20210921整ってからではなく(ヨシュア3:1-17)

20210921早天祈祷会

聖書:ヨシュア3:1-17

題目:整ってからではなく
賛美:28番

説教:高曜翰 伝道師

場所:Jesus Love Church

1.契約の箱が先を進む理由

契約の箱を担ぐ祭司たちは、民の約900メートル先を歩きました。
それには二つの理由があります。

  1. 民が近づきすぎて死ぬことのないようにするため。
  2. 民が遠くから契約の箱をはっきり見ることができるようにするため。

荒野では雲の柱と火の柱が民を導きましたが、ヨルダン川を渡る場面では契約の箱が導きとなりました。
その契約の箱の中には神の言葉が納められています。
つまり、私たちを導くのは神の言葉であるということです。


2.ヨルダン川を渡る理由

紅海の奇跡によって、民は主がモーセをリーダーとして立てられたことを知りました。
同じように、ヨルダン川の奇跡によって、主がヨシュアをリーダーとして立てられたことを民は知るようになりました。
聖書は、民がモーセを恐れたようにヨシュアをも恐れたと語ります。
リーダーシップは神から与えられるものです。

また、「海を渡る」ことはバプテスマ、つまり「死」を象徴します。
しかし、イスラエルの民は紅海で自分を死なせることができず、結果として荒野で滅びました。
エジプトの生活(罪の生活)を忘れられなかったからです。

一方、ヨルダン川を渡るのは第二世代の民でした。
彼らはここで、改めて「自分を死なせる」ことになったのです。
では、なぜ自分を殺す(自己を捨てる)必要があるのでしょうか。

自分の狭い考えに縛られている限り、見えるものも、できることも限られてしまうからです。
しかし神に従って生きるとき、見えないものを見るようになり、できないことも神の力によって可能になります。

(例)「あれが足りない、これが足りない」と才能や努力を重視するタイプの牧師と、金ゴン牧師の例。
聖書には「才能で選ばれた人物」は登場しません。
選ばれるのは「従順な人」です。


3.結論

祭司たちが踏み出した最初の一歩は、水で濡れていました。
私たちはしばしば、「すべてが整って乾いてから歩き出したい」と願います。
しかし信仰は、水がまだ残っている場所に、一歩踏み出すことを求めます。
特にリーダーにとっては、この信仰の一歩が重要です。

また私たちは隣人を励ますとき、
「あれが足りない」「これが足りない」と欠点に目を向けるのではなく、 

神の言葉に従い、大胆に歩み出せるように励まし合う者でありたいのです。 

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