20210620霊的な礼拝とは?(ローマ12:1-2)
20210620日曜礼拝
聖書:ローマ12:1-2
題目:霊的な礼拝とは?
説教:高曜翰 伝道師
場所:Jesus Love Church
ローマ書1〜11章までは教理(教え)の説明であり、12〜16章ではその教えにもとづいた実践が語られています。特に12章1〜2節は、教理を受け入れたクリスチャンが最初にすべきことを示す、とても重要な箇所です。
1.霊的な礼拝とは何か
ここで言われている「霊的な礼拝」とは、日曜日に教会に来て参加する礼拝だけを指すのではありません。
パウロは、神様との正しい関係そのものを指してこの言葉を使っています。
ユダヤ人たちは礼拝には熱心でしたが、日々の行動には矛盾がありました(ローマ2:19–23)。
賛美を歌い、献金を捧げ、御言葉を聞いても、教会の外で神と無関係に生きているなら、その礼拝は意味を失ってしまいます。
神と関係を持つ人にとっては、毎日が礼拝であり奉仕です。
だからこそパウロは、形式ではなく「霊的な礼拝」を強調するのです。
2.なぜ捧げる必要があるのか
教会は「何かをもらう場所」ではありません。
人間と神の正しい関係とは、神に捧げ物をお捧げすることです。
神は創造主であり、私たちは被造物だからです。
子どもが親に感謝を表すように、神への感謝を献げる――これが自然で正しい姿です。
聖書の中で、
・アベルは羊の初子を捧げ、
・ノアは洪水の後に全焼のいけにえを捧げ、
・アブラハム、イサク、ヤコブも同じように神に献げました。
レビ記は全焼のいけにえの捧げ方から教えています。
全焼のいけにえとは「自分自身を殺し、主権が神にあると認めて捧げる」ことです。洗礼も同じ意味を持ちます。
つまり、捧げ物とは“神を自分の神と認める”行為なのです。
永遠の命を受けた神の民が最初に行うべきステップは、捧げることである理由がここにあります。
3.生きた供え物とは何か
これは「教会で多く奉仕しなさい」という意味ではありません。
自分の意思・感情・思いのすべてを神に委ねるということです。
日曜日だけ捧げ、他の日は自分のもの――これでは見せかけの奉仕であり、死んだ供え物です。
本当の礼拝とは、人生全体を神にささげることなのです。
※神との正しい関係とは?
旧約でイスラエルは神の「妻」(エゼキエル16:8–14)、
新約でクリスチャンはキリストの「花嫁」(エペソ5:25–27)と呼ばれます。
結婚制度は、父と母が存在する前に神が定められました(創世記2:24)。
それは、夫婦関係を通して神との関係を理解させるためです。
たとえば、
①日曜日だけ指輪を付けて妻として振る舞い、ほかの日は未婚女性のように生きるなら、その人は妻として認められません。
どれほど美しく、家事ができ、稼ぎが多くても、妻としては失格です。夫は 365日自分を愛する妻 を望みます。
②夫から何かをもらうことばかりで感謝しない妻も問題です。
結婚は損得で決めるものではありません。プレゼントを贈るのは相手を喜ばせたいからです。
神に対しても同じです。「これだけ礼拝し奉仕しているから、祝福がもらえるはずだ」という考えは、神を知らず、自分のことしか考えていません。
キリストが私たちのために死なれたのですから、私たちも自分を神に捧げるべきなのです。
霊的な礼拝とは、花嫁が夫に全人生を捧げるように、神に人生を捧げることです。
4.「神の憐れみによって」とは
捧げることは、神の憐れみを知らなければできません。
人間は、自分の中心を他人に明け渡すことを恐れます。
信頼できない相手に人生を委ねれば、裏切られ破滅するからです。
では、誰を信頼できるのか?
それは、自分をよく知り、良くしてくれる方です。
神がどれほど憐れみに満ちた方であるかを知らなければ、人生を捧げることなどできません。
イエス以上に私たちを愛する方はいません。
私たちの代わりに死んでくださったからです。
だからこそ、まず神がどんなお方かを知る必要があります。
奉仕や礼拝は、その後に続くものです。
5.Conform(調子を合わせる)と Transform(変えられる)
クリスチャンは、世の者から神のものへと移された存在です。
アメリカに住めば日本の法律ではなくアメリカの法律に従うように、
クリスチャンは神の考えと神の法則に従って生きるべきです。
「Conform(ススケマティゾー)」は外側に合わせること。
「Transform(メタモルフォー)」は内側から変わること。芋虫が蝶に変わる時に使われます。
外側だけを変えようとするとストレスを抱え、捧げることも礼拝もできません。
本当の献身は内側から変えられることによって生まれます。
6.どうやって内側を変えるのか
古いメモリー(価値観・習慣)を捨て、新しいメモリーを取り入れる必要があります。
だから私たちは聖書を学びます。
神の御心が何であるかを知るためです。
心が新しくされると、礼拝は退屈ではなく感動の時間になります。
礼拝とは、自分の願いを叶える時間ではなく、
神が何を求めておられるのかに気づく時間だからです。
7.神の御心とは何か
世界で最もかわいそうな人は、神の御心を求めないクリスチャンです。
礼拝には来るが聖書を学ばない――
これは結婚しているのに相手の考えを知ろうとしない人のようなものです。
がんばっても的外れで疲れるだけ。
祝福を求めて礼拝に来ても、本当の祝福は得られません。
神は祝福を与えるために、私たちの間違った価値観を壊そうとされます。
しかし多くの人はその壊された価値観をまた作り直してしまう。
壊して、また作って、そして神に失望します。
本当に知るべきことは、
祝福を受けるためには、間違った価値観を壊し、新しく生まれ変わらなければならないということです。
結論
私たちはかつて悪魔の奴隷でした。
自分を主として生き、サタンの支配下にあり、死を解決する力のない者のもとで地獄に向かっていました。
しかし、私たちはサタンから離れる方法――イエス・キリストを見つけたのです。
神に主権を返し、神の望むことを行う者だけが、天国と神の国へ入ることができます。
だから私たちは神の御心に従って、謙虚に生きる必要があります。
礼拝が退屈に感じる人へ
神は愛する民を訓練されます。
神の民とは、自分の人生の主権を神に返した人のことです。
その民だけが祝福を受け、天国に入ることができます。
神は私たちの間違った価値観を壊し、新しい価値観を与えようとしておられます。
それを受け入れ、新しい神の思いを心に立ててください。

