20210914モーセの死の前の歌から学ぶ(申命記32:1-7)

20210914早天祈祷会

聖書:申命記32:1-7
題目:モーセの死の前の歌から学ぶ

賛美:449番

説教:高曜翰 伝道師

場所:Jesus Love Church

この箇所は、モーセが死を目前にしてイスラエルに残した「歌」です。なぜ神は、この歌を民に覚えさせたのでしょうか。


1. 主は岩(4節)

モーセは「主は岩」と宣言します。
イスラエルの乾燥した地では、岩は風雨にさらされても変わらず残り続ける存在でした。「堅く立ち、動じない」ものの象徴です。

同じように、私たちがいようといまいと、世界は回り続けます。そして、私たちの存在とは関係なく、神の偉大さは変わることがありません。
だからこそ、神が私たちを選んでくださったことに感謝すべきなのです。


2. それなのに、イスラエルは恩を仇で返した

イスラエルは神の恵みを受けながら、背き続けました。それでも神はイスラエルを滅ぼしませんでした。なぜでしょうか。

それは、敵が主の御名を汚すことになってしまうからです。

神が待っておられるのは、
—私たちの力が尽き、
—自分ではどうにもできなくなり、
主により頼むしかない者となることです。

私たちは自分の力で戦うのではありません。
主が、ご自身の御名のために戦われるのです。


3. 神が人を用いる基準

モーセやヨシュアやダニエルが優秀だったから神が用いたのではありません。

日本で宣教師の娘を結婚相手に望むとき、彼らは「1.信仰があること、2.能力があること」を条件としたと言われます。人はしばしば能力を基準に考えます。

しかし、聖書はそう教えません。
私たちは自分のために、自分の力で戦うのではない。
主のために、主の力で戦うのです。

「私たちはなんでもできる」という言葉は半分正しいですが、半分は間違っています。

私たちが心配すべきなのは
“生きるための能力が自分にあるかどうか” ではなく、
“神の前で正しい心で従っているかどうか” です。
努力もまた、神の前での従順から出るものであるべきです。

(補足)
モーセが約束の地に入れなかったのは、彼が律法を象徴していたからです。律法は一つでも欠けると義と認められず、神の国に入れません。
約束の地に入ったのはヨシュアであり、その名はヘブライ語で「イエス」と同じ意味を持ちます。
私たちが義とされ、神の国に入るのは、イエス・キリストによるのです。


4. 結論

神は、私たちに関係なく、ご自身の栄光のために働き続けられます。もちろん使命感を持って生きることは大切です。しかし、神が私たちを必要としているのではありません。
私たちが神を必要としているのです。

私たちが覚えておくべきことはただ一つ。 

私たちは無力であり、神にすがりつくしかない存在であるということです。 

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