20210417和解の食事(出エジプト24:9-11)

20210417早天祈祷会

聖書:出エジプト24:9-11
題目:和解の食事

讃美:210

説教:高曜翰 伝道師​

場所:Jesus Love Church


この聖句には、たいへん衝撃的な出来事が 2つ 書かれています。


1.神を見た

イスラエルと神との契約を結んだ後、
74人(モーセ、アロン、ナダブ、アビフ、70人の長老) は神を見ました。

しかし、これは 神の姿そのものを見た という意味ではありません。
彼らが見たのは、神がおられる場所の“足元” でした。
神を直接見れば、人は生きていられません。

「人はわたしを見て生きていることはできない」(出エジプト記33:20)

彼らが見た神の足元には、
サファイヤを敷いたようなもの、透き通った青空のような輝き がありました。
顔を上げて神の姿を直視することはできなかったのでしょう。

他の聖書箇所にも似た描写があります。

  • 黙示録4:6 水晶のようなガラスの海
  • エゼキエル1:26 サファイヤのような王座
  • エゼキエル1:22 水晶のような大空

まるで、神の国の一部が地上に現れた かのような表現です。


2.神と食事をした

彼らは、神との契約の後に 神の前で食事をしました。

これは、契約の後には「食事による交わり」がセットであることを示します。
神様は、彼らと交わるために時間を取られたのです。

食べたのは 和解のいけにえ(雄牛) の肉でした。
彼らが神の前で死ななかったのは、
血の契約の中にいたからこそ、神が手を下されなかった ためです。

神ご自身は食べたり語ったりしたわけではないようですが、
神の前で食事を共にすること自体に深い意味がありました。

食事には、人間関係を新しくする力 があります。

  • ヤコブとラバンは、石塚を立て、その前で食事をすることで和解を確認しました。
  • 蘇ったイエスは、ペテロと食事をしながら和解の時間を持たれました。

補足:イエスと食事について

「イエスの姿が太っていた」という伝承は、
単なる食いしん坊という意味ではありません。

ルカ7:34

「大食家、大酒飲み」と呼ばれたイエス

しかしイザヤ53:2では、

「見るべき姿も、輝きも、望むべき美しさもない」

と語られています。
つまり、「よく食事を共にされたこと」は、
イエスの豊かな交わりの姿を示すものだったのです。


個人的な経験

社会人時代、私は「契約成立後に顧客と食事に行く上司」が好きではありませんでした。
また、契約を取った後に食事をしなかったことを今では少し残念に思います。

昔の私は「食事=お腹を満たすもの」としか考えていませんでしたが、
今は、教会で礼拝後に皆で食事を共にすることが
関係を築く大切な時間 だと感じています。


結論

私たちも “和解の食事” を大切にしましょう。
そして、
神様を見、神様の前で食事するような契約の中に私たちが置かれていること を 

忘れないようにしましょう。​ 

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