が羊飼いの声を聞き分けるように、アブラハムも神の声を確かに聞き分けていたのである。
2.アブラハムの反応
- すぐに従ったアブラハム(22:3)
- 朝早く起き、ロバに鞍を置き、自分で準備をした。
- 感情を表に出さず、信仰をもってただ従った。
- 信仰の言葉(22:5)
「私と童は向こうへ行って礼拝し、その後、あなた方のところに帰ってきます。」
→アブラハムはイサクと共に帰ってくることを信じていた。 - 本気の従順
- 刃物を手に取り、本気でイサクをささげようとした。
- どんな結果になるかわからなくても、最後まで従い続ける信仰である。
3.イサクの反応
- 父に従い続けるイサク
- アブラハムは100歳を超えた老人、イサクは十分逃げられる若者であった。
- それでもイサクは父に従った。
- 父の信仰を深く受け継いでいることがわかる。
- イエスとの共通点
- 父に愛されていた
- 素直に死を受け入れた
- 犠牲のための木を自分で背負った
- 丘の上で犠牲になった
- 三日目に「生きて戻った」ような形を取った(象徴として)
※イエスは実際に死なれ、イサクは象徴として「死んだ」。
→ イエスに習う者は、イサクの従順にも学ぶことができる。
- 「主の山に備えあり」(22:14)
- 代わりの雄羊はイエスの型となった。
→私たちの救いは最初から最後まで神の備えである。
- 代わりの雄羊はイエスの型となった。
4.テストの意味
- 訓練のためのテスト
- 神以上に愛しているもの(偶像)がないか。
- 言葉だけでなく、行動で従えるか。
- わからなくても最後まで従う信仰があるか。
- 神が弱いから行うのではない
- 「主は私をためされるが、私は金のように出て来る」(ヨブ23:10)
- 「試練に耐えた者は命の冠を受ける」(ヤコブ1:12)
- テスト全体の目的
どんな状況でも、神だけを見続け、神の約束を握り続けられるか。- 命の危機
- 豊かな財産
- 賞賛
- 長い時間
- 愛している者
→これはアブラハムだけではなく、私たちの信仰のためでもある。
5.ペテロへの最後のテスト
- 復活後のイエスの問いかけ
「わたしを愛するか?」(三度)- ペテロが逃げたから疑ったのではない。
- 三度否定したペテロを回復するため。
- これから迫害に向かうペテロの心を強めるため。
- 会話の中の愛の言葉
- 「アガペ?」「フィレオ」
- 「アガペ?」「フィレオ」
- 「フィレオ?」「フィレオ」
→ イエスはペテロの弱さに寄り添い、レベルを合わせてくださった。
- 「わたしの羊を養いなさい」
- 以前の使命は「人間をとる漁師」。
- 今の使命は「羊を養う羊飼い」。
- 羊は一人で生きられない。
- 餌場・水場を知らねばならない。
- 倒れたら助け起こし
- 迷えば探し
- 狼から守る
→ 愛がないとできない働き。
6.結論
- 神以外のものを見ていないか?
もし他のものを見ているなら、それは偶像である。 - 神は私たちを強くするためにテストされる。
- 何があっても信じて従い続けよう。
心の目を神に向け続けることこそ信仰である。

